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「三上さん、香田さん……!」

 雪矢が店に着いたときには、既に到着していた三上と香田が、スタッフルームで難しい顔を並べて話し込んでいた。

「店長、どうしちゃったんですか?」

 新米の雪矢には事情を話せなくても、せめて副店長の三上にはそれなりの説明があったのではないかと思ったが、三上も詳しいことは聞いていないらしい。
 雪矢の問い掛けに、二人の先輩スタッフは無言で首を横に振った。

「さあ……。電話は空港からだったみたいだからしばらくどこかに行くっていうことだとは思うんだけど、いつ帰るかも聞けなかったんだよね」
「あれって多分国際線のターミナルからでしたよね。ってことは……、うわっ、行き先は海外か!」

 行き先が海外ということは、数日で帰って来る可能性は限りなく低い。
 絶望的な表情の香田を横目に、三上はしばらく、高田がつけている店の経営日誌を眺めていたが、やがていつものふんわり柔らかい笑顔を取り戻し、二人の後輩達を安心させるようにハッキリと言い切った。

「大丈夫。店長からもすぐにまた連絡があると思うし、とりあえず三人で何とか頑張ろう」
「三上さん……」
「そうですね。ユキが入るまでは元々三人だったし、誰かが休まなきゃならない時は二人で回してたし!」

 三上の言葉に、自分が動揺していたのでは新人の雪矢が余計に不安を感じてしまうと思ったのか、香田も明るい声でそう言って気合いを入れる。

 先輩二人がいつもの調子に戻ったことで、ようやく雪矢も落ち着きを取り戻すことができた。

 一人前の戦力にはなれない新米でも、雪矢は『KARES』のスタッフなのだ。
 せめて先輩達に迷惑をかけないよう、出来ることは今まで以上に全力で取り組まなければ。

「明日からカフェタイムは俺が一人で担当するから、雪矢君は香田のヘルプについてバータイムに入ってもらえるかな。研修でひと通りのことはやったよね」
「はい!」
「店長が戻るまで頑張ろうな、ユキ」
「よろしくお願いします!」

 何の説明もないまま突然海外に旅立ってしまった高田のことは気になるが、今は残ったスタッフで店を回していくしかない。

 高田が戻るまで、大切なこの店を絶対に守る。
 固い決意を胸に、三上と香田から明日以降の指示を受ける雪矢だったが……。

 突然の出来事に動揺して、先輩スタッフ二人も雪矢も、店の経営以外の重要事項を完全に忘れてしまっていたのだ。

 発注その他の業務がまだ残っているという三上と香田に先に帰るように言われ、申し訳ないような気がしながらも店の外に出た瞬間。
 夕暮れの強い西日を避けるように、細い通りの陰に停められた威圧感のある黒塗りの車に、雪矢の身体は凍りついた。

「――佐竹さん」

 黒塗りの高級車に寄り掛かりながらくわえた煙草を暇そうに持て余していた男が、雪矢の姿を視界に捉えて、その唇の端を引き上げた。

 一週間ほど前に、高田は佐竹から金を借りていた。
 店の経営よりも何よりも、十日に一割という法外な率で利子の取り立てに来るこの男の存在を、どうして忘れていたのだろう。

「高田が飛んだらしいな」
「っ!」

 どうしてそれを、と口に出しかけた言葉は、緊張感から声にならなかった。

 律儀な性格の高田なら、急な海外行きを店のスタッフだけではなく、佐竹に連絡していても不思議ではない。
 高田本人が連絡しなくても、佐竹の情報網を使えば金を貸している客の動向は自然と耳に入ってくるのだろう。

「飛んだ、なんて言い方をしないで下さい。店長は急な用事でちょっとどこかに行っているだけです」
「急な用事、か」

 ふん、と鼻で笑ってゆったりと煙を吐き出す佐竹の顔は、いつも店で雪矢に向けるものとは違う“金貸し”の顔になっていた。

 初めて会ったときは怖いと思ったが、何度も店に通って自分の淹れるコーヒーを飲む佐竹を見ているうちに、雪矢の中にはいつの間にか佐竹への興味や親しみ、そして信頼感が生まれていた。
 佐竹は絶対に高田や自分を傷付けるようなことはしない、と。
 一方的にそう信じていたのに。
 目の前にいる佐竹は、雪矢が知っている今までの佐竹とは別人のように見えた。

「今日が十日目の回収日なんだが、“急な用事”で外出中の店長は利子分の金を置いていったのか?」

 低い声で囁かれる一言一言が、圧倒的な威圧感をもって雪矢の心を押し潰そうとする。

 店に戻って三上にこのことを相談しなければ。
 そう思って踵を返そうとした雪矢の身体は、逞しい腕に引き寄せられ、強引にその腕の中に閉じ込められてしまった。

「離して下さい!」
「暴れるな」
「佐竹さんっ」

 チンピラに殴られかけて助けられたあの時にも、こうして煙草の香りに包まれたが、あの時はあんなに安心できた腕の中が、今はただ怖い。

「乗れ」

 抱き抱えるようにして連れて来られた黒塗りの車の前で、佐竹が低く命じる。

「嫌だ、離せ……!」

 何とか抵抗しようと試みても、屈強な男の身体は微動だにせず。
 雪矢が暴れているうちに、佐竹の合図で運転席から出て来た伍代が後部席のドアを開け、雪矢の身体は無理矢理中に押し込められてしまったのだった。



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