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「それでは……グダグダの片想いが永遠に続くかと思われたヘタレのケンジが奇跡的にはむケツをモノに出来たことを祝して」

 冷え冷えのビールが注がれたジョッキを手に、橘課長が乾杯の音頭をとろうとした瞬間、俺の隣に座っていた鬼原課長が、まだ何も飲んでいないのに激しくむせて咳き込んだ。

「おい、今日は創業祭成功の打ち上げじゃなかったのか」
「そうでも言わんとお前が来ねえと思ったからな。とりあえず、乾杯」
「……乾杯」
「かんぱーい! ケンジさんはむさん、おめでとうございます」
「ぴよさん……ありがとうございます。何だか恥ずかしいっすね……乾杯!」

 色々あってそれどころではなかった気がするプラザ801の創業祭は、結果的に、過去最高の売り上げを記録という大成功を収めて幕を閉じた。

 橘課長の話では、限定のノベルティバッグに入った創業記念ビールの人気で酒類の販売が全体的に好調だったことも売り上げを伸ばした大きな要因だったらしい。

「どんどん飲めよ、はむケツ。お前らが今日の主役だ」
「恭輔、田中は酒が弱いんだ。あまり勧めるな」
「“俺はノンケの部下に手を出すつもりはないし、ただあいつを一人前の社員に育て上げることができればそれでいい”とか何とか言ってたくせにいきなり彼氏気取りだな」
「……」
「黙るなよ。今日は散々惚気て俺を楽しませてくれ」

 今日の鬼原課長は、完全に橘課長の玩具扱いだ。

 一応、創業祭後の打ち上げという名目で橘課長と間宮さんがセッティングしてくれた飲み会は、どうやら鬼原課長と俺がうまい具合にまとまったことをお祝いしてくれることが本当の目的だったらしく、突然『本日の主役』扱いされて居心地が悪そうな鬼原課長がちょっぴり可愛くて、疲れた身体にしゅわしゅわと心地好く染み込んでいくビールの旨味を堪能しながら、俺は今までに感じたことのない充実感を味わっていた。

「はー、やっぱり一仕事片付いた後のビールは最高に美味いっすね」 
「ああ」

 ちなみに、『CLUB F』の御用達ビールはライバル会社である渠須ビールのものだけど、鬼原課長も俺も気にしていない。
 課長曰く、趣味の空間に仕事を持ち込まないのは大切なことなのだとか。

 なので、褌兄貴揃いのボックス席の中でただ一人涼やかにスーツを着てシュウさんの隣に座っている爽やかイケメンの鮎川さんが渠須ビールの社員さんだということも、俺は気にしていなかった。
 ここは、褌好きの仲間が集まって日常を忘れることができる癒しの空間なのだ。
 一歩店の外に出てお互いにスーツを着込めばライバル同士になるのかもしれないけど、ここでは鮎川さんはシュウさんの恋人の“夏ふんどし”さんで、俺は“はむケツ”。
 一緒に楽しい空間を共有する大切な友人の一人だ。

「今回のプラザ801の件では田中が本当に頑張ったからな。今季の部長賞は赤井とお前で決まりだと今朝部長から聞いた」
「ほんとですか!? まさか俺が部長賞をもらえる日が来るなんて……これも課長のご指導のおかげです!」

 部長賞、とは言っても、金一封がもらえるような正式なものではなく、お祭り好きの部長が季節ごとに特に頑張った社員をねぎらってお気に入りの栄養ドリンク一ケースを個人的に差入れしてくれるという内輪のイベントなんだけど。
 趣味なのか何なのか、五十を過ぎたおじさんの仕事とは思えないセンスで何とも可愛らしくラッピングされた栄養ドリンクは普通のものより元気になれる気がすると大人気で、俺も自分がもらうことはないだろうと思いつつ、ひそかに憧れていたのであった。

「何だかよく分からんがすごいな、はむケツ」
「はむケツ君、おめでとう。俺も負けていられないね」

 ふんふんと感心したように頷くシュウさんの横で、鮎川さんが爽やかに笑って「はむケツ君に乾杯」とジョッキを掲げる。

「おめでとう!」
「はむケツの部長賞に乾杯!」
「はむさんにかんぱーい」

 誰もが笑顔で盛り上がるボックス席の隅で、一人だけ頬を膨らませていた可愛い小悪魔も「……乾杯」とふくれっ面のまま皆とジョッキを合わせてくれて、鬼原課長と俺は顔を見合わせて笑った。

「何二人で通じ合っちゃってるみたいになってるの!? ケンちゃんのその幸せそうな顔ほんとイラッとする!」

 さすがに未成年をこういったお店で夜遊びさせる訳にはいかず、おかっぱ眼鏡の謙太君がいないためか、クリスさんはちょっと寂しそうだ。

 色々あったあの日の翌日、俺を無理やり引きとめようとしたことを改めて謝るため、クリスさんと一緒に鬼原課長の家に来た謙太君はとても良い子で、何となく好奇心でお願いしてやたらに分厚いダサ眼鏡を外して鬱陶しい前髪を上げてもらったら、素顔は鬼原課長に激似でびっくりしてしまった。
 思春期特有のニキビが消える頃には、謙太君は鬼原課長似のイイ男に成長してクリスさんをドキドキさせているかもしれない。

「いい飲みっぷりだな、にせケツ」
「まだまだ磨く余地はありそうだが、ケンジの甥っ子に目を付けるとはお前はなかなか見どころがあるぞ、にせケツ」
「ケンタ君を見てるとちょっと前までの橘課長を思い出しちゃいますもんね。あの子はイイ男になりますよ。にせケツさん、ちゃんと捕まえておかなきゃ!」
「勝手に変なあだ名で呼ばないで!」

 その美貌で数々の男を手玉にとってきたという誘惑の小悪魔も、褌兄貴揃いのこの店で皆のマスコット扱いで、いつの間にかすっかり店に馴染んでいた。

 こんな風に皆にお祝いしてもらえて、隣には鬼原課長がいてくれて。
 これ以上贅沢を言ったら罰が当たりそうなほど幸せなのに。

 綺麗に盛り付けられた巨大なソーセージの皿を見て、自分の身体より遥かに大きなソーセージを頬張るちびっ子の姿がないことを改めて思い出し、胸がキュッと締め付けられた。




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