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野太い地声を隠しきれず豪快に笑って、佐竹と呼ばれたヤクザ顔の客の肩を力いっぱい叩く高田に、雪矢はその線の細い顔をサッと青ざめさせる。
ごくごく平和な人生を送る一般市民の感覚では、こんな時ヤクザという人種は急に虚弱体質になり「脱臼した」だの「肩の骨が折れた」だのと大騒ぎして高い慰謝料をぼったくるというイメージしかない。
だが、佐竹は高田の過剰なスキンシップに慣れた様子で、何も言わず迫力のある目を細めただけだった。
「ユキヤちゃん、もう少し一人で大丈夫? ミカミちゃんがすぐ来ると思うから」
「あ、はい」
「団体さんが入ったら呼びにきてね」
「分かりました」
夜の客が入り始めるまでにはまだ時間があるので店の方は問題ないのだが。
むしろ、飲みかけのコーヒーを残して立ち上がった佐竹という男と二人でスタッフルームに入っていく高田の方が、雪矢にはよっぽど心配だった。
何かあったら警察を呼ぼう。
そう決心して、スタッフルームから妙な物音がすればすぐに聞こえる程度の位置に立ち、洗ったばかりの皿を磨きながら二人の会話が聞こえないかとしっかり耳をそばだててる。
が、不穏な気配は一向に感じられず、中からは時折高田の野太い笑い声が聞こえるだけだった。
やはり、あの男は見た目が極道なだけで、本当は善良な一般市民なのだろう。
「コーヒー、もう飲まないのかな」
外見で人を判断してしまった自分を反省して、佐竹がスタッフルームから出てきたらもう一度お代わりのコーヒーを勧めてみようと新しいカップをお湯の中に浸そうとしたその時。
来客を知らせるドアのベルが鳴り、雪矢はとびきりの笑顔で客を出迎えて……。
「いらっしゃいま、……せ」
ポチャリ、とお湯の中にカップを落とし、そのまま固まった。
今日は一体何の日だというのか。
入って来た客は、先ほどの佐竹の更に上を行く厳ついヤクザ顔の巨漢だったのだ。
出所したばかりと言われれば納得してしまう見事な五分刈りの頭に、百九十センチを超えるのではないかというほどのやたらにがっしりとした体格。
季節はもう夏に移りつつあるのに一部の隙もなく着込まれた黒スーツが、筋肉質な身体をピッチリと窮屈そうに包み込んでいる。
そして手には、頑丈そうなジュラルミンケース。
これはもう、どう好意的に見ても本物の極道としか思えない。
スタッフルームに駆け込んで高田を呼ぼうとした雪矢だったが、ふと浮かんだ嫌な考えに足が止まった。
もし、今入ってきたこの客が佐竹という男の命を狙う鉄砲玉か何かだった場合、店の中で銃撃戦が始まってしまうのではないか。
恐ろしく馬鹿馬鹿しい想像だったが、これまで平和そのものだった店にその筋らしき人間が、しかも立て続けに現れたことで、新米スタッフの雪矢は完全に動揺していた。
「お、お好きなお席に、どうぞ」
「いえ、私は客ではなくて……」
厳つい体格に似合わず静かな口調で男が困ったように口を開くと同時に、ドアが開き、待ち侘びていた人物が店に入ってきた。
「お疲れさまです。遅くなりました」
「三上さん……!」
遅れて出勤してくると連絡のあった先輩スタッフの登場に、雪矢の身体からどっと力が抜けていく。
入口近くに立つ大柄なヤクザ風の客に、三上は驚く様子もなくふんわりと柔らかい笑顔を向けた。
「いらっしゃいませ、伍代さん」
「お久しぶりです」
「佐竹さんはスタッフルームかな。お呼びしますか?」
「申し訳ありません、お願いします」
何から驚いたらいいのか。
ゴッツリと逞しい武闘派ヤクザといった外見の男の物腰や口調が意外に丁寧なことにもビックリだが、三上がこの男と顔見知りらしいということにも驚くしかない。
スタッフルームに入った三上と入れ違いに出てきた佐竹に対し、ゴダイと呼ばれた大男はキッチリと腰を折って頭を下げた。
「こちらをお持ちしました」
「ああ、お前も中に入れ」
「失礼します」
こちら、というのはもちろん、伍代が手にした厳ついジュラルミンケースのことだ。
ヤクザ。白い粉。極秘の取引。
そんな単語が一瞬雪矢の頭を過ぎって消えたが、だからといって新米のカフェスタッフがこの状況で何か行動できるはずもなく。
雪矢はスタッフルームに入っていく極道風の男二人の背中を、呆然と見送るしかなかったのであった。
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