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謎の褌バーで鬼原課長の意外な素顔を知ってしまったその翌日。
「お……お邪魔します」
俺は、緊張のあまり若干声を裏返らせながら、手土産持参で課長の家を訪れていた。
鬼原課長の住むマンションは、海外でも有名な建築家がデザインを手掛けた物件らしく、外観もさることながらエントランスや廊下も洗練された雰囲気で、内装にまでハイグレード感が漂っている。
まさか課長が、こんなにお洒落なマンションに住んでいたとは……。
しかも、いつもはきっちりと隙なくセットされた髪が今日は自然に軽く後ろに撫で上げられた状態で、白いシャツのボタンを胸元まで開けて無造作に腕まくりをしているという休日ファッションが、とてつもなく格好良い。
この男前上司が、今この瞬間にも、上品な大人の色気を漂わせる私服の下に褌を締めているのかもしれないなんて。
「とりあえずその辺で適当にくつろいでいてくれ」
「……はい」
くつろいでくれと言われても。
部屋の中に鬼原課長と俺しかいない状態で、どう頑張ってもくつろげる気はしなかった。
せめて、アニキがいてくれれば少しは緊張も和らいだかもしれないけど。
家で留守番しているちびっこ妖精の顔を思い浮かべて、俺は小さくため息をついた。
○●○
週末、俺が鬼原課長の家でパソコンの基本的な使い方を教えてもらうという約束をした時には大興奮してはしゃいでいたアニキだったが、今日は一人で留守番だ。
いつも早起きで目覚まし時計変わりに俺を起こしてくれるちびすけが珍しくいつまでも起きてこないので、ふかふかにティッシュペーパーを敷き詰めた、アニキお気に入りのベッドである小さな菓子箱を覗き込んでみると、ちびっこ妖精は小さな羽根を力なくぴるぴると震わせたまま、菓子箱の隅でティッシュにくるまってちんまりと座っていた。
「アニキ……? おい、どうしたんだよ、大丈夫か!?」
明らかにアニキの様子がおかしいことに気付いて、俺は青ざめた。
こんなに小さな生き物を、一体何の病院に連れて行ったらいいんだろう。
そもそも、俺以外の人間には見えないアニキを、どうやって診察してもらったらいいんだ。
保険がきかないと色々マズいことがあるんじゃないだろうか。
恐る恐る手を伸ばしたまま、小さな身体に触れていいのかと戸惑っている俺の顔を見上げ、ちんまりぷくっとした手で俺の指先にそっと触れて、アニキは弱々しい声で訴えてきた。
「うんとね、きのうのおみせでたべすぎちゃって、おなかが疲れて動けないの」
「……」
「褌妖精は、たべすぎるとおなかが痛くなるの」
それは、いわゆる……食い過ぎというやつだろうか。
褌妖精じゃなくても、あれだけ食べれば腹は痛くなる。
昨日は自分の体積を遥かに超える量のソーセージやら何やらをものすごい勢いで食べつづけるアニキの身体の構造に圧倒されていたが、やっぱり腹は痛くなるのか。
「びょうきとかじゃないから、やすんだらすぐなおるんだけど、今日はちょっとうごけないかも……」
「無理しないで寝てろって。牛乳とパンのかけらは置いておくけど、食い過ぎるなよ」
「うん。いちろ、ありがと」
「胃薬、いるか?」
「おくすりとかは嫌いなの」
「……あ、そう」
鬼原課長の家に行くのを楽しみにしていたらしく、アニキのしょんぼりっぷりは相当なものだったが、それでもちゃっかり者の妖精は、昨日見せてくれた『桃ポイントカード』を取り出して俺にポイント換算の説明をするのを忘れなかった。
「あのね、ご自宅訪問は、二人のお家をおたがいに訪問すると桃のスタンプが一個もらえるから、今回は半桃なの」
「……いや、俺そのカードに全然興味ないし」
「かちょーさんがいちろーの家に遊びに来たらポイントがもらえるから、今度来てくださいってお誘いするの忘れないでね」
「する訳ないだろ、お誘いなんて」
「あと、初ちゅーはボーナスで桃ポイントが三倍になるらしいから、できれば今日ちゅーまでできるようにがんばってね!」
「しない!」
大きな目を潤ませて弱々しく頼まれると、非常に断りにくいものがあるが、それとこれとは別問題。
今日は、早く一人前の課員になるために、仕事を教えてもらいたくて上司の家に行くだけだ。
自分にそう言い聞かせて、俺はアニキを家に残し、課長の家にやってきたのだった。
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