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 窓の外を流れていく景色には、見覚えがあった。

 車が佐竹のマンションへと向かっているのだと思うと、雪矢の身体は自然に固くなり、血の気の引いた指先が冷たくなってくる。

「随分大人しいじゃねえか」

 車通りの少ない深夜の国道を走りながら、佐竹が助手席で俯く雪矢にチラリと視線を送ってきた。

「まるで借りてきたネコだな。緊張しているのか」
「……これから男にケツを掘られるかもしれない状態でリラックス出来るほど、俺は図太い人間じゃないです」

 覚悟はしていても、それをすんなり受け入れられるかどうかは別問題だ。

 雪矢としては冗談を言ったつもりはまったくなかったのだが……。
 顔を前に向けたままステアリングを握る男の肩がわずかに震えていることに気付いた雪矢が顔を上げると同時に、佐竹は耐え切れないといった様子で吹き出して笑い始めた。

「まさかお前の口からケツだの掘るだのいう言葉が出てくるとは思わなかったぞ」
「だって他に何て言ったらいいんですか!」
「くく……ケツを掘られる、か。その顔で」
「笑わないで下さい」

 どういった訳だか“ケツを掘られる”という表現が佐竹のツボにハマったらしい。

 “ケツを掘られる”が駄目なら“お尻を掘られる”とでも言えばよかったのだろうか。
 顔と言動のギャップはよく指摘されるが、今から自分に不埒な行為を働こうとしている男にこの状況で笑われても、どうしていいか分からない。

 そういえば今までこんな風に笑う佐竹を見たことがなかったと、精悍な横顔を眺めながら、雪矢はぼんやり考えていた。

 形の良い口の端を微かに上げただけの皮肉げな笑みはよく見せるが、雪矢の淹れたコーヒーを飲み終わった後にみせてくれる優しい顔でさえ“もしかして笑ってくれているのかな”という程度のものである。

「佐竹さん、笑い過ぎです」

 雪矢の口から“ケツ”という言葉が出てきたことがよほど面白かったのか、佐竹はまだ肩を震わせている。
 普段は鋭い眼光を放つ獣の瞳を細めて笑う佐竹の横顔がやんちゃな悪戯坊主のように見えて、一瞬可愛いと思ってしまった自分の思考を、雪矢はふるふると首を振って脳の奥に追いやった。

「お前は本当に、綺麗な顔のイメージを見事に裏切ってくれるな」
「別に、綺麗じゃないです」
「世間一般の評価はどうだか知らねえが、その顔も性格も、俺の好みだ」
「……っ」

 いくら何でも、今のは卑怯だ。

 それまで笑っていた顔を急に凛々しく引き締めて、佐竹が低い美声で囁いた一言に、雪矢の心臓は大きく跳ね上がった。

 男に好みだと言われたところで、嬉しくも何ともないはずなのに。
 佐竹の言葉は、雪矢本人の意思に関わらず、胸の奥を突いて揺さ振ってくるのだ。

 考えてみれば、借金の返済代わりに身体を差し出せと言われても佐竹のことを嫌いにはなれなかったし、一方的に弄ばれてイカされた時も、羞恥は感じたが嫌悪感を抱くようなことはなかった。

 佐竹にまで聞こえてしまうのではないかという勢いで高鳴る胸を押さえて、雪矢はもう一度、運転席の男の横顔をそっと盗み見た。

「飯は食ったのか」
「お店で、余った材料で作ったサンドイッチを少し」
「サンドイッチ? そんなもん晩飯にならねえだろ」

 助手席から投げ掛けられる視線に気付いているのかいないのか、真っすぐに前を見つめたまま会話を続ける佐竹の顔は、いつものヤクザな金貸しの顔に戻っていた。

「こんな時間じゃコンビニ飯くらいしか買えねえな」
「あの、別にお腹は空いていません」
「空いてなくてもしっかり食え。お前はもう少し肉を付けた方がいい」
「太らせてから食べるつもりですか」
「馬鹿言え、俺がそんなに気長な人間に見えるか」

 太るまで待つつもりはないと言って再び笑う佐竹に、雪矢の心臓は更に鼓動を速める。

 今までの人生で、男に恋愛感情を抱いたことはないし、相手は借金の返済代わりに身体を差し出せと言う、トイチの金貸しなのに。
 運転席で笑う危険な野獣に何故か惹かれてしまう自分の気持ちをどうすることもできず、佐竹からそっと視線を逸らした雪矢は顔を窓の外に向けたのだった。



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