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怪しげな実験器具に縛りつけられ、注射を打たれそうになって泣きながらバタバタ暴れているちびっこ妖精を想像して青ざめる俺を余所に、当の本人はご機嫌でピンク色のネクタイを結び直し、自慢げな顔でチラッチラッと俺を見つめてくる。
「ネクタイにあう?」
「いや、似合うとか似合わないとかじゃなくて。会社は駄目だろ」
「だいじょうぶだもん。それよりいちろー、早くじゅんびしないと遅刻しちゃうよ」
「はっ、ヤバい!」
いつもより早く起きたことで少し時間に余裕があるとはいえ、いつまでもこんな調子でいると本当に遅刻してしまう。
ベッドから抜け出した俺がダラダラと顔を洗っているうちに、アニキはトースターにパンをセットして焼き上げ、ちびっこい身体でスプーンを抱えて「よいしょ、よいしょ!」と一生懸命インスタントコーヒーの粉をコップに入れようとしていた。
「いちろー、朝ごはんのじゅんびできたよ! コーヒーにお砂糖とミルクは入れるひと?」
「入れないけど……すごいなお前。そのちびっこい身体でよくパンをセットできたな」
「“力持ちのふんどし”を締めると、おっきいものも簡単にもてるの」
「ふーん」
力持ちのふんどしって何だよ、とは敢えて突っ込まない。
コイツの存在自体が未だに謎過ぎて、疲労のあまり自分が幻覚を見ている可能性も否定できないし、運命の六尺褌にしても何にしても、考えるだけ疲れるから何も考えず受け流すに限る。
「さっきの話に戻るけど、会社には来るなよ」
「や!」
「……や、じゃないだろ。お前みたいなのがふよふよ飛んでたら、普通の人間は大騒ぎだ」
「いちろーは騒がなかったのに」
「俺は騒ぐのが面倒臭いから騒がないだけ」
「ものぐさ!」
うん、まあ、そうなんだけど。
こんがりと焼き上がったトーストにバターを塗って、小さな切れ端をアニキに手渡してやると、ちびっこ妖精は目をキラキラさせながら「いただきます!」と、トーストにかじりついた。
「パン、おいしい!」
「世の中いい人間ばっかじゃないし。取っ捕まって変な研究施設に送られるのはお前も嫌だろ」
「とっておきのお道具があるから大丈夫だもん」
「道具?」
「うん、えっとね……」
あっという間にトーストをたいらげたアニキが、また昨日と同じように褌の中に手をつっこんでモゾモゾと何かを探し始める。
だから、どうしてそんな所に物をしまうんだよ、お前は。
その褌の収納力はどうなっているんだ。
「あった! じゃじゃーんっ!」
完全に引き気味になっている俺の前で、アニキは褌の中から小さな栄養ドリンクの瓶のような物を取り出して高々と掲げてみせた。
「この『ミエナック・ナール』をのむと、人間には姿がみえなくなるんだよ」
「また怪しげな物を……」
「褌妖精ショッピングで安くなってたのをまとめ買いしたの」
「通販好きの主婦みたいな奴だな」
安直過ぎる商品名にツッコミを入れてやりたい気もするが、寝起きの頭はそこまで働かず、ただモソモソとトーストをかじるしかできない。
そんな俺の前でプリプリのケツを振りながら、朝から元気いっぱいのちびっこ妖精は勢いよく瓶のフタを開けて腰に手を当て、風呂上がりに牛乳を飲むときのポーズでバッチリとウインクをした。
「それじゃ、のむね」
褌の中でチンコにピッタリくっついていたはずの瓶がぬるくなっていないのかは気になるところだが、アニキはそんなことをまったく気にしていないらしく、男らしい勢いで怪しげなドリンクを飲み干していく。
「……おおっ!」
ドリンクが全部なくなる……と思った瞬間。
テーブルの上でふよふよと浮かんでいたはずのちびっこの姿が、パッと視界から消えてしまったのだった。
「き、消えた……?」
「ね、みえなくなったでしょ」
「どこにいるんだよ」
「んっと、とりあえずいちろー、コーヒーをのんでみて」
「?」
何でコーヒー?
そう思いながらも、ちびっこ妖精が入れてくれたコーヒーに手を伸ばして、一口すすってみる。
「うわっ!」
熱い液体が喉に流れこむと同時に、消えていたアニキが突然俺の前に姿を現していた。
「え、何今の。何で一回消えてまた出てきたんだ?」
「さっきこっそり、いちろーのコーヒーに『ヨク・ミエール液状タイプ』を入れておいたの」
「はっ!? 人のコーヒーに怪しげな液体入れるなよ! 人間が飲んで大丈夫なモンなのかソレ!?」
「そういうのはよく分からないけど、これでいちろーだけにしか姿はみえないから、会社に行ってもだいじょうぶだね」
「……」
何が大丈夫なのかがもう全然分からないし、しかも『ヨク・ミエール液状タイプ』とやらを飲んでしまったせいで、アニキだけではなく、左手の薬指に巻き付いた白い褌まで見えるようになってしまい、気になって気になって仕方ない。
「運命の六尺褌のお相手がどこにいるか分からないから、今日は会社だけじゃなくて、いちろーが普段行ってるいろいろなところに行こうね!」
れっつごー! とノリノリでケツを振るちびっこ妖精の姿をぼんやり見つめながら。
俺の口からは、朝っぱらからやたらに重いため息がこぼれ落ちたのだった。
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