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 ショボくれるという表現は、まさに俺のためにある言葉だ。

 今この瞬間、世の中に、俺以上にショボくれたサラリーマンはいないに違いない。



 木枯らしが吹きすさぶ夕暮れの道を、俺はトボトボと俯きながら歩いていた。

「はー……」

 頭の中で何度も再生されるのは、本物の鬼よりも怖いんじゃないかというほど恐ろしい鬼上司の声だ。

 今日もまた、叱られてしまった……。

『田中、お前ももう新人じゃないんだ。いつまでこんなミスが許されると思っている』

 実際、今日のミスは言い訳もできないくらいひどかった。

 新商品のビールと一緒に納品するはずだった店舗用のポップとポスターを間違えて別の商品の物を送ってしまい、店の担当者から連絡を受けて直接持って行くという新人でもやらないようなことをしてしまったのだから課長の言うことは正しいし、言葉だけならそこまでひどいことは言われていないんだけど。

 妙に凄味のある切れ長の目で睨みつけられ、ドスの効いたあの声で名前を呼ばれると……もう、生きた心地がしない。

 入社以来最も苦手な上司、地玖ビール本社営業一課の鬼原謙二課長の顔を思い浮かべただけで、俺の口からは鬱陶しいほどに重いため息がこぼれ落ちたのだった。

 ちなみに、鬼原課長は鬼のような恐ろしさをそのまま表したようなすごい名前だが、読み方はオニハラではなくキハラだ。
 もちろん、俺は心の中でオニハラ課長と呼んでいる。

 うちの会社は能力主義が徹底されているので他社と比べて若い管理職が多い方だと思うけど、それでも三十三歳で本社の営業課長というのは異例の大出世らしい。
 仕事に対して一切妥協しない厳しい姿勢は部下に対しても徹底されていて、それでも、努力している課員へのフォローは惜しまないから、課の人間は皆怖がりつつも課長を慕っていた。

 まあ、課長は独身だし、くっきりとした目鼻立ちが凛々しい男らしさを感じさせる正当派の二枚目だから、それだけで女性社員たちには絶大な人気があるし。

 俺も、好きか嫌いかでいえば、別に課長のことは嫌いじゃない。

 すごく仕事はできるし、格好いいし、男として尊敬はしているけど。
 ただ、苦手なだけだ。

 何て言うか……気のせいかもしれないけど、俺に対しては特に評価が厳しいというか、周りと同じように働いていてもチェックを入れられる頻度が高いような気がするというか。
 とにかく、何度もあの鋭い瞳で睨まれて叱られているうちに、いつの間にか俺は課長恐怖症になってしまったのだ。

「明日も仕事とか、ほんと憂鬱過ぎる」

 明日どころの話じゃない。
 明後日も、その次の日も。
 たまに休日を挟むとはいえ、俺か鬼原課長が異動するまで、ずっと俺はあの鬼上司の下で働かなきゃならないんだ!

「はああぁ」

 もう駄目だ。
 とりあえず、これ以上考えるのはよそう。

 アンニュイ感たっぷりのため息を吐き出し、今日はもう近くのコンビニで弁当でも買って帰ろうと通りの角を曲がると、電柱の周りに近所の野良猫達が集まって何やらミャアミャアと騒いでいるのが見えた。

 猫の集会なんて、珍しい。
 貫禄たっぷりのトラ猫に、三毛、クロ、シロ。
 一瞬ほっこりなごやかな気持ちになった俺の耳に、どこかから半泣きの子供の声が聞こえてきた。

「だれか、たすけてっ!」



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