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 学生の頃の俺は、社会人になったら自由に使える金が増えて、毎日接待やら何やらで美味いモノばかり食べて暮らしていけるような、そんな夢みたいな事を考えていたけれど。

 当然、現実がそんなに甘いモノであるはずはなかった。


「あー……貧しい……」

 いくら一部上場の優良企業に就職できたからと言って、新人の給料は高々知れている。
 今月は友人の結婚式で帰省したりして、結構出費も多かったし。来週の給料日まで慎ましく生きなければ、と夕飯の献立に頭を悩ませていたその時。少々間の抜けたチャイムの音が聞こえてきた。

 合コンの予定が入っていない週末の夜。訪ねてくる人間は決まっている。

「へーい」

 インターホンも確認せずにドアを開けると、案の定、想像していた通りの笑顔が俺を待っていた。

「来ちゃった!」
「……トビシマさん」
「何よ何よ、もっと嬉しそうな顔しなさいよ新堂さんの馬鹿っ」
「酒も入ってないのに何でそんなハイテンションなんすか、先輩」

 今夜は『押しかけ彼女を気取るオカマ』がコンセプトなのか。

 会社帰りのスーツ姿のままで長ネギのはみ出した買い物袋を手にベタなセリフをかましてくれた男は、同じ会社に勤める先輩社員の飛島さんだった。

 180センチを軽く超える長身と学生時代は体操選手だったという鍛えられた逞しい体躯で、てへっとわざとらしく可愛い子ぶりっこする先輩の姿は不気味以外の何者でもない。
 見なかったことにしてドアを閉めてしまいたい気持ちを抑えて買い物袋を覗くと、飛島さんは誇らしげに袋を掲げて中身を見せびらかしてきた。

「今夜の晩メシはすき焼きに決定!」
「……わざわざそれを自慢するためにチャイム鳴らしたんすか」
「馬鹿、新堂。俺がそんな嫌な奴なワケねーだろ。材料はちゃんと二人分買ってきたから、お前が作って俺に食わせんだよ」
「相変わらず、鍋すら自分一人では作れないと」
「うっせーな。給料日前でピーピー言ってる後輩に美味いメシを食わせてやろうっつー俺の海より深い愛が分からねーのか」
「痛っ、蹴らなくてもいいのに」

 こんなやり取りも毎回恒例になりつつある。

 ドアを大きく開けて立ちっぱなしの先輩を玄関に招き入れようとしたところで、廊下のずっと向こう、階段に一番近い部屋のドアが開いて、中から青年が顔を出した。

 単身用のアパートであまり近所付き合いはないからよく分からないけど、何度か朝のゴミ出しで顔を合わせた事のある彼は、確か近くの音大に通う学生だったはず。これからバイトにでも向かうんだろう。

 お互い微妙な笑顔で挨拶だけして、音大生君が階段を下りていったのを見届けてから、家に上がり込んできた飛島さんがニヤリと笑ってとんでもない事を言い出した。

「なあ新堂。俺たち、完全にホモカップルだと思われてるな」

 突然何を言い出すかと思えば、この人は。

「勘弁して下さいよ。つか、何でそんな“してやったり”な顔なんすか」

 確かに、飛島さんが押しかけ彼女ネタで俺の家に遊びに来るのは初めてのことではないし、あの会話を聞かれていたらホモだと思われても仕方がないかもしれないけど。
 そんな風に誤解されているんじゃないかと言うワリに、やけにご機嫌な先輩が気になって訊いてみると、自信たっぷりの意味不明発言が返ってきた。

「ホモカップルだと思わせときゃ、女の子連れてきて遅くまでアンアン言わせたり派手にベッド軋ませたりしても音源が俺だってバレねぇだろうが」
「……巻き添えでホモ認定される俺には酷いとばっちりでしかないんですが」
「憧れの先輩とホモカップル気分が味わえるんだぞ! 喜べ」
「……」

 この先輩に何を言っても無駄だという事は、分かっている。
 分かってるんだけど、それでも何か言ってやらずには気が済まない。

 そもそも、飛島さんが女の子と激しくお楽しみになる時の一番の被害者は俺なのだ。

 俺のベッドは、薄い壁一枚隔てて飛島さんのベッドと隣り合っている。

 つまり、飛島さんは俺の隣部屋の住人なんだから。



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