10


 ドリップの手順に何か不手際でもあったのだろうか。

 緊張のあまり、父が泣くほどマズいコーヒーを淹れてしまったのかもしれないとうろたえる雪矢の前で、もう一度カップに口を付けた雪矢の父は、涙に濡れた頬をクシャクシャにして笑顔を見せてくれた。

「……美味しい」
「ほ、本当に?」
「うん、ちゃんと『この葉』の味だ。長い間離れていたのに、息子がしっかり私の味を覚えていてくれたなんて、こんなに嬉しいことはないよ」
「父さん……」

 それは、雪矢にとって何よりも嬉しい褒め言葉だった。

 高田にドリップの方法を教えてもらい、『KARES』の味になるようにコーヒーを淹れ続けながらも、いつも雪矢が理想としていたのは父の淹れるコーヒーの味だったのだから。

「よかったじゃん、父ちゃん」
「俺らが店を継がなくても雪矢兄ちゃんが『この葉』の味を受け継いでくれるんだったら、安心できるよな」
「店を継がなくても、って?」

 双子の言葉に雪矢が首を傾げると、坊主頭の弟達は雪矢よりも大人びて見える日焼けした精悍な顔を並べて笑った。

「俺も友矢もクルマが好きだから、将来はクルマ関係の仕事に就きたいなって思ってるんだ」
「作ったりできたら最高だし、でも整備士も格好いいかなとか思ったり、とにかくクルマに触れる仕事がいいんだ!」
「自分達で整備工場とか作ってもいいよな」
「あー、それいい」

 身体だけは成人男性並みに成長していても、目を輝かせて雪矢に将来の夢を語る弟達の様子はやんちゃな中学生そのままだ。

「そっか……そういう夢があるんだね」
「店、継げないのは悪いかなと思うけど、俺らコーヒーの味とかよく分からんし」
「それに、『この葉』の味は雪矢兄ちゃんが守ってくれるもんな」
「友矢も卓矢もコーヒーは好きじゃないみたいだからね。『この葉』は私の一代限りで終わってしまうかと思うと寂しかったけど、雪矢が立派に味を継いでくれるなら私も安心できる」

 そう言って三人の息子達と佐竹を見回した雪矢の父の顔は、どこか誇らしげに輝いていた。

「工場を作る開業資金が必要なら貸してやろうか」
「えー。ヤクザから金なんて借りないし」
「どうせ高い利子とかぼったくるんだろ」
「俺がそんな悪人に見えるか」
「見える!」
「結構そのまんまじゃん」
「佐竹さん!」

 まだまだ純粋な弟達をちゃっかりカモにしようとしているトイチの金貸しに、雪矢は慌ててストップをかけた。

 佐竹の仕事にはそれなりのやり方があって、高田のように佐竹のお陰で助かっている人間もいることを考えると素人の雪矢が口を挟むことはできないが、さすがに弟達をカモにされては黙っていられない。

「俺の弟達を借金漬けにするつもりですか」
「人聞きの悪いことを言うな。利子はきっちりお前から取り立てる」
「自分で思いきり人聞きの悪いこと言っちゃってるじゃないですか!」

 ムキになって怒る雪矢と、叱られて肩を竦めるヤクザ顔の金貸しのやり取りに、双子の弟達と雪矢の父は吹き出した。

「何だ、ヤクザのおっさん、雪矢兄ちゃんの尻に敷かれてるのかよ」
「怒られてやんの」

 生意気な口を聞きながらも、双子はすっかり佐竹を気に入って懐いているらしい。

「サタケさん」
「――はい」

 ほのぼのと優しい時間が流れる小さな喫茶店で。
 店の主は、息子が連れて来たヤクザ顔の客に深々と頭を下げて一礼した。

「この町を離れられない私の代わりに、雪矢を守ってやって下さい。よろしくお願いします」
「!……はい。お約束します」

 やっぱり、勇気を出して『この葉』に帰ってきてよかった。
 父と弟達に会って、佐竹を紹介することができて本当によかった。

 一緒にいられない自分の代わりに、と佐竹に息子を託す父の言葉に、雪矢の大きな目はじんわりと熱くなった。

 ……が。
 感動できたのは、ほんの一瞬のことで。
 のほほんとした優しい笑顔のまま、父は付き合いたての恋人達に、見事に釘を刺したのだった。

「ちなみに、雪矢を支えるお願いをしたからと言って、私はまだサタケさんを雪矢の恋人として認めた訳ではありませんから」
「!?」
「えっ?……あの、父さん?」

 そういえば、昔から笑顔を崩さずふんわりと優しい空気に包まれた父は、実は意外に厳しいしっかり者だった。
 そんなことが、今さらのように思い出される。

 強張った表情で固まる佐竹と雪矢に、父はほわほわと柔らかい笑顔で断言したのだった。

「大切な息子を簡単に嫁にやる訳にはいきませんから。サタケさんが雪矢に相応しい男なのか、今後しっかり見極めさせてもらうつもりです」
「ナイス、父ちゃん」
「さすが!」

 大喜びする双子に、雪矢としては「ナイスじゃない!」とツッコミを入れたくなるところだが、佐竹は不敵に笑って雪矢の父の宣戦布告を受け入れた。

「お父さんのお許しをいただけるよう、精一杯努力します」
「――まだ“お父さん”と呼んでもらうのは早いんじゃないですか」
「もう、佐竹さんも……父さんも! そろそろ夕方の常連客が来る時間なんだから、火花を散らさないでよ」

 この展開は予想していなかったが、不思議なことに、不安はない。
 静かな火花を散らしつつも、父と佐竹は気が合いそうな匂いがするのだ。

 いつか佐竹が本当に自分の父を“お父さん”と呼ぶようになる日が来るのかもしれないと思うと胸の奥がくすぐったくて、雪矢の頬はほんのりと赤く染まっていた。



(*)prev next(#)
back(0)


(90/94)
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -