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○●○


 忙しい一日は、あっという間に過ぎていく。

「お先に失礼します」
「はーい。お疲れさま、ユキヤちゃん!」
「お疲れさまでした」

 出勤してきた三上に引き継ぎを済ませた雪矢は、花の香りが充満したスタッフルームで着替え、佐竹のチップが入った小瓶を手に取って店を出た。

 店を出る瞬間、雪矢の手元をチラッと見た高田は特に何も言わなかったが、その意味には気付いてくれただろう。
 多分近いうちに伍代か良二を経由して「たまにはお店に顔を出してよねっ!」と佐竹に伝えてくれるはずだ。

 ――このお金で、何を買おう。

 佐竹はあまり甘いものを好みそうなイメージはないが、いつも濃い目に落としている苦味の強いブレンドコーヒーに、チョコレートを添えて出してみてもいいかもしれない。

 いつの間にか重くなっていた小瓶を手に、そんなことを考えながらすっかり日の暮れた街を歩いていると、細い路地の脇に停められていた車のドアが開いて中から良二がひょっこりと顔を出した。

「ユキヤさ〜ん、お疲れさまです!」
「リョウ君! お疲れさま、仕事?」

 良二が車を出すときには大抵佐竹か伍代が乗っていて、その運転手役を務めることが多いはずなので、一人でいるのは珍しい。
 駆け寄って聞くと、良二は車から降りてうやうやしく助手席のドアを開けた。

「仕事っていえば仕事なのかもしれないっすけど。乗って下さい、送りますよ」
「えっ、だって仕事中なんでしょ」
「心配性のボスにユキヤさんを家まで送るようにって言われたんで、それが仕事っす」
「それって……」
「あ、やべっ。言うなって言われてたのに!」

 そう言いつつもまったく反省の色がない良二の顔から、その発言が確信犯だということが分かる。

「リョウ君もだいぶ、佐竹さんの下で働き慣れてきたみたいだね」
「社長には言わないで下さいよ、バレたらヤキ入れられるっす」

 大袈裟にビビッてみせるお調子者の元ホストに笑って、雪矢は助手席に乗り込んだ。

 シートに腰を降ろすと同時に、懐かしい煙草の香りがふんわりと身体を包み込む。

 もしかしたら、ついさっきまでこの席に佐竹が座っていたのかもしれない。

 運転席に乗り込んだ良二の顔をじっと見つめても、元ホストの好青年はさすがにそれ以上口を滑らせようとはしなかった。

「家、どっち方面っすか」
「ええと、六斜区。前に佐竹さんが仕事用に使ってるって言ってたマンションの近くだよ」
「了解!」

 威勢の良い返事と同時に、黒塗りのセダンが滑らかに走り出す。
 夕闇の街に灯る明かりを眺めながら懐かしい煙草の香りに包まれていると、佐竹がすぐ近くにいるような気がして、雪矢は小銭の入った小瓶をキュッと握り締めた。

「佐竹さん、元気?」

 店の中では高田を気にしてなかなか聞けずにいたことをポツリ、と尋ねると、良二は顔を前に向けたままため息混じりに首を横に振った。

「んー……最近は裏稼業の方で揉めてて、結構ヤバいみたいっす」
「ああ、三上さんが言ってた。この辺が物騒になってきてるって……やっぱり、店長の一件で渠龍組に借りを作っちゃったのが原因なのかな」
「や、伍代さんの話だとそれは単なる口実で、遅かれ早かれこうなっただろうって」

 さすがに、元本職というだけあって伍代はその辺りの事情には詳しそうだ。

 黙って続きを待つ雪矢に、良二は伍代から聞いたという話を語って聞かせてくれた。

「どうも備木仁会の幹部ってのは元々一枚岩ではないらしくて、現理事長襲名の時、反対派を納得させるために先代が敢えて反対派の急先鋒だった割杉って男を補佐に据えたらしいんすよ」
「じゃあ、理事長さんと補佐さんが上手くいってないんだ」
「仲は最悪みたいっすね。で、最近その理事長が体調を崩して入院してるらしくて、引退するんじゃないかって話が流れてるんです」
「なるほど。その割杉さんとしては理事長が誰かを後継者として指名する前に名乗りを上げて、自分がその後釜に座ろうっていうことか」

 そのために、渠龍組との緩衝地帯になっている『KARES』のある地域を自分達の縄張りにしようというのだ。
 難しい顔で呟くと、信号待ちで車を停めた良二が目をパチクリさせて雪矢を見つめてきた。

「何だか詳しいっすね」
「少しは三上さんから聞いてたし、ヤクザ映画とかでよくあるパターンだからね」
「見るんですか、そういう映画!」
「見ないよ、好きじゃないし」

 見なくても、大体の展開は想像できる。

 なかなか変わらない信号を見つめながらステアリングに顎を乗せて、良二はふーっと大きなため息をついた。

「揉め事が多くなったのは完全に備木仁会側の都合だし社長は全然悪くないんすけどね。こうなっちまった以上はいっそ盃を受けて正式に組に入った方がいいんじゃないかって声も渠龍組の中から出てるらしいっす」
「えっ! 佐竹さん、ヤクザになっちゃうの!?」
「もちろん、社長は断わってますよ。でも、この状況が続くと断わり続けるのも難しくなるんじゃないっすかね」
「そんな……」

 トイチの金貸しという商売自体がもう堅気の仕事ではない気がするし、外見の厳つさでいえば既に本職顔負けの迫力を醸し出しているし、渠龍組の組長は佐竹と血の繋がった実の兄なのだということは、雪矢にも分かっている。

 分かっていても、佐竹にはヤクザになって欲しくない。



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