4


 俺が嫌なら無理をしなくてもいいとか何とか、しおらしいことを言っていたくせに。
 チャンスが巡ってきた途端、俄然やる気になったらしい。

 アニキは、小さな羽根を全力で羽ばたかせながら鬼原課長の周りを忙しく飛び回り、見事に引き締まったケツを指して「ここだよ、いちろ! ここを狙うの! 思いきって、ちゅっとね!」と鼻息をふんふんさせて騒ぎ始めた。

 しょんぼりしていると心配になるけど、元気になった途端うっとうしい奴だ。

「――今日もその仮面で来たんだな」
「へっ!? は、はい!」

 それまで橘課長と話していた鬼原課長に、突然声をかけられて、俺は若干挙動不審気味になりながら背筋をシャキッと伸ばしてこくこくと頷いた。
 もちろん、気は進まなかったけど、声はアニキが通販で買った怪しげな薬で可愛いソプラノに変更済みだ。

「あの、俺……今日は仮面をかぶっちゃいけない日だって知らなくて、というか、素顔で褌は、まだちょっと恥ずかしくて」
「ふうん」

 ハムスターの覆面に褌一丁という変態的な格好の方がよっぽど恥ずかしいのに、鬼原課長は苦し過ぎる俺の言い訳をあっさり信じてくれたらしい。
 褌姿の男前上司は、会社では俺に見せてくれたことがないような優しい顔で笑って、“はむケツ”の頭をぽんぽんと撫でるように軽く叩いてくれた。

「別に、仮面を被ることが禁止されている訳じゃない。そもそも、この店の連中は細かいことは気にしない奴らばかりだ」
「あ……。ありがとうございます」
「そのハムスター顔には何の違和感もないから、安心して飲めばいい」

 やっぱり、ないんだ。違和感。

 優しくしてもらえてホッとしたはずなのに、何故か胸の奥が締め付けられるように痛くなって、ふと見ると、鬼原課長と俺の左手の薬指をつなぐ“運命の六尺褌”は、ぎちぎちに固く縮まってしまっていた。

 何だろう。
 鬼原課長が、俺じゃなくて“はむケツ”に対してこんなに優しい顔を見せることが悔しくて、胸がチリッと熱くなる。

 俺じゃない俺に、こんな風に優しくしないで欲しい、なんて。

 課長を騙すようなことをしているのは自分なのに、どうしてこんなことを考えてしまうんだろう。

 どうしようもなく胸が苦しくて、俺は鬼原課長の顔を真っ直ぐ見つめることができずに俯いた。

「いちろ、どうしたの? 大丈夫?」

 不安げな顔で俺を見上げるちびっこ妖精に何とか笑顔を返して安心させてやろうと思ったその時、ハラハラと落ち着かない様子で俺と鬼原課長の様子を見守っていた間宮さんが、突然ぴょこっとうずくまって、橘課長の褌をくいくいと引っ張った。

「どうした、間宮!」
「あいたたた……。何だかお腹が急にいたいです」
「……腹?」
「痛いよ、痛いよー。これはどこかで一休みしなきゃいけない気がします」
「……」

 突然始まったすがすがしいまでのセリフ棒読み小芝居に、橘課長も鬼原課長も、一体何事かとリアクションを返せずにいる。

「俺は課長とちょっとそこらへんで新鮮な空気を吸ってきますから、はむケツさんはケンジさんと一緒に飲んでいてください! ね、課長?」
「……俺も、新鮮な空気とやらを吸いに行くのか」
「当然ですよ! さ、あとは若いお二人にまかせて、俺たちは退散です!」
「腹が痛い割には元気そうだな、お前」

 間宮さん……。
 可愛いけど。ものすごく可愛いけど。

 何もかもが露骨過ぎて、鬼原課長と俺を二人きりにしようという魂胆が見え見えだ。

「やったね、いちろー! これはぜっこうのチャンスです」

 いやいや。ここでいきなり二人っきりにされても。
 喜ぶアニキを他所に、さり気なく橘課長の寄り添ってぴょこぴょことフロアを去っていく間宮さんの可愛いケツを見送り、気まずさ全開で鬼原課長の顔をそっと見上げると。

 鬼原課長も、同じく気まずそうな顔で俺を見て困ったように笑い、カウンター席を顎で指した。

「こんな所にずっと立っていても仕方ないだろう。せっかく来たんだ。とりあえず、飲め」
「そうですね」

 考えてみたら、鬼原課長は顔がコワモテ系の男前で眼光が鋭く、飲み会帰りに課員と歩いていただけなのに、本職のヤクザさんがどこかの組の幹部と間違えて道を譲ったという現場は俺も目撃していたから、単なる噂でもないんだけど……。

 いつも厳しさと同じだけの優しさで課員を見守ってくれる面倒見の良い上司だし、慣れない店にきて戸惑っている客がいれば、それを放っておくような人じゃないんだ。

 だから、別に俺が“はむケツ”じゃなくても、誰にでもこうして気にかけてくれるはずで、そこに深い意味なんてない。
 ――そう思いながらも、何故か、胸の奥の小さな痛みはずっと消えなくて。

 俺は、真っすぐに伸びる白い六尺褌を辿って、置いていかれないように必死で、鬼原課長の大きな背中と引き締まったケツを追いかけたのだった。



(*)prev next(#)
back(0)


(47/89)
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -