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「何なんですか、あの態度っ」
突然のクリスさん登場にピヨピヨと動揺しながらも見事に客の誘導と商品陳列を助けてくれていた間宮さんが、立ち去った小悪魔の背中を呆然と見送っていた俺の横でハッと我に返って怒り出す。
「褌なんか買う訳ないって……褌“なんか”って! 明らかに馬鹿にしちゃってるじゃないですか」
「え、そこですか?」
「あんな偽ケツに、はむケツを名乗る資格ないです。褌のこと、全然分かってないです」
「ぴよケツさん……」
俺への挑発的な宣戦布告というか牽制に対して腹を立ててくれていたのかと思いきや、間宮さんの怒りのツボはそこではなく、クリスさんの褌を小馬鹿にするような発言に対してのものだったらしい。
ぷりぷりと怒りを露わにする間宮さんの横で、飛ぶように売れていく商品を綺麗に並べながら、俺はクリスさんの可愛らしい小悪魔的な笑顔を思い出していた。
「……可愛かったですね、クリスさん」
「何で頬染めちゃってるんですか」
「女みたいっていう訳じゃないですけど、妙に色っぽいっていうか。俺でもああいう人ならアリかなって思いますもん」
「田中さんがほだされちゃってどうするんです。戦わなきゃ」
ちょっと面倒くさそうな人ではあったけど、あの小悪魔な外見と性格がよく合っているせいか、あんな風に絡まれてもまったく嫌な感じはしない。
それどころか、顔を至近距離に近付けられたときには一瞬ドキドキしてしまった。
あの顔なら、その気になれば落とせない男はほとんどいないだろう。
鬼原課長も……あんなに可愛い小悪魔に本気で懐かれたら、あっという間に俺のことなんて忘れてクリスさんに夢中になっちゃうんだろうなと思うと、もう今さら何をどんなに頑張っても俺にチャンスなんてないような気がした。
いよいよ残り少なくなってきたノベルティセットを並べる手が重い。
……とはいえ、ここで踏ん張って売り上げを伸ばしておかないと、部下として鬼原課長の傍にいる資格までなくなってしまう。
「田中さん、後ろに置いてあった分も全部こっちに運んできちゃって大丈夫ですか」
「あ、俺がやります」
「何だか売れるペースが速くなってきましたね」
「この調子だともうすぐ陳列がスカスカになっちゃいますね。そろそろ本社から追加が入る頃なんだけど……」
追加要請の連絡を入れるタイミングは間違っていなかったと思うんだけど、予想外の売れ行きに、もしかしたら一時的な品切れが起きてしまうのではないかと不安になってくる。
もう一度確認の電話を入れるため、売り場から下がろうとしたその時。
「まるで戦場だな」
俺の耳に、聞き慣れた低いハスキーボイスが流れ込んできた。
「鬼原課長!」
「ケンジさ……鬼原さん」
声の方に顔を向けると、そこには感心した様子で売り場の賑わいを眺める男前上司の姿が。
「追加分、とりあえず並べるぞ。残りはバックヤードに置かせてもらった」
物資の輸送という下っ端専門の肉体労働を課長が引き受けなければならないなんて、うちの課に一体何があったんだろう。
「何で……どうして課長が。先輩たち、どうしちゃったんですか?」
「固まるな、手を動かせ」
「はい!」
大慌てで商品を陳列して、次々に横から手を伸ばしてくるお客さまに「ありがとうございます」と笑顔で限定缶を手渡しながら、後ろで間宮さんと一緒に黙々と作業を続ける鬼原課長の様子に目をやると、威圧感のある視線で“働け”という無言の指示を送られてしまった。
どうしよう。
クリスさんの可愛らしい小悪魔っぷりを目の当たりにしてどうしようもなく落ち込んでいた心が、鬼原課長の顔を見ただけであっという間に元気に回復していく。
課長が近くにいてくれるだけで、嬉しくて、心強い。
やっぱり俺って、いつの間にかこんなに鬼原課長のことが好きになっていたんだ。
追加分の缶を並べ終えた課長は、俺の横に立つと、大きな手でねぎらうように軽く背中を叩いてくれた。
「よく頑張っているな。辛口評価の恭輔がお前のことは珍しく褒めていた」
「課長……」
「ロッカーに差し入れを置いておいたから、休憩時間にでも食ってくれ」
「やった! 差し入れって何だろ……ありがとうございます!」
もしかして、心配して、わざわざ俺の様子を見に来てくれたんだろうか。
だとしたら、嬉しい。
嬉しくて、舞い上がってしまうかもしれない。
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