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独身寮も社宅も完備の会社に就職しておきながら普通のアパートに住む事を決めた理由は、ただ一つ。
就業時間が終わってまで会社の人間関係に縛られたくなかったからだ。
激安だろうが何だろうが、疲れて帰宅した後で上司や先輩たちと顔を合わせなきゃならないなんて冗談じゃない。寮生活は大学4年間だけで十分だ。……などと生意気な事は、さすがに新人の分際では言えなかったのだが。
配属が決まった時点で優しそうな総務主任にさりげなく独身寮の入寮状況を尋ねた俺に、総務主任は笑って、今時の若者に独身寮は不人気でほとんどの職員が自分で賃貸のアパートやマンションを借りていると教えてくれた。
その言葉に安心した俺は早速物件探しを始め、会社までバスで一本、家賃も間取りも手頃なアパートを見付けて即契約。
さあ、これから楽しい社会人ライフが始まるぞ! とウキウキしながらお隣りさんに引越しのご挨拶に伺って。
そこで、何とお隣りさんが偶然にも同じ会社の先輩である事を知り……。
何故か『俺に憧れた新入社員がわざわざ隣の部屋に越してきた!』と甚だしく勘違いした飛島さんの笑顔全開の歓迎と共に、楽しい社会人ライフの計画は一瞬で崩れ去ってしまったのだった。
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「ちゃんと食ってんのかよー新堂」
高級和牛と共に数ヶ月前の切ない記憶を噛み締めていた俺の皿に、山盛りの春菊が投入される。
すき焼きセットと大量の酒類を持ち込んで貧乏な新人を元気づけに来てくれた隣部屋の住人は、既に酔っ払い丸出しの口調で目茶苦茶に鍋を取り仕切っていた。
「つか、一気に肉入れないで下さい。食うのおっつかなくて固くなるでしょうが」
「くっそー! やっぱすき焼き最高だな!」
「だから、まだ肉あるのに足さないで下さいって!」
酔っ払った飛島さんほど手のかかる人間はいない。
外で飲む時は全然酔いが表情に出ないし、2次会3次会の幹事までキッチリこなすのに。
家で飲んだ時のこのベロベロ加減は一体何だろう。
自称『ちょっぴり男臭さ増量中の醤油顔』。細いツリ目と直線的な眉が凛々しさを感じさせる精悍な顔立ちで。仕事もデキるし、人当たりが良くて気軽に話せると女性社員にウケのいい日中の飛島さんからは想像出来ない駄目っぷりだ。
「俺の皿にばっかり春菊入れてないで自分でも食えばいいじゃないですか」
「すき焼きって肉とエノキと白滝だけでいいよな」
「春菊も栄養!」
何て手のかかる駄々っ子。
まるで飛島さんの母親のような事を言ってしまった自分が少し嫌になりながら、我が儘な先輩の皿に豆腐と春菊を入れてやる。
ふと見ると、飛島さんは箸を握り締めて、何やら感激した様子で俺の顔をじっと見つめていた。
「新堂……お前って、優しくて俺思いのイイ奴だな!」
「イヤ、春菊勧めただけでそんなに感激されても」
酔っ払いの飛島さんは、時々こういうおかしなスイッチが入る。
どうやら俺はまた、飛島さんの変なツボを刺激してしまったらしかった。
「クラスで3番目くらいに女子に人気がありそうなイケメンだし、料理も上手いし」
「3番目って結構微妙じゃないですか」
「何でこんなにイイ男なお前がモテないんだろうな! 女って分かってねぇな!」
「失礼な! 俺は別に女にモテないワケじゃないですよ」
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