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「いつ戻るんだ」

 威圧感のある口調でそう訊かれて、雪矢は力無く首を横に振るしかなかった。

「分かりません」

 電話をかけてきた時のあの慌てた様子では、高田自身、佐竹からの借金を忘れてしまっていた可能性がある。

「店長は借金を踏み倒して逃げるような人じゃありません。とにかく、一度お店に連絡させて下さい」
「無駄だな」

 後ろから肩を抱くように腕を回し、ポケットから携帯電話を取り出そうとする雪矢の手を制して、佐竹は断言した。

「高田は駅前の居抜き物件を転売すると言っていた。念のため調べたが、登記は前の名義人のままになっている」
「つまり、どういうことですか」
「転売に失敗して高飛びしたんじゃねえのか」
「そんな……!」

 オネエ口調とミーハーな性格からおちゃらけたイメージを抱かれがちな高田だが、根は誠実かつ堅実な人間で、リスクの高い取引に手を出すタイプではないし、仮に転売に失敗したからといって海外に逃げるような真似はしないはずだ。
 土地の転売が手堅い小遣い稼ぎと言えるかどうかはともかくとして、佐竹から金を借りるときは必ず、高田が信頼できる情報に基づいて決断していることを雪矢は知っていた。

「一千万」
「え?」

 左腕を雪矢の後ろに回したまま、片手で取り出した煙草をくわえて佐竹が低く呟く。

「高田に貸した金は一千万だ。利子は百万。店に連絡してすぐに用意できるのか?」
「一千、万円?」

 駅前の一等地にある居抜き物件を買い上げるにしては手頃な価格なのかもしれないが、雪矢にとってその金額は予想外に大きく、聞いてもすぐにはピンとこなかった。

 そもそも几帳面な高田は店に余分な金を置かない主義で、三上に連絡したところで、今店にあるのは必要最低限の経費と釣銭用の小銭だけだろう。
 頑張れば利子分の百万円は用意できるだろうが、十日ごとに同じ金額を工面するのはかなり厳しい。
 高田がいつ帰るのか分からない状況で、残されたスタッフだけで佐竹への借金を返済していくのは、どう考えても無理があった。

「状況が落ち着いたら店長からまた連絡があると思うので、それまで待っていただくことは出来ませんか」
「出来ねえな」

 雪矢の嘆願をあっさりと却下して、佐竹は火のついていない煙草をくわえたまま、険しい表情でため息をついた。

「金貸しは顔商売だ。一度取り立てに失敗すれば他の客にも舐められて、取れる金も取れなくなる」
「でも、店長は佐竹さんの後輩じゃないですか。借金を踏み倒すような人じゃないって、本当は佐竹さんも分かっているんでしょう?」
「どんな事情があっても、結果がすべてだ」

 雪矢の考えが甘いと言われればそれまでだが、あまりにシビアな佐竹の態度に、返す言葉もなくなってしまう。

「店に連絡するのは構わんが、相談しても困らせることになるだけだぞ」

 佐竹の言うことはもっともだ。
 それでも、高田がいない今、とりあえずの利子返済を店の売上金に頼るしかない以上、副店長の三上に相談しない訳にはいかない。

 取り出した携帯を握りしめ、登録されている店の番号を呼び出そうとした雪矢の手は、佐竹の口から飛び出してきたとんでもない言葉にその動きを止めた。

「そうだな……とりあえずアイツが戻るまで、利子代わりにあの女王様顔の副店長にカラダで楽しませてもらうのも悪くねえか」
「っ!?」

 何かの聞き間違いかもしれない、と無理矢理思い込もうとした雪矢の思考を否定するように、佐竹は更に言葉を続ける。

「ああいう性悪ネコは俺の趣味じゃねえが、たまに嗜好を変えるのも新鮮でいいかもしれねえな」
「社長」

 肩を抱かれたまま硬直して青ざめる雪矢の様子を見かねたのか、それまで完全に気配を消していた伍代が背後からやんわりと口を挟んで佐竹を咎めた。

 初めて出会ったときに、雪矢に名刺を手渡した佐竹が「利子は身体払いでいい」と言っていた。
 その時は意味が分からず、単なる佐竹の軽口だと思っていたのだが。
 まさかこの男は本気で、回収できない利子分を身体で返済させるつもりなのだろうか。

「三上さんに変なことをしないで下さい」

 火をつけるつもりがないのか、くわえっぱなしの煙草を弄ぶ男の目を、雪矢は真っすぐに見据えた。

 あの店も、店長の高田を含めた先輩スタッフ達も。
 雪矢にとっては何があっても守り抜きたい、かけがえのない居場所だ。

「それはお前次第だ」
「俺次第……?」

 伸びてきた手が、雪矢の手から携帯電話を取り上げる。

 強く鋭い視線に捕らえられて、雪矢は身動きできずに、佐竹の腕の中で固まっていた。

「利子分俺を楽しませることが出来れば、高田が戻るまで取り立ては待ってやろう」

 さすがに雪矢も、それが何を意味しているのか分からないほど子供ではない。
 男同士でそんなことをして何が楽しいのかと疑問に思わないでもないが、高田の話だと佐竹にはその趣味があるらしいので、男同士でもそれなりに楽しいのだろう。

 魅惑のバリトンが、耳元で悪魔の囁きを紡ぎ出した。

「百万は俺のポケットマネーで立て替えて、店の連中には高田から振り込みで返済があったと説明する」
「それは……脅迫、ですか」
「違うな、取引だ」

 圧倒的に強い立場にある者が無理矢理条件を押し付けることを、佐竹の世界では“取引”と言うらしい。

 トイチの金貸し自体が違法行為であって、雪矢が佐竹の言葉に従う必要はまったくないし、この場合は冷静な副店長・三上に相談して的確な指示を仰ぐのが最善の方法だと分かっていても、目の前の危険な野獣の手から携帯を奪い返すだけの勇気は、雪矢にはなかった。

 佐竹には、言葉にしたことを実行するだけの力がある。
 三上の身に危険が及ぶことだけは、何としても阻止しなければ。

 戦力としては十分に役立てない新米スタッフの自分が店のために出来ることなら、何でもしてみせる。
 固い決意を胸に、雪矢は口を開いた。

「本当に、三上さんにもお店にも手を出さないで、店長が帰るまで待ってくれるんですか」

 震える声で尋ねたのを、佐竹は了承の合図と捉えたらしい。

「――馬鹿だな、お前は」

 低い呟きと同時に危険な野獣はくわえていた煙草を投げ捨て、牙を剥いて、その腕に抱いた獲物に襲い掛かってきたのだった。




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