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 ――とはいっても。

 北山さんに会いたくて毎日蕎麦コーナーに通い詰めていた俺が貧血で倒れ、どうやら俺を心配してくれていたらしい北山さんと医務室での濃厚なひとときを過ごして、付き合い始めることになったのが今年の夏の話だ。

 その後、北山さんが日替わり定食の担当に異動することになって。

 季節は変わって、今は秋。

 驚いたことに、未だに、北山さんが俺を抱いたのは医務室でのあの一回限りなのだった。

 付き合い初めて三ヶ月も経つというのに、最初のあの一発以降まったくエッチなことをしていないこの状態は、本当に付き合っていると言えるんだろうか。

「はあ……」

 もしかして、俺ってあまり魅力がないのかな。
 落ち込むようなことはなるべく考えないようにしようと思っているのに、つい頭に浮かんでしまった自分の言葉に気持ちはどっぷり沈み込んだ。

 何となく勢いで行為になだれ込んでしまった感はあったけど、あの時の北山さんはあんなに激しくて凄かったのに。
 やっぱり、試してみたら男の身体は気持ち悪かったとか、そういうことなのか。

 物心ついた時から男しか好きになれない俺と違って、北山さんは今まで男を恋愛対象として考えたことはなかったと言っていたから、男は無理だと言われれば俺は諦めるしかない。

 でも、デートの時の北山さんはあの無愛想な顔からは想像もできないくらい優しくて、俺をものすごく大切にしてくれていた。

 平日は俺の帰宅が遅いから、会えるのは週末だけ。
 二人きりで会う度にとろけそうになるくらい甘やかされて、一緒にいるだけで幸せで。
 もし北山さんがどうしても男の身体は無理だと言うならずっと身体の関係がないままでもいいから側にいたいと思ってしまう。

「はー……、泣きたい」

 さっき声をかけてもらえた時には天にも舞い上がりそうな気持ちだったのに、すっかりマイナス思考にハマり込んだ俺は、自分を励ますようにもりもりとキャベツを口の中に詰め込んだ。

 熱々のタレが包み込む、ほんのり優しいキャベツの甘みと香ばしい肉の旨味が落ち込んだ心を少しだけ元気にしてくれる。

 美味しいです、北山さん。
 そして少しだけ、切ないです。

「あ、柚木さん! お疲れさまでーす」
「ん?」

 物思いに耽りながらも食欲には勝てず、悩み事がある人間とは思えない早さで回鍋肉をたいらげていると、頭上から元気な声が降ってきた。

 誰かと思って顔を上げた俺の目の前には、北山さんと同じ調理用の白衣を着て立つ青年の姿。

「長野くん、お疲れさま」
「今日は珍しく奥の方にいたんですね。隣、いいすか」
「うん、どうぞ」

 隣を少し広くするためにトレーをずらしてやると、青年の顔にまぶしい笑顔が広がった。

 長野くんは新しく入った社食の調理スタッフさんで、今はお蕎麦コーナーで見習い修行中の好青年だ。
 北山さんと並んでも変わらないくらい背が高いけど、どちらかというと初対面の人に威圧感を与えてしまう無愛想男前の北山さんとは正反対で、甘えん坊の大型犬のような笑顔で何故か俺に懐いてくれている。

 一人っ子の俺は何だか可愛い弟ができたみたいで嬉しくて、いつの間にか、顔を合わせた時は自然に会話を交わすようになっていた。

「こんな忙しい時間に休憩?」
「忙しい時は逆に俺、邪魔なんで。今休んで、もうちょっと厨房が落ち着いてから中に入るんです」
「ふーん……見習いも大変だなあ」
「最近は結構早く茹でて出せるようになってきたんですよ。柚木さんにも俺の茹でた蕎麦、食ってもらいてえなー」

 チラチラと俺を見つめるおねだり顔に、笑ってしまう。
 北山さんが日替わり定食コーナーに異動してから、しばらく社食のお蕎麦を食べていなかったけど、長野くんにしてみれば、蕎麦好きの俺が蕎麦コーナーから離れたのは長野くんをまだ一人前として認めていないからじゃないかとか、色々悩むところはあるのかもしれない。

「じゃあ、今度休憩時間を昼時からずらして入れるときに長野くんのお蕎麦をご馳走になろうかな」
「マジすか!」
「マジす!」

 たった一言で大袈裟に喜んでくれる可愛い大型犬に癒されて、さっきまで落ち込んでいた気持ちが少し浮上する。

 ――ゲイじゃない北山さんが俺を受け入れてくれただけでも奇跡なんだから、焦っちゃ駄目だ。
 俺が北山さんを好きな気持ちはずっと変わらないし、ゆっくり少しずつでも距離を縮めていけばいい。

 のんきにそんなことを考えていた俺は、厨房の奥から向けられていた強い視線に、この時まったく気付いていなかった。




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