8



○●○


「恭輔の奴は何を言っていたんだ」
「何って……ええと、研修の心構え、とか、ですかね」

 会社に戻る前に寄り道してコーヒーを飲んで帰るという鬼原課長の提案で、俺の目の前にはほかほかの淹れたてコーヒーが。

「わざわざ打ち合わせ後にお前を捕まえてまで話すことか。仕事熱心にもほどがあるな」
「はは、そうっすね」

 繁華街のはずれにひっそりと佇む小さなカフェはとても雰囲気が良く、初めて訪れるのに居心地が良くて、課長と顔なじみらしいアゴ髭の店長さんは嬉しそうに世間話をしながら「ケンちゃんが会社の人を連れてきてくれるなんて初めてだから、可愛いお兄さんの分だけオマケしちゃうわ!」と言って、大ジョッキサイズの耐熱グラスに、淹れたてのコーヒーをなみなみと注いでくれたのだった。

 予想外のボリューム感はともかく、コーヒーの味は文句なしで、すごくイイ店なんだけど……。
 店に入ったときから店長さんが微妙にオネエ口調なのが、どうしても気になる。

 特に店長さんの見た目が女性的とか、そういうことではないし、店長さんの横に立って静かに食器を磨いているもう一人のスタッフ君も、ずいぶんと可愛い顔をしているなとは思うけど普通の男の人っぽいし……ここは一応、あの褌バーのような人達が集まる店という訳ではないという理解でいいんだろうか。

「いちろ、こーひー美味しいよ! いいお豆使ってるの、分かるもん。あったかいうちに飲んだ方がいいよ!」
「……」
「あー、いいお味。深煎りのかんじが好き! ちょっぴり甘いものとかもほしいよね」

 大ジョッキサイズの耐熱グラスの淵にちんまりと腰を下ろし、どこから取り出したのかやたらに細長いストローでちゅーちゅーとコーヒーを味わっているちびっこ妖精には気付かない振りをして、俺は落ち着いた店内をそっと見回した。

 鬼原課長のいないところで橘課長に追い詰められたときは怖くて不安で堪らなかったのに、こうして隣に課長がいてくれるだけで、絶対的な安心感がある。

 橘課長との間に何があったのか、それ以上詳しく尋ねるようなことはしないけど、運命の六尺褌がふんわりと優しく左手の薬指を包み込んでくれていて、鬼原課長が俺を守ってくれているような気がした。

「鬼原課長って……優しいですよね」
「!?」

 アニキが乗ったままのグラスをそっと持ち上げ、ふんわり優しい香りのコーヒーを口に含んで呟くと、隣の席から急激に噎せたような課長の苦しげな声が聞こえてきた。

「だ、大丈夫ですか、課長」

 のんびりちゅるちゅるとコーヒーを飲みながら、ちびっこ妖精が「今のはいちろーが悪いもん」と俺にダメ出しを飛ばしてくる。

「突然何を言い出すんだ」

 スタッフ君に差し出されたおしぼりでカウンターテーブルの端を拭いて、鬼原課長はまじまじと俺の顔を見つめ返してきた。

「突然っていうか、前から思ってたんですけど、敢えて言う機会がなかったというか」
「別に優しくはないだろう。むしろ、他課の課長よりお前たちに厳しく接している自覚はある」

 もしかして、こういう風にストレートに好印象を伝えられることには慣れていないのか、普段から初対面の人に威圧感を与えてしまう無表情な男前の顔を更に険しくして、あからさまに目を逸らしている照れ隠しっぷりが何だか少し可愛い。
 今なら、左手の薬指を繋ぐ白い褌が激しく脈打っているのが見えなくても、鬼原課長が何を考えているのか分かる気がした。

「確かにちょっと怖いなって思うときもあるんですけど、でも、課の先輩たちも皆鬼原課長を尊敬して慕っているから、うちの課って団結力があるじゃないですか」
「……あのな、田中。そんなに褒めなくてもここは俺の奢りだから安心しろ。食いたいなら、ケーキも頼んでいい」
「違いますよ! 本当にそう思ってるんですってば!」

 どうして、鬼原課長がドキドキしていると、俺もドキドキするんだろう。

 自分でもよく分からないこの気持ちが、運命の六尺褌を通して、鬼原課長に伝わってしまったらいいのに。

 そんなことを考えて、もう一口すすったコーヒーは、ほんのり優しい香りの後に苦みを残して、消えていった。



(*)prev next(#)
back(0)


(43/89)
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -