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 険しい顔で腕組みして何かを言いかけた橘課長は、間宮さんにチラッと視線をやり、迫力のあるヤクザ顔を優しく緩めて口を開いた。

「間宮、茶が飲みたい」
「あっ、お客さまにお茶をお出しし忘れてました」

 橘課長のひと言にぴよっと立ち上がった間宮さんが「申し訳ありません」と俺に頭を下げる。

「あ、あの、おかまいなく」
「いえいえ、すぐにお持ちしますので」

 褌の天使は、恐縮する俺ににっこりとほほ笑んだ後、応接室から出る直前にドアからひょっこりと顔を覗かせ、橘課長に「俺がいない間に田中さんをいじめちゃ駄目ですよ!」と釘を刺して行った。

 本当にもう、一つひとつの動作が愛くるしいというか……間宮さんが天使過ぎて、癒される。

「――で? 実際のところはどうなんだ、はむケツ」

 癒しの空気にふんわりあたたかな気持ちになっていた俺を、応接テーブルの向こう側に座る野獣が現実に引き戻した。

「ど、どうって?」
「とぼけるんじゃねえぞ」
「ひっ!」

 間宮さんの前では抑えていた剥き出しの敵意が、視線となって突き刺さってくるのが、顔をあげなくてもひしひしと感じられる。

 怖いよ、この人。
 こんな野獣を、間宮さんという首輪なしに放し飼いにしちゃ駄目だろう。

「本当のことを言え。まさかお前、謙二の目を他の男に向けるためにクリスとグルになって今回の小芝居を仕組んだんじゃねえだろうな」
「違いますよ! 俺、クリスさんに会ったこともないですし」

 もし仮に知り合いだったとしても、そんな厄介な人と鬼原課長の仲を取り持つためにわざわざ協力なんてするはずがない。

 大体、こんな可愛い小悪魔君なら、俺なんかの助けがなくても狙い定めた相手を普通に落とすことができるだろう。

 テーブルの上に置かれた写真のクリスさんは男の俺から見てもグッとくる可愛さで、特に褒めるようなところのない地味顔の俺とは比べものにならない魅力に溢れていた。

 ちょっと小生意気そうな感じがまた可愛いというか、ゲイの兄貴さんだったら、一度くらいはこういう小悪魔を泣かせてみたいとか思っちゃうんじゃないだろうか。
 少なくとも、俺とこの小悪魔の二択だったら、普通の人は間違いなく小悪魔の方を選ぶ。

「鬼原課長は……クリスさんがはむケツだって思ってるんですよね」
「そうだろうな」

 あの夜“はむケツ”に向けられていた優しい笑顔が、今はクリスさんに向けられているのかと思ったら、胸の奥がチクリと痛んだ。

「クリスさんにちょっぴり興味を持っちゃったり、するんでしょうか」
「クリスには元々何の興味もないと思うが、はむケツのことは……どこかお前に似ている気がして放っておけないと言っていた」
「じゃあ、はむケツの振りをしたクリスさんに真剣に口説かれたら、グラッときちゃったりとか」
「それは分からんが、元々面倒見がいい男だ。興味を持って褌デビューしようとしている新入りを放っておいたりはしねえだろう。あの夜も……あの後、クリスを連れてどこか他の店で飲み直したらしいしな」

 忌々しげに吐き捨てる橘課長の口調からは、鬼原課長がクリスさんに深入りするのを心配している様子が伝わってくる。

 意図的に仕組んだことではないにしろ、俺のせいで自分の親友とクリスさんが急接近してしまったことには、腹が立っているんだろう。

「ま、お前がクリスをけしかけた訳じゃねえなら、これ以上責めても意味がない」

 本当にそう思っているのかいないのか、橘課長は面白くなさそうに呟いて、応接室の窓の向こうに広がる灰色の空に目をやった。

「どんなに可愛くても何の進展も見込めないノンケの部下を思い続けるより、手近なところで調達できるお仲間に目を向けるきっかけが掴めた方が、アイツのためになるかもしれんな」

 多少痛い目にはあうだろうが、と諦めたように付け加える橘課長の言葉は、俺の胸の奥深くにぐっさりと突き刺さった。

 俺は、本当にわがままだ。

 男同士の恋愛なんて考えられないと思いながら、鬼原課長の気持ちに甘えて、しかも、課長を騙すような真似をして。

 運命の六尺褌が消えてしまった途端、課長の心が俺から離れてしまったことが寂しくて悲しくて、鬼原課長の顔を見るだけで胸が苦しくなってしまうなんて。

 俺に怖がられていることを知っていながら、厳しく優しく、いつも俺を見守ってくれていた鬼原課長が、本当はこんなに大切な存在だったことに、今更気付くなんて。

 アニキもいないし、運命の六尺褌だって消えてしまった今、鬼原課長への気持ちに気付いてしまっても遅いのに。

 小悪魔と楽しそうに笑い合う鬼原課長の姿を想像しただけで、じわじわと嫌な気分が胸を浸蝕していった。

「おい、はむケツ?」
「え?」

 橘課長に呼ばれて顔を上げた瞬間、無意識のうちにじわじわと溢れていた涙の雫が目からぽたっと零れ落ちてスーツの膝に染みを作る。

「あ、あれ、どうしたんだろ。すみません、何か、急に……」
「お前……まさか」

 突然泣き始めた俺に、さすがに驚いたらしい橘課長が腰を浮かせかけたその時、絶妙なタイミングで間宮さんがカップを乗せたトレーを手に応接室へと戻ってきた。

「お待たせしました。いただきもののお菓子があったので、お茶じゃなくてコーヒーに……って、何やってるんですか、恭輔さん!」
「いや、違うんだ間宮、これはだな」
「ちょっと目を離した隙にはむケツさんを泣かせちゃうなんて! いじめちゃ駄目だって言ったのに、何したんですか!」
「違う、俺は本当に何も……泣くほどのことは」

 可愛らしい恋人に叱られて分かりやすく動揺した橘課長が、フォローしろ、と目で合図を送ってくるが、涙は止まらない。

「すみません、本当に、何でもないんです」
「田中さん……」
「橘課長に何かされた訳じゃないですから」

 そう、何でもない。

 鬼原課長のことが好きだったと今さら気付いて、勝手に失恋しただけだ。


 結局、ぴよケツさんの淹れてくれたコーヒーを飲んで何とか落ち着きを取り戻したものの。
 その後、鬼原課長とクリスさんの話をする気になれなかった俺は、さりげなく話題を研修の打ち合わせへと方向転換して……。

 間宮さんも橘課長も、それ以上クリスさんの話題に触れることなく、その日は淡々と仕事の打ち合わせだけをして、モヤモヤとした気持ちのまま解散したのだった。



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