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子供なんてどこにいるんだろうかと辺りを見回していると、もう一度。
「ぷりーず、へるぷみっ!」
今度は微妙な発音の英語で助けを求める声が聞こえてきた。
声は野良猫達の集まる電柱の陰から聞こえているような気がするけど。
どんなに小さな子供でも、さすがにあの幅の電柱に隠れることなんてできないような……。
「うわぁあん、たすけてぇえ! ネコに食べられるー!」
「分かった分かった、猫を追い払えばいいんだろ」
近所のやんちゃなちびっ子がどこかに隠れていたずらしているのかなと思いつつ。
半泣きの声が気になった俺は、とりあえず、ミァアミャアと興奮した様子の野良猫どもに近付いて彼らを追い払ってやった。
「ほら、こんな狭い道路脇で集会なんてしてると危ないぞ。お前もあっちに行け」
最後まで残っていたトラ猫が、チラチラと電柱の陰を気にしながら、意外に身軽な動きでブロック塀に飛び乗って去っていく。
「もうネコ、いなくなった?」
どこからか恐る恐るといった様子の声が聞こえてきて、俺は辺りを見回しながら答えた。
「全部追っ払ったぞ、もう大丈夫」
「たすかったぁ……!」
「んん?」
声はかなり近くで聞こえているのに、子供の姿が見えない。
もしかして、この塀の裏に?
――と、ブロック塀越しに勝手に他所様の庭を覗き込んでいると、更に大きな声が聞こえてきた。
「ちーがーう! ここだってば!」
「え……?」
聞き間違えや空耳じゃなければ、声は俺の足元から聞こえているような気がする。
何でそんなところから声がするのかと、ゆっくり視線を下ろした俺の目には……。
何と、靴の先にちょこんと乗っかって、くいくいとスラックスの裾を引っ張る手乗りサイズの小さな人形が飛び込んできたのだった。
「……」
「たすけてくれてありがとう」
「……えぇええっ!?」
動いている。
そして、喋っている。
キューピー人形のパクりっぽい感じの、この人形が!
「やっぱり早く帰ってメシ食って寝よう」
「メシって、ごはん!?」
人間、疲れていると幻覚症状があらわれることもあるそうだ。
今の俺は別にオーバーワーク気味という訳でもないけど、鬼より怖い鬼上司の下で日々働き続けることで、精神的にちょっと疲れているのかもしれない。
「ごはん、たべたい!」
「聞こえない、俺には何も聞こえないし見えてもいない」
「たすけるついでに、ごはんも下さい。おなか、ペコペコなの」
すべてを見なかったことにして立ち去ろうと思っていたのに、そのちびっこい“何か”は、一生懸命スラックスを掴んで俺の足をのぼってこようとする。
しかも途中で力尽きて落ちそうになったものだから、俺は思わず屈んで手を差し出してちびっこい“何か”を受け止めてしまった。
「うぅ……おなかがすいて、力が出ないよ」
これは一体、何だろう。
両手に乗せた謎の人形をよく見ると、ぷっくりと柔らかそうな幼児体型はよくある人形に似ているが、開発者はどういったセンスの持ち主なのか、ぷにぷにの尻にはパンツでもオムツでもなく、何故か白い褌らしき物がキッチリと締められている。
背中には、ピクピクぷるぷると弱々しげに震える小さな翼。
必死になってスラックスをよじ登ろうとしていたところを見ると、もしかしたらエネルギー不足で飛ぶことができないのかもしれない。
いがぐり坊主頭のちびっこは、俺の手の中にちんまりと座って、大きな瞳でじっと俺を見上げてきた。
「けちけちしないで、ごはん下さい」
「うわ、ムカつく態度だな!」
「だって、これ以上おなかすいたら動けなくなっちゃう」
そもそも、人形というのは動いたり喋ったりしないものだろう。
やっぱり何も見なかったことにして、このちびっこを元あった電柱の裏に置いて帰ろうと思ったんだけど……。
運悪く買い物帰りの親子が通り掛かって、母親と手をつないだ小さな女の子が思いっきり俺を指さして大きな声で母親に告げたのだった。
「ママ、あのお兄ちゃん人形とお話してるー」
「駄目でしょ、指ささないの!」
露骨に警戒心を表した母親が、女の子の手を引いて俺の手元をじっと見つめ、すぐに目を逸らす。
裸同然の格好の幼児の人形を手に、独り言を呟くサラリーマン風の男。
今の俺は、警察に通報されてもおかしくないレベルの不審者だ。
「ごはんー、ごはんがたべたいよー!」
「わ、分かったから。少し黙ってろ!」
まだモゾモゾと手の上で動くちびっこを隠すようにスーツのポケットに突っ込んで、俺は、曖昧な笑みを浮かべて親子に頭を一つ下げ、足早にその場を去ったのだった。
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