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○●○


 俺は、鬼原課長のことが好きなんだ。

 単純な事実に気付いてしまった途端、胸のモヤモヤはすっきりするどころか、更に重みを増して膨れ上がった。

 恐怖の対象だったはずの鬼上司に、一体いつからこんな感情を抱き始めていたんだろう。

 アニキと出会って『運命の六尺褌』が見えるようになったことで、普段滅多に表情を変えない鬼原課長が、黙っていても怖く見えてしまう顔の下に隠していた色々な感情を読み取れるようになったことがきっかけなのは間違いない。

 言葉はなくても、鬼原課長がずっと俺を支えて見守ってくれているのを感じて、少し不器用なその優しさに甘えるのが心地よくて……。

 男同士とか、上司と部下とか。
 そういう壁を取り払って、一人の男として鬼原課長を見れば、あんなにカッコよくて尊敬できる男前兄貴が俺のような特に何の取り柄も魅力もない地味な男に一瞬の間でも興味を持ってくれていたことが、素直に嬉しかったし、今はその目が俺ではない誰かに向けられているのかもしれないことがどうしようもなく寂しかった。

 あのバーで褌姿の鬼原課長に会ったときに“はむケツ”に向けられる優しさにモヤッとしたのは、分かりやすく言えば、ヤキモチという感情だったのかもしれない。

 もし、運命の六尺褌が消える前に、自分の気持ちに気付くことができたら。
 アニキの力を借りて、鬼原課長に気持ちを伝えられただろうか。

 そうしたら、はむケツが本当は俺だったことを打ち明けて、謝って、橘課長と間宮さんのように、俺も鬼原課長の隣にいられたかもしれないのに。

 そのアニキだって、鬼原課長の『運命の六尺褌』の相手が俺じゃなくなった今は、本当に俺のところに帰ってくるかどうかだって分からない。

 最近は、そんな考えがふと頭をよぎって、不安がどんどん大きくなっていた。

 アニキの目的は、俺を応援することじゃない。
 褌兄貴……つまり、鬼原課長の運命の恋を叶えることなんだから。


「田中、大丈夫か」
「へっ!? は、ああ、だいじょぶ、です。すみません」
「少し駆け足で詰め込み過ぎたか。理解できていないところがあれば、そこからもう一度説明した方がいいみたいだな」

 狭い座卓の上に並べられた資料のページを戻しながら、鬼原課長がノートパソコンの画面と俺の顔を相互に見比べて、理解度を確認しようとする。

「いえ、すごく丁寧に教えてもらって……資料も分かりやすいですし、多分、理解できたと思うんですけど……ちょっとまだ頭の中で整理ができていないというか」

 俺が一番理解に苦しんでいるのは、パソコンの操作でも資料整理のポイントでもなく。
 休日返上で、わざわざ自分が昔使っていた資料まで持って俺の家に来てくれて、個人指導を行ってくれている鬼原課長の優しさだった。

 もう別に俺のことは好きでも何でもないはずなのに、ここまで面倒を見てくれるなんて。

 元々上司としては面倒見のいい人だったから、出来損ないの部下をフォローしてくれているだけなんだろうけど。
 俺が自分の気持ちに気付いてしまった今、休日に自宅で鬼原課長と二人きりというこの時間は嬉しいというかむしろ切な過ぎる。

「鬼原課長は……小悪魔系男子とか、お好きですか」

 もう一度資料をめくり返して、説明し直すポイントを考えてくれている上司の精悍な横顔をぼんやりと見つめながら、ふとそんな質問をしてしまった瞬間、床のうえに胡坐をかいていたはずなのに鬼原課長は突然バランスを崩し、小さな座卓に勢いよく額をぶつけてしまった。

 ものすごく痛そうな、鈍い音が部屋に響く。

「だ、大丈夫ですか、課長」
「ああ……」
「家の中狭くて、散らかっててすみません」

 一応課長が来てくれることになったときに部屋の中は一通り片付けたつもりだけど、適当に買い揃えた家具が何のセンスもなく配置された安アパートの狭い一室は、鬼原課長の住んでいるハイグレードなあの部屋と比べると悲しいほど生活感に溢れている。

「そういうことじゃない」

 ゆっくりと身体を起こした課長は、普段は鋭く獲物を見据えるような目を珍しく泳がせ、強打した額を抑えながら低く呻いた。

「いきなり予想外の質問をされて、驚いただけだ」
「課長でも驚くことがあるんですね」
「……お前は俺を何だと思っているんだ」

 呆れたように深く息を吐いて、男前上司が小さく「小悪魔にも程がある」と呟く。



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