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「ユキヤちゃん……! 無事だったのねっ」
店に戻った雪矢を出迎えてくれたのは、目を潤ませた高田の暑苦しい包容だった。
「申し訳ありません。遅くなってしまいました」
「全然帰ってこないから心配してコウダちゃんにお迎えに行かせようと思ってたのよ。どうしたの、大丈夫?」
「はい、大丈夫、ですけど……苦しいです、店長」
ヒョロ長体型とはいえ成人男性の力で思い切り抱きしめられるのは苦しく、額に当たる顎ヒゲのジョリジョリとした感触が何ともいえない。
カウンターの中の先輩スタッフ達に視線で助けを求めた雪矢だったが、三上は完全にこの状況を楽しんでいる様子で助け船を出してくれる気配はなく、雪矢が入るまではこの店で一番の下っ端だった香田にはそもそも発言権すらないのか、爽やかな笑顔が女性客に人気の体育会系バーテンダーは生温い視線で男二人の暑苦しい抱擁を見守るだけだった。
好きでチンピラに絡まれた訳ではないとはいえ、買い出しに出たまま戻るのが遅れたのは自分の責任なので、暑苦しい抱擁とヒゲの感触はペナルティーとして受け入れるしかない。
「買い物帰りにトラブルに巻き込まれてしまって……、佐竹さんに助けていただいたんです」
「えっ? トラブルって……ああっ!」
そこでようやく雪矢から身体を離した高田は、いつも以上に迫力を増した極道オーラ全開で入り口に立つ佐竹と、ボロボロになって脱力したホストの青年を米俵のように肩に担いでその後ろに控える伍代に気づいたらしい。
どう見ても死体を運ぶヤクザにしか見えないその光景に、さすがの高田も一気に顔を青くしてうろたえた。
「やだちょっと、大変! 佐竹さん、その子大丈夫なの?」
「死んではいねえだろ」
「そういう問題じゃないでしょ! 早く手当しなきゃ、ボロボロじゃない」
「お前の店のスタッフにねだられて高い買い物をした」
「ど、どういうこと?」
とにかくスタッフルームへ、と高田に促され、ホストの青年を担いだ伍代と佐竹が店の奥へと入っていく。
「ユキヤちゃん、事情は中で聞くわ」
「はい」
買い出しの帰りが遅くなってしまったため、そろそろ店にはバータイムの客が入り始める頃だ。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
佐竹が一緒に拾い集めてくれた買い出しの荷物をカウンター内のキッチンに入れて先輩スタッフ二人頭を下げると、面倒見のいい兄貴肌の香田が「気にするなよ」と笑ってフォローを入れてくれた。
「でも店長にはもう一回ちゃんと謝っておけよ。ユキがどっかで悪い狼にでも引っかかって可愛いおケツが大ピンチなんじゃないかって心配してたからな」
「お尻は、その……大ピンチというほどではなかったんですけど」
「なんだよ、もしかしてヤバかったのか」
無事を確かめるという口実で佐竹に揉まれはしたが、あれはピンチのうちには入らないだろう。
静かにグラスを磨いていた三上がその言葉に手を止め、いつもの柔らかい笑顔を雪矢に向けた。
「そういう面白そうな話なら、ぜひ聞きたいな」
「いえ、面白いことは全然ないですよ」
「香田も聞きたいよね、雪矢君のお尻がピンチになった話」
「えっ? はあ、まあ、聞きたい……かな」
下っ端歴の長い香田は、三上の笑顔には逆らえないらしい。
これは後から二人に先ほどの出来事を語ってきかせるしかなさそうだと諦めた雪矢だったが。
その後、スタッフルームで更に三上を喜ばせる“面白いこと”が起ころうとは、この時予想すらできていなかったのだった。
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