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 繁華街の外れにひっそりと佇む小さなカフェ&バー『KARES』。

 雪矢がこの店で働き始めたのは今年の春からだ。
 苦しい就職活動の最中、面接帰りに見付けてふと入ってみた店で出されたコーヒーの味に一目惚れしたのがきっかけだった。

 初めて高田の淹れたコーヒーを飲んだ時の感動は、今でも忘れられない。
 鼻孔をくすぐる深い豆の香りと、雪矢の記憶に残るコーヒーの味によく似た、懐かしい味。
 大好きだった、優しい父親との思い出の味。

 居心地の良い店の雰囲気にも惹かれ、どうしても自分でこの味のコーヒーを淹れられるようになりたくて、その日から雪矢はあっさり就職活動を止めてしまった。
 そして、アルバイトでもいいから雇って欲しいと店長の高田に頼み込んで暇を見付けては店に通い詰めた結果、その熱意に圧された高田は大学卒業と同時に雪矢を『KARES』のスタッフとして採用したのであった。



「見ねぇ顔だな、新入りか」

 ザラザラと深煎りの豆をすくう雪矢の手元を覗き込みながら、極道顔の客が煙を吐く。

「はい。春から働き始めて、今はカフェタイムを担当しています」
「ふうん。五時からはバータイムじゃねえのか、替わりはどうした?」
「今日は少し出勤が遅れるようです」

 高田が趣味で始めたというこの店は、カウンター席が六席にテーブル席が八席という、まさに“こじんまり”といった雰囲気で、来客の少ない時間帯なら一人でも十分に対応することができる。
 現在スタッフは雪矢と店長の高田を入れて四名。雪矢の担当は夕方五時までのカフェタイムで、バータイムは副店長の三上とバーテンダーの香田が担当しているのだが、今日はその三上の出勤がいつもより遅れるらしい。

 いくら一人で対応できるといっても、店長も先輩スタッフも不在という手薄な状態で、どう見てもヤクザにしか見えない客からのオーダー。
 新米スタッフにはあまりにも過酷な状況に雪矢は接客の基本である笑顔も忘れて緊張に身体を強張らせるしかなかったが、計った豆をミルに入れて挽き始める頃には、気持ちは何とか落ち着きを取り戻し始めていた。

 狭い店内を満たす、嗅ぎ慣れた豆の香り。
 何度も高田に扱かれて、手順は身体がしっかり覚えている。

 粉状になった豆をフィルターに入れて、湧かしていたお湯をコーヒーケトルに移し、静かに注いで豆を蒸らすと、蒸らされた粉の中からぽこぽこと小さな泡が出てきて、雪矢の口元に微かな笑みが浮かんだ。

『見てごらん、雪矢。豆が喜んでいるよ』

 思い出の中の声に耳を傾けながら、細い糸のようなお湯をゆっくりゆっくり注いでいく。
 いつの間にか、目の前にいるヤクザ風の客への恐怖心は消え去っていた。

 美味しいコーヒーを淹れたい。
 飲んだ人が、飲む前より少しだけ幸せになってくれたらいい。
 ただそれだけを考えながら全神経を集中させて一杯分のコーヒーを落とし終える。

 雪矢は、淹れたての液体をカップに注ぎ、ソーサーに乗せて男の前にそっと置いた。

「お待たせいたしました」
「ん? あ、ああ」

 目の前でコーヒーが落とされる様子に魅入っていたのか、ヤクザ風の客は雪矢の声で我に返ったように視線を下げてテーブルの上に置かれたカップに気付き、灰の長くなった煙草を灰皿に押し付けた。

 キッチンを片付けながら、引き締まった形の良い唇にカップが運ばれていくのを見守る雪矢の心臓は忙しく脈打って落ち着いてくれない。

「――美味いな」

 低い美声でぽつり、と何気なく呟かれたその一言に、雪矢の顔は明るく輝いた。

「ありがとうございます」
「コーヒーの味に特にこだわりはねぇが……これは、ホッとする味だ」
「そう言って頂けると嬉しいです」
「新米の美人店員に淹れてもらうコーヒーも悪くない」

 現金なもので、これまで“迫力のあるヤクザ風”にしか見えなかった目の前の男の顔が、一言褒められただけで“渋い男前”に格上げされてしまう。
 男に対して適切とは言えない美人店員という微妙な褒め言葉はともかく、美味いというのはお世辞ではないらしく、カップを置く男の満足げな表情に雪矢の顔はじわじわと熱を増した。

 もしかしたら、この男は外見が怖いだけでそんなに悪い人間ではないのかもしれない。
 お代わりは気軽に声をおかけ下さい、と伝えようとしたその時。
 カラン、とドアのチャイムが鳴って、野太い声を無理矢理高く張り上げたような声が店内に響いた。

「あら、佐竹さん! いらっしゃいませ。今日は早かったのね」
「ああ、こっちに用事があったからな」
「言ってくれたら店を開けたりしなかったのに〜。怖いお客様でびっくりしたでしょユキヤ君、ごめんね。この人こんな見た目だけど意外に根は悪い人じゃないのよ」

 まくし立てるように言いながら食材を抱えてカウンターの中に入るヒョロリと細長い身体つきの眼鏡男・高田は、こざっぱりとした坊主頭で尖った顎の先にちょび髭まで生やしているにも関わらず、口調だけはオネエそのもの。

 初めて高田に会った時はその強烈な個性に驚いた雪矢だが、この店の常連客は特に高田のオネエ言葉について触れることはなく、雪矢もいつの間にか慣れて違和感を覚えることもなくなっていた。

「どうです? ウチの可愛い新人君」
「ああ、随分綺麗なのを入れたんだな。色白で線が細くて俺好みだ」
「やだ、佐竹さんったら! コーヒーのお味がどうかって話よ、何言ってるのもう」



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