12


 佐竹の背中を追って店の外に出ると、鼻先をかすめる風がいつの間にかひんやりした夜の匂いを含んでいた。

「佐竹さん、待ってください」

 さすがにドアの前で立ち話をする訳にはいかないと思ったのか、店のすぐ隣にある細い路地に入って行った佐竹に続き、雪矢も建物と建物の間にひっそりと隠された薄暗い通りに入る。

 突然話があると言い出した佐竹の真意は分からないが、聞きたいことは山ほどあった。

 何故借金の返済代わりにあんな条件を出したのか。
 佐竹は本当に自分にそういった意味での好意を持っているのか。

 聞きたいとは思っているのに、いざ二人きりになるとどう話を切り出していいのか分からない。

 雪矢は黙って、コンクリートの壁に身体をもたせ掛けて腕を組む男の顔を見つめ、佐竹が言葉を発するのを待った。

 しばらく間を置いて、雪矢の耳に入ってきたのは意外な言葉だった。

「――すまなかった」
「え……?」

 すまなかった、と。
 佐竹は確かにそう言った。

 まさかそんな言葉が出てくるとは思っていなかっただけに、雪矢の脳は佐竹が謝っているのだと理解するまでに数秒の時間を要した。

「謝って済む話じゃねえが、本来高田とケリをつけなきゃならねえ金の問題でお前にひどいことをした」

 鼓膜をくすぐるバリトンが、僅かに緊張しているように聞こえるのは雪矢の気のせいだろうか。

 薄暗い路地に立つ佐竹の表情は、はっきりと読みとることができなかった。

「そんな、改めて謝らないで下さい。思い出しちゃって恥ずかしいじゃないですか。車の中でも言ったように、俺は別に……」
「利子分の金を回収する方法はあった。だが、お前を脅して無理矢理ヤることを選んだのは俺だ」

 実際には手を伸ばせば触れられるほどの距離にいるのに、佐竹の声が遠くから聞こえる気がする。

「どうして、ですか」

 しばらく迷った後で、雪矢はようやく、抱えていた疑問を口にすることができた。

 雪矢の身体を抱いたところで、佐竹にとっては一文の得にもならないはずだ。
 金銭回収の手立てがまったくない状態で高田に逃げられたことに対する腹いせというならまだ分かるが、他に利子を回収する方法があるならそれを選べばいい。

 一応バックに特定の組織がつかないフリーの金貸しという立場では、一度でも取り立てに失敗すれば客に甘く見られて仕事が成り立たなくなるという話は三上からも聞いていたし、佐竹自身も口にしていた。

 それなのに、佐竹は敢えて金銭を回収するのではなく、雪矢に身体で払わせるという方法を選んだのだ。

「理由なんてねえよ」
「そんな」
「手に入らないと分かっていても、お前が欲しかった。それだけだ」

 どこか切ない響きのバリトンが、雪矢の鼓膜を甘くくすぐる。

「あっ!?」

 伸びてきた大きな手に気付いたときには、雪矢の身体は既にその手に捕らえられ、煙草の匂いのする腕の中へと引き寄せられていた。

「佐竹、さん……んっ、ん!」

 熱を持った手が雪矢の顎を軽く支えたかと思うと、手以上に熱い唇が雪矢の口をふさいで、覚えのある快感を与えてくる。

 キスをされている。

 そう思ったときにはもう、口の中に差し入れられた舌がゆっくりと歯列をなぞり、雪矢の舌に絡んですべてを味わい尽くすかのように動き回って、雪矢はただ、力の抜けた身体を佐竹の逞しい胸にあずけて甘いキスの心地よさに酔っていた。

 細く薄暗い路地裏とはいえ、店の前の通りをいつ誰が通るか分からないのに、そんなことすら考えられなくなってしまう。
 野性の獣を思わせる迫力の極道顔に似合わず、佐竹のキスは温かくて優しい。

「は、はぁっ、は……っ」

 押し付けられた唇が名残惜しげに離れていったときには、雪矢の身体は既に芯を失って、いわゆる腰砕けの状態になっていた。

「――悪かった」

 唾液に濡れた雪矢の唇を指先で拭い、佐竹がもう一度謝る。

 今のキスのことを謝られているのか、それともこれまでのことを謝られているのかも分からず、ぼんやりと快感の余韻に浸っている雪矢をいとおしげに見つめて、トイチの金貸しは低い美声で囁いた。

「もう二度と、お前にこんなことはしない」

 高田が無事に帰って来て、借金をきちんと返済することができれば、佐竹との個人的な関係が終わるのだろうということは、漠然とは分かっているつもりだった。
 その後は客とスタッフとしての関係に戻るだけだと思っていたのに、雪矢を見つめる佐竹の真剣な眼差しと今の言葉は、別れを意味する言葉のように聞こえて雪矢は黒目がちな瞳を更に大きくしてじっと佐竹の精悍な顔を見上げた。

「組関係の問題が落ち着いたら、必ずこの埋め合わせはする」
「埋め合わせだなんて、そんなこと」
「俺がこんなことを言えた義理じゃねえんだが、犬にでも掘られたと思って忘れてくれ」

 犬に噛まれるならともかく、掘られるのは大問題だ。
 だが、佐竹の真剣な表情に、雪矢はそんなツッコミを入れることもできずにただ煙草の匂いが染み付いたスーツの襟をキュッと握った。

 離れたくない。

 何故かこのとき、そう思ったのだ。

 親とはぐれるのを心配する小さな子供のようにスーツの襟を握る雪矢の手に気付いた佐竹は、一瞬困ったような笑みを見せると、一回り大きな手を重ねてその手を解いてしまった。

「戻るぞ、これ以上立ち話をしていたら高田がアイスピックを持って殴り込んでくる」
「……はい」

 離れてしまった手が冷たく、寂しいと感じる気持ちが何なのか。

 分からないまま、雪矢は佐竹に促されて『KARES』へと戻ったのだった。



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