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「どうした。何か珍しいものでもあるのか」
「あ、いえっ! とても……素敵なお家だなと思って」
インスタントではなく、わざわざドリップしたコーヒーを手に戻ってきた課長に声をかけられて、俺は反射的に背筋をピンと伸ばして答えた。
一人暮らしには広過ぎるんじゃないかというような課長の部屋は、どの家具もセンスが良くて、庶民暮らしの俺には珍しい物だらけだ。
オーディオだってとんでもなく金がかかっていそうだし、テレビ横のラックも、上品なデザインでさりげなく置かれているけど、多分聞いたらびっくりするような値段のものだろう。
確かにうちの会社は規模としては大手に属するし、社員の待遇はかなり良い方だと思うけど、課長職と平の課員でここまで生活が違うものなんだろうか。
あと十年務めて何かしらの役職がついても、自分がこんなハイグレードな生活を送れるとは思えない。
「別に、普通だろう」
「でも、このマンションの外観も内装もカッコいいし、課長のお家の家具とかもすごくお洒落ですし」
やっぱりキョロキョロと部屋の中を見回してしまいながら、礼を言って、課長の淹れてくれたコーヒーを飲む。
淹れたてのコーヒーは、ふんわり優しい香りと味がした。
「まあ、建物自体は悪くないだろうな。何しろ、カレスエステートの営業をやっている友人がおススメの優良物件を破格で紹介してくれたものだ」
「えっ! お友達価格ですか! こんな高そうなマンション、お値引きとかしてくれるんですか!?」
「オーディオ類は奮発したが、家具はモデルルームで使用していた展示品を安く買えたしな」
「えええ! すごい! うらやましい……!」
モデルルームで使用済みとはいえ、こんな良さそうな家具を安くで売ってくれるなんて。
どんだけ課長のことが好きなんだ、その友人さんは。
俺が興奮しすぎたせいか、課長は珍しく笑って、悪戯っぽい目を向けてきた。
「相談してくれれば、いつでもいい物件を紹介させるぞ」
「や、えっ、と、あの、まだ引越しの予定とかはないんで……」
仮に今の安アパートから引っ越すにしても、俺がこんなすごいマンションに住むことはないだろう。
「というか、むしろこのまま課長の家に下宿させてもらっちゃいたいです。俺意外に料理とか家事は得意なんですよ、……なんて」
はは、と笑おうとして、俺は静かにびっくりした。
もう日常風景の一部に馴染んで意識すらしていなかった、左手の薬指をつなぐ六尺褌が、もの凄い勢いでぶわっと膨らんで、一瞬で元に戻ったのだ。
しかも、よく見ると、いつもはふんわりと宙を漂うように伸びている白い布が、今日は何故かギチギチに固くねじれて鎖状になっている。
「課長?」
無言のまま固まる上司に俺が首を傾げると、課長は我に返ったように硬直を解き、飲みかけていたコーヒーを一気に飲み干した。
「……そろそろ始めるぞ、パソコンを開け」
「あ、はい! よろしくお願いします」
いくら住み心地の良さそうな家だからって、さすがに下宿したいというのは冗談にしても図々しかったか。
ぎちぎちにねじれた六尺褌をよく見ると、白い布は、油断すると解けそうになる自分自身を戒めるように時折ギュッと強く固くひねられているように見えた。
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