8.さあ懺悔せよ、愚かな子羊さん。


 問題。
 この退屈でやさしく、幸せでくびり殺されるような日々は、一体いつまで続くでしょうか。



 気がつくと教会にいた。礼拝堂の最前列、かつての特等席に座っている。全身が泳いだ後のように怠い。暑くはないはずなのに、汗がこめかみを伝った。
 目の前には神父ではなくシスターがいる。白い紫陽花を思わせる、儚げで潔白な見た目。けれど小さい口から吐き出されるのは毒であると、私は知っていた。

「懺悔に来たの?みょうじなまえさん」
「ざん、げ……?」

 告白する罪など、私にはない。私は、ただの、冬木で生まれ育った学生だ。親の顔を知らないけれど、教会に住んでいたけれど、記憶を失くしているけれど、その他は普通のはず。犯罪に手をかけたこともない。誰も傷つけず、誰にも傷つけられない世界でただ、惰性に生きてきた。──なのにどうして、こんなにも体が重い?
 熱中症にでもなった気分だ。クラクラする。自分が立っているのか座っているのか分からない。世界が回る。歪む世界の中で、カレン・オルテンシアが憫笑を浮かべている。あるいは酷く同情しているようにも見える。

「100匹の羊の群れから1匹を見失ってしまいました。羊飼いは99匹を丘に残して見失った1匹を捜しに向かいます。悔い改める1人の罪人は、悔い改める必要のない99人よりも大きな喜びが天にあるから」
「それは嘘。羊飼いは見失った1匹捜しはしなかった。神様はあの人を救おうとしなかった。救おうと思いもしなかった。だから、」
「だから、貴方は羊飼いの代わりに捜しに行った」

 そう、私は薄情な羊飼いの代わりに1匹の羊を捜しに丘を降りた。

「羊は見つかった?」
「見つかった。けれど帰り道が分からなくて、だから今度は羊とふたりで暮らそうとした」
「でもうまくいかなかった」

 倦怠感に耐え切れず、俯く。首から下げた十字架が揺れる。カレン・オルテンシア。ファーストネームは父の国の言葉、ファミリーネームは母の国の言葉。その名を持つ少女のつま先が視界の隅に映って、彼女が近づいてきたことを知る。
 「貴方は、」何の感情も含まれていない声。あの人を、思い出す。同じように感情の読み取れない声で紡がれた聖書の言葉が、鼓膜の奥で響いている。──あなた方の中に100匹の羊を持っている人がいて、その1匹見失ったとすれば、99匹を野原に残して見失った1匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか──……

「貴方は、自分自身も迷子の羊だと知らなかった。貴方は他の99匹とは違った」
「……知らなかったことが、私の罪?」
「いいえ。貴方、最後は自分で決着をつけたと聞いています。それならば、罪はその時点で清算されているわ」

 じゃあ、私の罪とは一体なんなの。
 いつの間にか、長椅子に寝転がっていた。吐く息がとんでもなく熱い。十字架を握りしめて、全身を震わせているしかない。

「貴方は、新たな罪を犯してしまった。だから今、こんな状態になっているのです」

 呼吸がどんどん浅くなっていく。はくはくと酸素を求めて必死に肺を動かす。苦しい、寒い、怖い。シスターが無遠慮に私の体に跨った。

「あたらしい、つみ……?」
「ええ。分からないのですか」

 歪む視界の中で、カレンの指がそっと落ちてくるのが見えた。胸元、鎖骨の間を爪を立てて撫でられて体が弾む。「ぅっ、あ……っ!はぁ、……ァ」ギリギリと、何かの模様を描くように指先が薄い皮膚の上を踊っていく。カレンの爪は鋭かった。けれど痛みは感じない。ただひたすらに熱い。焼けた鉄を押し当てられたように彼女が触ったところが熱くて仕方ない。
 これは、きっと私が犯したその新たな罪というやつを思い出すまで終わらないだろう。どうしたら思い出せるの。うわ言のように唇から溢れる喘ぎ声の合間に問うた。けれどカレンは昏い笑みをたたえたまま、答えてくれなかった。

 4日目の夜が、終わる。



  
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