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「お蕎麦ご馳走さまって、言いそびれちゃったな……」
猛ダッシュで去っていく長野君の背中を眺めてふと呟くと、俺の頭にも北山さんのゲンコツが降ってきた。
今度は長野君の頭に炸裂していたような威力のあるゲンコツじゃなくて、軽く頭に乗せるような、優しいゲンコツだ。
「北山さん?」
全然本気じゃないとはいえ、どうして俺の頭にゲンコツが降ってるんだろう。
気付かないうちに何か北山さんに失礼なことをしてしまったのかと不安になって長身の恋人の顔を見上げると、無愛想な男前の顔に不機嫌のオーラが漂っていた。
「あんなガキに餌付けされるんじゃねえ」
「餌付け?」
「蕎麦なら家で俺がいくらでも茹でてやる」
ちょっと拗ねているようにも思える口調と、俺じゃなかったら気付かないかもしれないくらい僅かに赤くなった形のいい耳の先。
これって、もしかして。
「ヤキモチ……ですか?」
まさか北山さんがヤキモチを焼いてくれるなんて信じられなくて、思わず訊いてしまうと、頭の上に乗せられたままのゲンコツをグリグリと押しつけられ、髪を乱されてしまった。
「大体お前はアイツに甘過ぎる。ヒトが必死にお預け状態で我慢してるってのに、あのガキ……露骨に挑発しやがって」
「そんなに、我慢してくれてたんですか」
「その、アレだろう。男同士ってのはヤられる方に負担がかかるし、挿れない奴らも多いって後から調べて……あの日いきなりひでえコトしちまったんだって俺なりに反省したからな」
最初の行為は俺も望んでしたことで、ちょっぴり身体は辛かったけどそれ以上に気持ちよくて幸せだったから、北山さんが気にすることはないのに。
というか、ノンケの北山さんが一体どうやって男同士のアレコレを調べたのかが気になる。
「一昨日も、あのままキスしちまったら絶対暴走してまたお前に無理をさせると思って出来なかった」
もう一度、低い声で「悪かった」と謝る北山さんの胸の温かさに、また涙が出てしまいそうだった。
最初から一人で変に悩まないで、北山さんを信じて気持ちを全部伝えちゃえばよかった。
北山さんはちゃんと俺のことを思ってくれていたんだ。
「北山さん」
「うん?」
「俺……刺激の強いこと、したいです」
我慢なんてしないで。二人で気持ちよくなりたい。
そう言って密着した下半身を今度は俺の方から擦りつけると、無愛想な男前料理人は一瞬硬直した後で、俺の肩に顔を埋めて盛大にため息をついた。
「あまり可愛いコトを言うと、このままココでヤるぞ」
「それは、ちょっと」
いくらこのビルが周りの建物より高くてヘリコプターでも飛ばない限り屋上を覗かれることがないとはいえ、会社でそんな大胆な行為に及べる度胸はない。
「今夜、ちょっと遅くなるかもしれないけど遊びに行ってもいいですか」
大好きな北山さんの耳たぶに唇をつけてそっと囁くと、腰に当たる雄の分身が更に大きく成長して言葉より先に了承の意を伝えてくれた。
「小悪魔め」
熱を孕んだ低い掠れ声。
これ以上くっついていると本当に屋上でヤられかねない。
身の危険を感じた俺は、最後に形の綺麗な耳たぶを軽く噛み、やや前屈みの体勢で固まった大好きな恋人を残し「仕事に戻ります」と屋上を後にしたのだった。
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