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 会社ではひと睨みされただけで身体がこわばってしまうような迫力の鬼上司なのに、鬼原課長の個人指導は意外にも優しくて、分かりやすいものだった。

「こうやって自分用のフォルダに参考資料をまとめておくと検索が早いですね」
「季節ものの商品は普段から前年より前の資料も確認するようにしておくと、自然に傾向が掴めるから柔軟な対応がしやすい」
「なるほど……これからはそうします!」
「表の作成法は今ので大体分かっただろう。試しにこの研修用のサンプルデータをまとめてみろ」
「はいっ」

 慣れないキータッチで俺が変な操作をしてしまう度に、修正の仕方まで丁寧に教えてくれる上司の顔が、いつも以上に頼もしく男前に感じてしまう。

 ……たまにマウスの上で手が重なってしまったりすると、ギチギチに固くねじれている白い褌がぶわっと膨らんで一瞬で元のねじねじ状態に戻るという不思議な反応を見せるけど、鬼原課長本人はいたって冷静で、普段と変わらないポーカーフェイスのままだから、六尺褌の謎の反応はあまり気にしなくていいんだろう。

「大丈夫か」
「は、はい。さっき教えていただいたので、ちゃんとできると思います」

 こんなに丁寧に教えてもらえるなら、怖がったりしないで、もっと早く課長に頼っていればよかった。

 今までよりも少し成長できた気がするのが嬉しくて、夢中になってパソコンに向かう俺の顔をじっと見つめながら、鬼原課長は低い声でポツリと呟いた。

「……やっぱり、似ているな」
「え?」

 俺が、誰に似ているんだろう。
 まさか……ハムスター?

 昨日の褌バーで、逞しい六尺褌姿で仮面をつけた鬼原課長が俺を……というか、同じ職場で働いているノンケの部下のことを、ハムスターに似ていると言っていたことを思い出して、俺は首を傾げた。

「田中、お前、兄弟はいるのか」
「はい、年の離れた姉が一人います。姉は両親のいいトコ取りで、弟の俺が言うのもアレですけど要領も良くて結構美人なんで俺とは全然似てないんですよ」
「……そうか」

 そうか、って。

 そこから話を広げるつもりがないなら、どうして突然そんなことを聞くんですか、課長。
 俺はこの後、一体どうすれば。

 頭の上に疑問符を並べながら固まる俺の様子に気付いたのか、課長は珍しく、困った顔で笑って言葉を続けてくれた。

「昨日、行きつけの店で会った客がお前に似ていた気がしてな」
「行きつけの店……」

 というのはもちろん、褌兄貴達が集うあの褌バーのことなんだろう。
 もしかして、俺に似た客というのは……まさに俺のことだったりするんだろうか。

 昨日は仮面どころか、顔の原型すら分からないハムスターの覆面をかぶっていたはずなのに。
 万が一あれが俺だったとバレたらどうしよう、と忙しく動揺する俺の顔をじっと見つめて、課長は口元に、微かに優しい笑みを浮かべた。

 多分、以前の俺だったら気付かないくらいの僅かな表情の変化だ。
 今は、運命の六尺褌が課長の気持ちを伝えてくれるからか、それとも昨日、会社では見られない課長の素顔を知ってしまったからなのか、ポーカーフェイスに見える男前の顔の下で、課長が本当はいつも優しく俺を見守ってくれているのが分かる。

「そんなに似ていたんですか、そのお客さん」
「いや……顔は見ていないからな」
「えっ、それじゃ、似てるっていうのは」
「何だろうな。よく考えてみると顔も服装も全然違うはずなのに、どうしてお前に似ていると思ったのか……不思議だな」

 たしかに、昨日褌バーで出会った客は俺本人なんですけど。
 顔はハムスターの覆面、服装は褌一丁という怪しげなあの格好から、少しでも俺の気配を感じとれる勘の鋭さがすご過ぎる。

 というか、行きつけの店で会った客の顔を見ていない状況って……。敢えて深くは突っ込まないけどかなり不自然ですよ課長。

 話しているうちに、自分でも何故昨日の覆面ハムスター男から俺を連想したのか疑問に思ったらしく、腕を組んでしばらく何やら考えていた男前上司は、やがて納得したのか、カタカタと作業を再開した俺の耳に届くか届かないかの声で小さく呟いた。

「――ケツが似ていたからか」
「……」

 ケツで個体識別ができるんですか、課長。

 当然、俺は反応に困るこのひと言を聞こえない振りで乗り切って黙々とキーボードを叩き続けたんだけど。

 すぐ隣で俺の作業を見守ってくれている上司の視線が時折ケツ付近に熱く注がれているのを感じて、その後しばらく、人生で一番落ち着かない時間を過ごすはめになったのだった。



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