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○●○


「失礼します」

 スタッフルームのドアを開けた瞬間。
 室内を満たす異様な空気に、雪矢は何も見なかったことにしてドアを閉めてしまいたくなった。

 高田専用の事務用椅子に当然のように足を組んで座り、不機嫌そうな顔で火のついていない煙草をくわえる佐竹と、忍びのようにその横に控える伍代。
 スタッフ用のソファにボロボロのホスト青年を座らせてその隣に陣取り、「手当てしてあげるから、脱いで脱いで!」と、細いキツネ目を輝かせながら何故かきらびやかなスーツを下の方から脱がせようとする高田。

 ピンチを救ってくれた佐竹と伍代、そして日頃世話になっている高田には悪いが、この状況は誰がどう見てもヤクザの事務所に連れ込まれて顎ヒゲを生やしたオカマに襲われているホストの図にしか見えない。

 当然のことながら、青年の顔は気の毒なほど青ざめ、強張っていた。

「て、店長! 手当ては俺がします」
「あら、そう?」

 鼻血をふき取って顔の傷を消毒するより先に服を脱がせようとする高田に任せてしまっては、青年の身が危ない。
 慌てて高田の手から救急箱を奪い取り、雪矢がソファに腰を下ろすと、佐竹の男らしい眉が微かに跳ね上がり、火のついていない煙草が噛み潰されたのが分かった。

「あの……今日はご迷惑をおかけしてしまって、本当に申し訳ありませんでした」
「迷惑ってことはないんだけど、どうしたのよ」
「路地裏で彼が殴られているのを見つけて、警察に連絡しようとしたら俺まで怖い人達に絡まれそうになっちゃって……偶然通りかかった佐竹さんに助けて頂いたんです」
「まあっ、そうだったの……ユキヤちゃんは大丈夫? 怪我はない?」
「はい。――佐竹さん、伍代さん、ありがとうございました」

 改めて礼を言って頭を下げても、尊大な態度で事務椅子に腰掛けた佐竹の表情は変わらない。
 どうやら、機嫌があまりよくないらしいという雰囲気は雪矢にもひしひしと感じられた。

 学生時代のエピソードをチンピラ集団の前で語って聞かせるぞと脅して無理矢理青年を助けさせたので、機嫌がいいはずがないというのは分かるが、今はボロ雑巾のように汚れてぐったりと脱力した青年を高田の魔の手から救い出すことが最優先事項だ。

「消毒の前に、一度血をふき取りますね」
「あ……すんませんッス」

 ガーゼを手に、雪矢が隣に座る青年の方へと身体を向けると、ホストの青年は素直に雪矢に顔を向ける。
 その様子が何だか聞き分けの良い子犬のように見えて、雪矢の口元は自然に緩んだ。

 よほど派手に殴られたのか左頬が腫れ、口の周りは鼻血まみれになっているが、元々の顔立ちは整っているのだろう。
 くっきりとした二重の目は人懐っこさを感じさせ、シャープな顎のラインやよく通った鼻筋から、ボロ雑巾状態になる前は女の子に人気がありそうな、今時のアイドル系の甘いルックスだったのだろうと想像できる。

「痛くないですか」
「痛い、っすけど、大丈夫ッス。……すんません」
「消毒液、染みたら言って下さい」

 呼吸をするのも辛いような重苦しい沈黙の中で雪矢が黙々と作業を続けていると、何故か高田と伍代が肩を震わせて笑いを噛み殺していて、そのことに気付いた瞬間、佐竹の地を這うバリトンが耳に飛び込んできた。

「小僧、名前は?」

 視線だけで人が殺せるのなら、ホストの青年は佐竹の鋭い視線に射抜かれて即死していただろう。
 顔を強張らせ、ホストの青年は小さく震える声で佐竹の問いに答えた。

「リョウっす」
「俺はお前の客じゃねえんだ、源氏名になんざ興味はねえよ」
「か、川崎良二っす!」

 危ないところを助け出されたとはいえ、良二にとってみれば佐竹は得体の知れない男だ。
 むしろ、チンピラ集団とは格の違う極道オーラからすると、囲まれて殴られていた時より状況が悪化していると思っても仕方ないだろう。

 あまり苛めないであげて下さい、と言ってやりたい雪矢だったが、佐竹の不機嫌の理由は自分の脅迫まがいの行為なのだと思うと何も言えず、消毒用のガーゼを握りしめたまま良二の隣でただひたすら小さくなるしかなかった。



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