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 場違いなハムスターの覆面姿で現れた“はむケツ”に、鬼原課長はどこまでも優しくて。
 俺のモヤモヤ感は、どんどん膨らんでいった。

「そういうピンク色の褌はなかなか珍しいな」
「え、ええと、友達にもらったんですけど、これしか持ってなくて」
「――そうだったのか、よく似合っている」
「ありがとうございます……」

 普段は全然、そんなにストレートに褒め言葉を口にするタイプじゃないじゃないですか、課長。

「もし他に買うつもりなら、この店の裏通りを進んだところに『F℃ aniki』という店があるから、そこに行ってみろ。あそこなら褌もそれなりの種類が置かれていて、初心者でも気に入る物が見つかるはずだ」
「ふん・どしー・あにき……すごい店名っすね」

 会社ではほとんど業務指示以外で口を開くことなんてないのに、新入りの俺に気を使ってさりげなく話題を振ってくれるなんて。
 おススメの褌屋さんまで教えてくれるなんて。

 こんなに優しくして“はむケツ”が“ケンジさん”を好きになっちゃったら、どうするつもりなんだろう。
 そう思っただけで、モヤッと感が更に大きく膨らんで、胸が苦しくなった。

 会社では仕事一筋のストイックさで女の人をまったく寄せ付けないけど、鬼原課長クラスの男前なら、ちょっと優しくされただけで本気になっちゃう人は多いはずだ。

 課長も男なんだから、そこまで本気じゃなくても気に入った相手に声をかけられれば、ちょっとつまみ食いしてやろうとか思うことだってあるんじゃないだろうか。

 で、そのうち俺のことなんてどうでもよくなったりとか。
 そういうことだって、あってもおかしくない。

「どうした。今夜は大人しいな」
「そう、ですか? ちょっと酔っちゃったかな」

 俺と鬼原課長の間を繋ぐ運命の六尺褌は、さっきからずっと俺の側だけがモニョモニョと揺れ動いて、今の俺の気持ちを表すように波打っていた。

「あの、あの、いちろ、ちょっとよろしいでしょうか」

 消えそうに小さな声が聞こえてきた方に顔を向けると、沈黙を持て余して手を伸ばしたジョッキの淵に、いつの間にかちびっ子妖精がちんまりと腰かけて、おずおずともの言いたげな顔で俺を見上げている。

 この前は店中を飛び回ってそこら辺で好きなだけつまみ食いをしまくっていたのに。
 そして、その謎の敬語は一体何なんだ。

「あのね、いちろがほんとにイヤなら、別にいいんだけどね、桃ポイントのキャンペーン……今日だけのイベントなの」

 そわそわとアニキが気にする視線の先を見ると、いつの間にか時間は進んでいて、分針があともう少しで十二の位置に近づきつつある。

 常連の兄貴たちは時間を気にする様子がまったくなかったから、気付かなかった。

「む、むりなら、いいからねっ。今日が駄目でも、ちゃんといちろがかちょーさんとくっついたら、みんなのところに帰れるもん」

 さっきから俺の様子がいつもと違うことに気付いていて、なかなか言い出せずにいたんだろう。
 健気なことを言いながらもアニキの大きな目はうるうるに涙ぐんでいた。

 会社に行く訳でもないのに、首にはお気に入りのネクタイがきゅっと結ばれていて、いつもと変わらないつんつんの坊主頭にもほんの少しだけ整髪料がついている。

 無理ならいいよ、と言いながらも、やんちゃなちびっこ妖精が久しぶりの里帰りを本当はものすごく楽しみにして、いつもよりおめかしをしていたことに、俺は今更気が付いた。

 アニキを一時的に里帰りさせてやるために残された時間は、わずか数分。

「かちょ、……ケンジさん」

 俺は、胸のモヤモヤ感を吹き飛ばすように、拳を固く握って顔をあげ、鬼原課長の目を真っ直ぐに見つめた。

「ん? 何か食い物を追加で頼むか」
「……ごめんなさい!」
「っ!?」

 俺よりずっと背の高い上司の太い首に手を回し、男前の顔をぐっと引き寄せる。

 次の瞬間、賑やかな笑い声が溢れていたフロアは恐ろしいくらい静まり返って。
 悪役レスラー顔のマスターが落としてしまった、洗いかけのフライパンの鈍い金属音だけが響いた。

「……」
「……」

 唇に触れる、乾いた薄い皮膚の、熱い感触。

 一瞬が永遠にも思える沈黙の中で、俺の耳にはちびっこ妖精が興奮した様子で鼻息をふんふんさせている音が届いた。

「いちろ……ちゅー、してくれたの!?」




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