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「返しただと? 適当なことを言うんじゃねえ」

 凄みのある声でそう言って男らしい眉の間の皺を更に深くする佐竹の反応に、今度は高田が「えっ?」と驚いてうろたえ始めた。

「やだ……。まさか佐竹さん、気付いてなかったの!? どうしよう!」
「口座には一銭も振り込まれてねえぞ」
「ええと、出発直前になっても佐竹さんの携帯も事務所の方の電話もずっと通話中で連絡がとれなくって。銀行で手続きをする時間はなかったから、空港に行く途中に佐竹さんの家に立ち寄って新聞紙で包んだお金を郵便受けに突っ込んできたのよ。すぐ気付くと思って……」
「何て乱暴な真似をしやがるんだ、テメエは!」

 高田が佐竹から借りていたという金は、一千万円。
 いくら緊急事態だからといって、そんな大金をポンと郵便受けに入れておくなんて無用心にも程がある。

 色々と突っ込みたい気持ちはあったが、今雪矢の頭の中にあるのは、高田が既に借金を返済した状態で出国していたというのなら、このひと月近くは一体何だったのだろうというとてつもない脱力感だった。

 あんなに思い詰めて、それでも佐竹を嫌いになれず、その優しさに甘えたくて。
 最終的には幼い頃の思い出まで話して佐竹の腕の中で泣きつかれて寝てしまうという、思い出すだけで今すぐにでも高速を走る車から飛び出してしまいたい気持ちになる恥ずかしい大失態まで犯したというのに。

 まさに“掘られ損”という言葉がピッタリの、あまりに間抜けな話である。

 雪矢の気持ちは佐竹にも十分伝わったらしく、ぎこちない動きで顔を雪矢の方に向けた男は、目が合うなり気まずそうに顔を背けて、ずっと肩を抱いていた腕を離してしまった。

「――大体、郵便受けにそんな金は入ってなかったぞ」
「ええっ、嘘よ!」
「そんなセコい嘘をつく訳がねえだろうが。お前……まさか部屋番号を間違えたんじゃねえだろうな」
「そんなはずは……! 動揺はしてたけど、さすがにアタシだってお金を入れる前に何度も確かめたわっ」

 強気な口調でそう言いながらも、佐竹が実際に金を受け取っていなかったということに相当動揺しているらしい。
 眼鏡の奥の細いツリ目をじんわりと潤ませながらオロオロしている高田に、助手席の古森は「落ち着けよ」と声をかけていたが、高田だけではなく雪矢も、この状況に落ち着いてなどいられなかった。

「そもそも、何でお前が俺の家を知っているんだ」
「え?」
「どこに住んでいるのか話したことはなかったはずだぞ」
「ちょっと前に、佐竹さんに頼まれて探した転売用物件の見取り図を持って行ったことがあったじゃない」
「……」

 高田の言葉に、それまで黙って運転に集中しながら会話の流れを見守っていたらしい良二が「あ」と小さな声を漏らした。
 佐竹も何か思い当たる節があったのか、運転席の良二とミラー越しに目を合わせ、微かに頷く。

「行き先変更だ。『KARES』の前に、六斜区のマンションに寄ってくれ」
「了解っス!」

 佐竹のマンションは、六斜区にはなかったはずだ。
 まだ事情が飲み込めていない雪矢と高田、そして古森のために、佐竹は苦々しい表情で口を開いた。

「高田……。前にお前を呼んだあのマンションは、仕事用の借り部屋だ」
「えっ! どういうこと?」
「あの日はたまたま得意客と会う予定があったから使っただけで、普段は単なる物置代わり。当然俺宛の郵便物は来ねえし、ほとんど寄ることもねえんだよ」
「そんな!」

 敢えて自宅から離れた場所に部屋を借りるのは、仕事柄、住んでいる場所を知られると危険が多い佐竹ならではの自衛策なのだろう。
 危険な仕事をするにはそれなりの出費があるのだと妙なところで感心する雪矢の隣で、佐竹は頭を抱えて低く呻いた。

「返済に気付いていなかったなら……アタシがいない間の利子はどうしてたの? 後輩でも特別扱いはしないって言ってたわよね。お店には余計なお金なんて置いてないから取立てられなかっただろうし……まさかっ」

 恐る恐る、確かめたくない事実を確認するように聞いてくる高田の視線は、佐竹と雪矢の間でせわしなくさまよっている。

 こうなってしまった以上は覚悟を決めて高田にすべてを話さなければ……と腹を決めた雪矢の決意をくじいたのは、微妙なところで空気の読めない良二だった。

「うええっ!? じゃ、じゃあ、社長がユキヤさんのぷりケツにあんないやらしいことをしてたのって、二人が付き合ってたとかじゃなくて借金のカタだったんスか!」
「いやらしいことっ!? ゆゆゆユキヤちゃん、それじゃ、やっぱり……!」
「違うんです店長! 俺は別にぷりケツという訳ではなくて……」
「否定して欲しいのはソコじゃないわっ!」
「社長、サイテーっすよ、それは!」

 脅されはしたが行為自体は合意の上で、しかも最終的には雪矢自身が佐竹という男に対して心を開くようになったということを、時間をかけて遠まわしに説明したかったのに、これでは言い訳のしようがない。



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