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○●○
「あ……」
懐かしい面影を残した畳屋の手前で車が右折した瞬間、雪矢は思わず声を出した。
「あの店か」
「は、はい」
「駐車場は……空いているな。停めるぞ」
古い店が並ぶ、小さな町の小さなメインストリート。
おぼろげだった記憶を鮮明に呼び覚ます、昔と変わらない景色の中に『この葉』はひっそりと佇んでいた。
下手なのか上手いのかよく分からない字で書かれた看板も、どっしりとした木製ドアの横にかけられた“営業中”のプレートもそのままだ。
雪矢の記憶では、まだ陽が西に傾き始めたばかりのこの時間は小さな店の中には父と母だけがいて、夕方にひと仕事終えた常連客達が帰宅前のコーヒーを飲みに来た時のために仕込みなどの準備作業を行っていた気がする。
今は、父が一人でいるのだろうか。
「佐竹さん」
本当は車から降りなくてはいけないはずなのに、まるでタイムスリップでもしたんじゃないかと思っていしまうほど昔と変わらない懐かしい景色と店の外観に戸惑い、雪矢は運転席に座る佐竹の膝に手を伸ばし、無意識のうちにスーツをギュッと握ってしまっていた。
佐竹がいれば大丈夫だと思っていても、いざ店を前にすると、どうしようもない緊張感に襲われてしまう。
そんな雪矢の様子をじっと見つめてしばらくの間黙っていた佐竹は、短いため息の後、予想外の言葉を投下してきた。
「そういう可愛いことをすると、この場で押し倒すぞ」
「っ!? なっ、何言ってるんですか!?」
雪矢としては今の行動のどこが“可愛いこと”なのかも謎だし、父親との久しぶりの再会を目前にして佐竹に押し倒されなければならない意味も分からない。
真っ黒に潤んだ大きな目をさらに見開く雪矢に、佐竹は雄フェロモン全開の危険な笑みを浮かべて、内股の際どい部分を撫でてきた。
「そういえば、車の中っていうのは、まだ試したことがなかったな」
「まだ、も何も、この先ずっと試す気なんてありませんよ!」
「たまにはカーセックスもいいもんだぞ。誰かに見られるかもしれねえと思うと興奮するだろ」
「しません!」
一応、本人が気にしているようなので最近は雪矢もあまり言わないように気をつけているが、こういうときの佐竹はひどくオヤジ臭い。
不埒な動きを見せる手を払いのけて、雪矢は運転席に座る男前金貸しの顔を真っ直ぐに睨みつけた。
「そもそも、誰かに見られるかもしれない興奮を知っているっていうことは……佐竹さん、車の中でのエッチを既に試したことがあるんですよね」
「……おお?」
「しかも“たまには”っていうからには、一度や二度じゃなく経験があるってことでしょう」
トイチの金貸しとして夜の街で恐れられる闇金の帝王が、こうして形勢逆転されると自分にはとことん弱いことを、雪矢はもう知っている。
鋭い指摘に、佐竹は顔を強張らせ、視線を明後日の方向に泳がせていた。
「いや、そりゃあ……俺も男だし、それなりに長く生きてりゃ……カーセックスの経験くらい、ねえとは言わねえが」
「そうですか。俺も男ですけど、二十年以上生きててそういう経験は今までに一度もありませんね」
「待てよ、雪矢。経験って言ったってな、お前と会うずっと前の若い頃の話だし、適当に遊んでただけだから相手のことだって覚えちゃいねえよ」
「それはそれで最低です」
「おい! 頼むから、こんなことで怒るな。高田の店でお前と会ってからは、本当に誰とも……」
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