9.振り向きたくなる声


 ドルイドは語った。
 この日、幼き手に槍を持つ者はあらゆる栄光、あらゆる賛美をほしいままにするだろうと。この土地、この時代が海に没するその日まで、人も鳥も花でさえも、彼を忘れる事はない。
 五つ国に知らぬものなく。彼を愛さぬ女はおらず、彼を誇らぬ男はおるまい。彼の閃きは赤枝の誉れとなり、戦車の嘶きは牛奪りを震えさせる。
 いと崇き光の御子。
 その手に掴むは栄光のみ。命を終える刻ですら、地に膝をつく事はない。……だが心せよハジバミの幼子よ。
 星の瞬きのように、その栄光は疾く燃え尽きる。
 何よりも高い武勲と共に。おまえは誰よりも速く、地平の彼方に没するのだ――



「あ、」

 大学帰り、気分転換に散歩に行った先の港でランサーさんを見つけた。煙草を口に咥え、釣り糸を垂らした水面をぼうっと眺めている。
 ピコン!と頭に浮かんだイタズラのアイデアに従い、自動販売機で冷たい缶コーヒーを買う。まだ残暑の残る季節とはいえ日の落ち始めた今の時間はそれなりに肌寒い。冷たい缶をあまり持っていたくはなかった。……首筋に押し付けられたらびっくりして飛び上がってしまうだろう。
 数秒後のランサーさんの反応を想像してついついニヤけてしまう。そろりそろりと足音を立てないように気をつけながら、季節外れのアロハシャツに包まれた大きな背中に近づいて……長髪がくくられているおかげで無防備に晒されているうなじに、えいっと缶を押し付けた。

「……なんだよ、なまえか」

 でも、振り返ったランサーさんの表情は想像していたものと全然違って。

「あれ、驚きませんでした?」
「全然」
「ええー!なんで」
「お前の気配バレバレだったからな」

 苦笑いのランサーさんの左隣に腰かける。死角の上音立てなかったのに!ランサーさんって忍者?と言えばアイルランドの人間に忍者はねえだろ、とでこピンされた。うう、痛い。

「コーヒー、どうぞ」
「おーサンキュ」
「釣りですか。得意なんです?」
「おうよ。どこぞのコピーバカにも金ぴか野郎にも負けねえぜ?」

 コピーバカや金ぴか野郎が一体誰なのかは分からなかったけれど、彼の右隣に置かれていたバケツを覗き込めば、なるほど、得意と言っていいほどにはたくさんの魚がいた。おいしそうだ。士郎ならどんな風に調理するだろう。
 「なまえもやってみるか?」「へ、いいんですか?」「そんな風にキラキラした目で見られたらな」私の目がキラキラしていたのは、士郎のおいしい料理を思い浮かべたからだったのだけど……正直に言ってもつまらない。お言葉に甘えて釣り竿を受け取った。
 揺れる水面に糸を垂らして、先ほどのランサーさんと同じように眺める。……穏やかな風が私とランサーさんの髪を梳いていった。
 しばらくいろんなことを話した。この釣り竿は実は慎二から強奪した物(ランサーさん本人はそう思ってないけど)だったとか。釣った魚を士郎のところに持っていったらやっぱりおいしく調理してくれたとか。私の学校生活のことや、駅前にあるアイスクリーム屋の中で彼が一番好きな味はベリーベリーストロングだという話、最近冬木を騒がせている都市伝説の話まで。
 ランサーさんの言葉に耳を傾けるのがただただ楽しかった。話の内容なんて関係なかった。彼の隣で、彼の低い声を聞いているのがこの世で一番の幸福のように思えた。そう思えるほどに私の心臓はやさしくやわらかに鼓動を刻んでいた。いつまでもこの時間が続いてほしいという私の想いが伝わったのか、魚たちは釣り糸を揺らしはしなかった。

「ランサーさんは、クー・フーリンの物語をどのくらい知っていますか?」

 一瞬流れた沈黙に、そんな言葉を投げ込んだ。隣へ顔を向ければランサーさんは一瞬驚いたように目を見開いて、それから「なまえよりはもっとずっと詳しいぜ」と微笑んだ。……それはそうか。彼はアイルランド、それもアルスターの生まれなんだから。

「私、分からないことがあるんです。クー・フーリンはどうしてドルイドの言葉通りに戦士になったのか。いくら栄光が約束されているとはいえ、同時に短命も約束されてるじゃないですか。なのに彼は少しも迷うことなく命より栄光を取った」

 それが私には理解できない。何故命よりも栄光が、誇りが、大事なのか。
 クー・フーリンはドルイドの預言通りアルスター一の英雄となった。五つ国に彼を知らない者はなく、どんな女も彼を愛し、どんな男も彼を誇りに思った。最期の時でさえ地に伏すことを許さず、その27年という短い生涯を終えた。私は、分からない。クー・フーリンの何もかもが分からない。
 思わず釣り竿を固く握りしめる。私は――彼に行ってほしくなかった。流星のように生き急いでほしくなかった。

「オレは答えを知っている」
「えっ」
「だが教えてやらねえ」

 私から釣り竿を奪い取りバケツを掴んで立ち上がったランサーさんに食い下がる。この人は、私が長年考え続けた問いの答えを持っていると言う。なら、教えてもらうしかないのに、どうしてそんな意地悪なこと言うんだろう。
 不満そうな私の顔を見て、ランサーさんは歯を見せて笑った。その両手が塞がっていなかったら私の頭をぐしゃぐしゃに撫で繰り回していただろう。そんな明るい笑顔だった。

「簡単に分かったらつまんねえだろ!まずはお前の答えを出せ。そうしたら正解を教えてやる」

 私の答え、か。出せるだろうか、私に。でも、と小さく頷く。ランサーさんが言うのなら、やってみるしかない。

「んじゃ、帰ろうぜ。送ってやるよ」
「え!いいですよそんな!」
「夜道を女1人で歩かせられるかっての。送り狼にはなんねーから安心しな」
「……じゃあ、お言葉に甘えます」



  
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