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 やっぱり運命の六尺褌がないと、鬼原課長が何を考えているのか俺にはさっぱり分からない。

 一瞬勘違いしてしまいそうな勢いで甘やかされた挙句、そのまま置き去りにされてしまった俺は、休日の間中、鬼原課長とクリスさんのことを考えながら過ごしていたというのに。
 週明けに出勤してきた課長は、それまでとまったく変わらないポーカーフェイスで、俺を抱きしめてくれたことが幻だったんじゃないだろうかというほど普通にキビキビした厳しい上司っぷりを発揮していた。

 運命の六尺褌は消えてしまったけど、あの時の鬼原課長はまだほんの少しでも俺に好意を抱いてくれている状態だったんだろうか。

 急に俺に興味がなくなったから運命の六尺褌が消えてしまったという訳じゃなく、運命のお相手が変わったことで少しずつ気持ちが変化していく……とか?

 どちらにしても、もう鬼原課長の運命の恋の相手は俺じゃなくて、課長には今クリスさんが急接近しているという事実には変わりない。

 休日の出来事を忘れてしまったかのように普通に声をかけられるたびに、鬼原課長に「もうお前には何の興味もない」と言われているような気がして。
 俺はなるべく鬼原課長に声をかけられなくて済むよう、今まで以上に必死に仕事に打ち込んで過ごしていたのだった。


○●○


 ――とはいえ、俺が悩んでいようが、失恋しようが、仕事というものは情け容赦なくやってくる。

「田中さん!」

 どっぷりと落ち込む余裕もないくらい賑わっている大盛況の食品フロアで、ぎゅうぎゅうの客の間を上手くすり抜けてきた間宮さんが、俺を見つけて嬉しそうにぴよぴよと手を振ってきた。

「間宮さん! 総務の方もヘルプに入ってくださるんですか」
「この賑わいですからね。後から橘課長も来てくれるって言ってましたし……お邪魔にならないよう頑張ります! ところで、先着のノベルティバッグ、あとどのくらいありますか?」

 ぼんやり考えている暇なんてない。
 何しろ今は『プラザ801』創業記念祭真っ只中。

 俺が担当している渠須北店も、フロア中に男性客がムキムキとひしめき合い、売り場は戦場と化していた。

 一緒に『プラザ801』の接遇研修を受けた販売スタッフのバイト君達も、忙しいなか頑張って働いてくれている。

 この日のための限定オリジナルビールにノベルティとして付けたミニトートバッグは、裏面はムキッと逞しい兄貴のケツのアップ写真に『プラザ801』のロゴ、表面は創業記念オリジナルビールの缶だけでブツがギリギリ隠されている股間のアップ写真という何とも際どいデザイン。
 俺ならこんなバッグをもらっても恥ずかしくて持ち歩けないだろうと思っていたのに、他では手に入らないレアさがお客さま達のツボを刺激したのか、ノベルティとのセットは開店と同時に飛ぶような勢いで売れていた。

「そうですね、在庫は……」

 在庫数を訊かれて、俺はエプロンのポケットに入れていたメモを確認した。

「あと五十でラストです。ビールの方は今会社の方から追加分を運ばせているので、今日で品切れになるようなことはありませんよ」
「よかった……これを楽しみにいらしてるお客さまも多いですからね。せめて明日の昼頃まではもってほしいなと思って心配してたんです」
「多めに見積もって正解でしたね」
「食品部のマネージャー、こういう読みは絶対外さない人なんです」

 ふふっと嬉しそうに笑う間宮さんのほんわか癒しオーラが眩しくて、やさぐれていた心がほんの少しだけ元気になった気がした。

 こういう可愛い人だから、あの猛獣橘課長も本気で好きになって、大切にしているんだろう。

 間宮さんのような天使の可愛らしさも、クリスさんのような小悪魔の可愛らしさもなく、ただひたすら地味で鈍臭いだけの俺に一瞬でも鬼原課長が特別な興味を持ってくれたなら、それはもう奇跡としか言いようがない。

 結果はともかく、この一瞬の奇跡には感謝したかった。

 感謝と言っても、鬼原課長に何か俺がしてあげられることなんてないし、アニキには会えないから。せめて今の俺にできることといえば……。

「――仕事、頑張らなきゃ」

 ポツリ、と呟くと、隣に立っていた間宮さんが眩しい笑顔の花を咲かせて頷いた。

「そうですね! 一緒に頑張りましょう」

 鬼原課長が“はむケツ”の俺に言っていた。

 ノンケの部下とどうこうなる可能性がまったくなくても、厳しい上司として部下を立派な一人前の社員として育て上げることができればそれで満足だと。

 だったら、今の俺に出来ることは、一人前の社員になって独り立ちすることしかない。

 それが、一生懸命丁寧に仕事の仕方を教えてくれた鬼原課長とアニキに対する精一杯の恩返しだろう。

 鬼原課長の気持ちは、俺に向けられていないかもしれないけど。

 もしかしたら、アニキももう俺のところには帰って来ないのかもしれないけど。

 落ち込みそうになる気持ちを奮い立たせて、精一杯の笑顔で売り場に並ぶお客さまにお声かけを頑張ろうと顔を上げた瞬間。

「……あ」

 視界に予想外の顔が飛び込んできて、俺は思わず声を零した。

「あっ!」

 相手も俺に気付いたのか、限定缶を手にしたまま動きを止めて俺の顔を凝視する。

 クリッと大きなツリ目に、長い睫毛。
 ふんわりくせ毛風に緩くセットされた明るい茶髪。
 小悪魔的な色気を醸し出す赤い唇。

 この顔は、知っている。



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