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「何の真似だ」

 じりじりと距離をを詰められて、俺は積み重ねられた在庫品の段ボールの間に挟まるようにして、背中を壁にぴったりとくっつけた。

 この時間はあまり忙しくないのか、それとも逆に忙しすぎて売り場を離れられないのか、バックヤードを兼ねた薄暗い社員用通路に人の気配はなく、絶体絶命感が更に増す。

「何の真似って……何のことですか」
「この状況で白を切れると思うな。土曜の仮面褌パに来ていたのはお前だろうが、はむケツ」

 決して怒鳴っている訳ではないのに、橘課長の低い声は怒りの色を含んでいて、鋭い獣の瞳に睨まれるだけで身体がすくむ。
 というか、こんなに緊迫した場面なのに“はむケツ”というやたらに間の抜けたあだ名がすべてを台無しにしてしまっているような気が。

「いちろ、たちばなかちょーさん何だか怒ってるよ」

 そんなことは、わざわざ言われなくても見れば分かる。

 俺の頭の上に着地して「いちろーは何も悪いことしてないもん!」などと、聞こえてもいない反論を橘課長にぶつけるちびっこ妖精の何ともほのぼのとした空気感もこの場面にはまったく合っていないけど、今はそれを気にしている暇もなかった。

 一歩、また一歩と間合いを詰めて、牙を剥いた獣が近づいてくる。

「ケンジが惚れてるノンケの部下ってのがお前だろう」
「!」
「言え。あの晩、あの店に何をしに来ていた」
「な、何と言われても」

 本当に俺は、何をしにあの店に行ったんだろう。

 鬼原課長が本当に褌を締めているのかどうかを試したかったのが元々の理由なのかもしれないけど、結局何がしたかったのかは自分でもよく分からないし、褌妖精云々という説明を橘課長にする訳にはいかなかった。

 本当に喰われてしまうんじゃないかという距離まで追い詰められて、俺は質問に質問を返した。

「どうして、俺があの晩の……はむケツ、だって分かったんですか」

 橘課長の怒りオーラは怖いし、絶対絶命の大ピンチだというのに、はむケツという単語には何だか力が抜けてしまう。

「そんなもんは、ケツを見れば分かる」
「ケツ!?」
「ケンジはまだ気付いていないのか、気付かねえように自分に暗示をかけているのか分からんが、お前とはむケツが他人とは思えないレベルで似ているとは思っているだろう」

 そういえば、鬼原課長もそんなようなことは言っていた。
 ケツで個体識別できるなんて、この人たちの感覚は一体どうなっているんだろう。

 ふと、仮面褌パーティーの夜、ハムスターの仮面を被った俺が片想いの相手に似ていると呟いていた鬼原課長の顔を思い出して、胸の奥が鈍く痛んだ。

 そういうつもりじゃなかったけど、やっぱり俺は課長を騙していることになるんだろうか。
 課長の気持ちを知りながら、他人の振りをして中途半端に励ますようなことを言って。
 もし課長が知ったら、絶対に俺を軽蔑して、嫌いになる。

「見るからにノンケのお前がああいった店に好んで出入りするはずはない。日頃厳しく指導されている腹いせに、上司の弱みでも握ってやろうと思ったか?」
「違います! そんなんじゃありません!」
「じゃあ、どうしてあんな格好でケンジの前に現れたんだ」
「それは……」
「あいつは俺の親友だ。軽い気持ちで傷つけようとしているんだったら、ただじゃ済まさねえぞ」
「ひっ!」

 大手デパートの総務課長なんてウソだろ、この人。どこのヤクザだよ!

「いちろをいじめちゃだめっ!」

 アニキが俺の目の前に飛び出してバッと両手を広げ、極道な総務課長から俺を守ろうと身体を張ってくれたのは嬉しいんだけど。
 そんなちびっこい身体で両手を広げられても何のガードにもならないし、そもそも橘課長にはアニキの姿は見えていない。

 超至近距離で凄まれて、涙目になりかけたその時。
 橘課長の背後で、積み上げられた段ボールが崩れる音がした。

「あ……間宮さん!」
「間宮……?」

 地獄に仏とはまさにこのことだろう。

 橘課長の戻りが遅かったので探しに来たのか、階段脇の段ボールの影からこっそりこちらの様子をうかがっていたらしい間宮さんに、俺は視線で助けを求めたんだけど。
 間宮さんは大きな目を見開いて、壁際に追い詰められた俺と野獣丸出しの橘課長の姿をゆっくり交互に見つめ、その目をじんわりと潤ませたまましばらく呆然とその場で固まってしまった。

「え、ちょっと、間宮さん?」

 これは、まさか。
 っていうか、確かにこの状況は誤解されてもおかしくない状況かもしれないけど。

「あの、間宮さん、これは……そういうアレじゃないですよ?」
「し、失礼しました!」
「おい、間宮! 待て!」

 俺のフォローが聞こえていたのかいなかったのか。
 長いまつげをパシパシッと瞬かせて、間宮さんは今にも泣きだしそうな顔で踵を返し、早足で階段を駆け下りて行ってしまったのだった。



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