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「リョウ君!」

 この状況で緊張していないはずはないのに、良二はいつもと同じ調子で笑い、一瞬だけ助手席のドアを開けて車内にキーを投げ入れた。

「大丈夫っす。さすがに向こうも殺す気はないだろうし、ヤクザに殴られるのは慣れてるんで。それより、早く社長に連絡を」

 確かに初めて会ったとき、良二はチンピラ風の男たちに囲まれてボロボロになるまで殴られていたが、殴られ慣れているというのはさすがに強がりだろう。

 駐車場の入口をふさぐように停まった車からは、派手な色合いのシャツに黒のスーツを着た、いかにもヤクザという風貌の男たちが降りてきた。

「うわ……」

 普段から佐竹や伍代の迫力のある極道顔を見慣れている良二と雪矢にとっては、男たちのヤクザ顔もそれほど怖いものではないが、相手の人数は八人。
 どう頑張っても、逃げられる状況ではない。

 良二だけを危険な状態に晒していいものか。
 一瞬迷った雪矢だったが、誰にも連絡できないまま二人揃って連れ去られるようなことだけは避けなければならないと、内側からドアをロックし、携帯を取り出した。

 ほとんど強制的に登録させられた佐竹の番号を、こんな状況で自分から呼び出すはめになるとは思わなかった。

 良二と何か言葉のやり取りを交わしながら徐々に間合いを詰めてくる男たちを見ながら、震える手で携帯を耳元に運ぶと、数コール後に懐かしいバリトンが聞こえてくる。

『雪矢か、どうした』
「佐竹さん、助けて下さい!」
『っ、何があった? 今どこにいる』
「六斜区の『パティシエ=ティムコ』の駐車場にいるんですけど、変な車に囲まれて……リョウ君がっ」

 車の外では、雪矢の乗る助手席に近付こうとした男を止めようと、良二が黒スーツの男の腕を掴んで脇腹に蹴りを入れたのが見えた。

 蹴られた男は一瞬バランスを崩して倒れかけたものの、すぐに周りの男たちが良二を取り囲み、暴れ回る身体を後ろから羽交い締めにしてしまう。

「リョウ君っ!」

 電話の向こう側から、佐竹が伍代に慌ただしく何かを指示している声が聞こえてくる。

 車の外では、良二を囲む男たちの怒鳴り声が響いていた。

 佐竹の事務所や『KARES』のある繁華街からここまでは、車で来るにしても時間がかかる。
 それまで無事でいることができるのか。

 沸き上がる不安を抑え、運転席へと移った雪矢は思い切りクラクションを鳴らした。

 いかにも怪しい黒塗りの車に、物騒な雰囲気の男たちという組み合わせは、誰が見ても危険な匂いがする。
 クラクションを鳴らし続けることで店の人間か近隣の住人が異変に気付けば、警察に通報してくれるだろう。

 良二が後ろから三人掛かりで抑えられ、みぞおちを殴られた瞬間、思わず車から飛び出しそうになった雪矢の耳に、佐竹の声が滑り込んできた。

『いいか、雪矢。奴らの狙いはお前だ。その場は良二に任せて車を出せ』
「できません……!」
『お前が逃げちまえば、良二も命まで取られるようなことはねえ』
「駐車場の入口をふさがれちゃってて、車を動かすことができないんです」
『――クソッ!』

 これ以上どうすることも出来ず、クラクションを鳴らし続けていた雪矢の視界が、ふと暗くなる。

 ハッと顔を上げると、いつの間にか運転席の横に黒いスーツの男が立ち、欠けた前歯を覗かせて不気味な笑顔を見せていた。

「一体、……何を」
『おい、どうした!? 俺が行くまで無事でいろよ、雪矢!』

 ドアを一枚隔てた向こう側から、ガチャガチャと金属質の音が響く。

 ――ピッキング。

 そんな言葉が頭に浮かんだその時には、ロックされていたはずのドアはあっさり開かれ、吹き込んできた冷たい夜風が雪矢の頬を撫でていった。

「ユキヤさん、逃げて下さい!」

 良二の掠れた悲鳴も空しく、雪矢の身体は車の外に引きずり出され、歯の欠けた男に押さえられてしまう。

『雪矢!』

 電話の向こうから雪矢を呼び続ける佐竹の声に、背筋が凍るような笑みを浮かべた男は、雪矢の手から携帯を取り上げて、それを自分の耳に当てた。

「よう、佐竹。まさかアンタがこんな坊やに入れ込んでいるとは意外だったな」
『ふざけるな。そいつは堅気の人間だぞ、手を出すんじゃねえ』

 恐ろしいまでの怒気を孕んだ佐竹の声は、男に身体を押さえられた状態の雪矢の耳にも届く。

「俺はアニキに言われた仕事をこなしてるだけなんでね。ま、アンタがそれなりの誠意を見せるならウチのアニキも悪いようにはしないだろ」
『俺はヤクザになるつもりはない』
「強がっていられるのも今のうちだ。早いトコ事務所に行って、アニキに土下座して舎弟にしてもらえよ。可愛い坊やがどうなっても知らねえぞ」

 前歯の欠けた男は、まくし立てるように捨て台詞を言って、佐竹の声が返って来る前に携帯を投げ捨ててしまった。

 話の内容から察するに、備木仁会の理事長補佐は佐竹を自分の舎弟にして縄張りを広げるために、雪矢を人質に取ろうとしているのだろう。

「俺を……どうするつもりですか」

 数人掛かりで殴られていた良二は足をやられたのか、アスファルトの上に転がされて立ち上がることが出来ずに呻いている。

 八人の中で一番背の高い、リーダー役らしき男を睨みつけて言うと、男は笑って片手で雪矢の両頬を掴み、じっくりと検分するように顔を覗き込んできた。

「この状況でビビらねえとは、根性のある坊やだな。お前をどうするかは、アニキが決めることだ」
「俺を人質に取っても、佐竹さんはヤクザにはなりませんよ、……ぐっ!」

 輪郭を確かめるように肌の上をなぞっていた手が、急に乱暴に鼻を摘んだかと思うと、口の中に何かが押し込まれた。

「――っ、んん!」
「ユキヤ、さん……!」

 良二の声が、妙に遠くから聞こえる。

 無理矢理鼻と口をふさがれて呼吸が出来ず、苦しくて何が何だか分からないまま、口の中に押し込まれた何かを飲み込んでしまった後で。
 雪矢がそれを飲んだことを確認してから手を離した男は、下卑たいやらしい笑いを浮かべて、もう一度雪矢の頬を掴んだ。

「まあ、味見して楽しむくらいは許されるだろうからな。あの佐竹を落とした身体を、せいぜい楽しませてもらうぞ」



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