episode3
朝、目が覚めて窓の外を見たら雨が降っていた。
ここはドームの中だから、天気は管理されている。
テレビで『明日は晴れます』と言われれば、その通りになる。外れることなんて基本的には無い。
昨日も明日は晴れって言ってたのに。
いや、確かに晴れてはいるようだった。晴れてるけれど雨が降っている。天気雨。
とりあえず身支度を済ませて居間へ行く。
焼きたてのトーストをかじり、ホットココアを片手にテレビを付けた。
臨時ニュースが入ったのだろう。アナウンサーが慌てた様子で手元の紙を見ながら言った。
「東都内の降雨装置が一部故障した可能性があり、主に西部で予定外の雨が降り始めました」
と。
西部とはもろにこの周辺。
昨日は殺人ロボット(多分)に襲われるし、ろくなことがない。
「本日中には復旧出来るとの見解……」
ココアを飲み干し、テレビを消した。
復旧と言ったって、数百メートル上にある装置を簡単に直せるはずがない。
今日の帰りは遅くなるかもしれないなぁ。
その旨を紙に書いて、まだ寝てるお母さんが後で見るようにテーブルの上に置いておく。
一応替えの靴下を鞄に入れて、外へ出る。
「うわ……」
思わず声に出してしまった。
私の家はアパートの二階だから被害は無いけれど、軽く水流ができている。
地面に溜まった水はすぐに捌けるようになっているはずなのに。
捌ける量より降ってくる量の方が多いってことなのだろうか。
「早く修理してほしいなぁ……」
道路に出たら、靴が水に浸かった。
歩きにくいことこの上ない。風がない分マシだけど。
学校に近付くに連れて、同じようにずぶ濡れの学生達をたくさん見かけるようになる。
足元を流れる水の量も急激に多くなってきて、今では膝下まで浸かってしまう。
いつもなら楽しそうな笑い声に包まれる通学路も、今日はこの災難に対する嘆きと怒りと溜息ばかりが聞こえていた。
ハンパない降水量で視界も悪く、みんな俯きがちだった。
当然、私も。
故に、前に木があることにも気付けなかった。
「いたっ」
傘が太い幹にぶつかり、一度曲がった骨組みが再び真っ直ぐになろうとする力によって押し戻される。
バランスを崩した私は、持っていた鞄を手放してしまった。
はっとするも時既に遅し。
坂道を勢い良く流れていく私の鞄。
「ちょっ……ちょっと、誰かそれ取ってっ!」
一応追いかけてみるけれど、その差は縮まらない。
周りの人それを目で追っているけれど、簡単に取りに行けるような状況でもない。
すると、通りすがり(と思われる)の男子生徒が、すかさず拾い上げてくれた。
「大丈夫?」
「あ……はい。ありがとうございます」
物腰柔らかそうなその人が、優しい笑顔で鞄を差し出してくる。
すかさず受け取る。が、目の前の人物が手を離してくれない。
不審に思って顔を上げた。
その人の視線は手元の鞄辺りに落とされていた。
淡い紫苑の髪から覗く深紅の瞳。黒いフレームの眼鏡を掛けていたけれど、目力とでも言うのか、何かぞっとする雰囲気を醸し出していた。
「あの?」
「……ああ、ごめん。……本当に、ごめんね」
ここでやっと手を離してくれた。
そんなに真面目に謝られると、なんだかこっちが悪いことをした気分になってしまう。
恩人とも呼べるその男子生徒が行ってしまうのを見届けてから、私も再び登校した。
鞄の中を覗く。
持ってきた替えの靴下も、その役割は果たせそうにない。
テキストも完全に水に浸かってしまったようだ。乾かしてもヨレヨレなんだろう。
「どうしてこう嫌なことばっか続くかなぁ……」
溜息が出る。
けれど、私に降りかかる災難はこの程度では済まされなかった。
もうすぐで坂を上りきるというところに差し掛かった時だ。
「あ、れ……昨日の疲れが、抜けてないのかな……」
さっきから校門が見えているのに、なかなか近付けない。と言うか、徐々に足が重くなってきていた。
水に押し戻されているせいもあるのかもしれない。
気を抜いたら流されてしまいそうだった。
必死で歩いて、なんとか学校の敷地内に入る。
昇降口から一番近い階段に、人集りが出来ていた。
校舎内にも水が入り込んでいて、その様子を見に来ているようだ。
より一層足が重くなっていた私は、早く屋根下に逃げ込みたい一心だった。
雨が凌げれば少しはマシになるのではないかと思ったから。
けれど、そこまで辿り着けなかった。
「っ!?」
前に出そうとした足が上がらない。まるで何かに引っ張られたみたいに。
そのまま、俯せに倒れた。
すぐ起き上がろうとするけれど動けない。
体の半分以上が水の中。息も出来ない。
何かに、誰かに、押さえられているような気がする。
もしかしてイジメなのだろうか。
転校してきたばかりなのに、私カナちゃんと仲良くなって調子に乗っていた?
独り占めしすぎていた?
そう思ったら、この状態も大勢の人に笑われているように感じた。
さっきの人集りも、道端で私が溺れるのを見に来て……
どうやら死にそうで弱気になっているらしい。卑屈になっている。
息が苦しくなって、酸素を全て吐き出してしまう。そうしたら体が新たな酸素を求めて思いっ切り吸い込む。
酸素の代わりに、大量の水が口からも鼻からも入り込んでくる。
もう無理。
意識が遠退いた。
───‥
「……お前こんなの見たことあるか?」
『お前が無いんだから俺も無いに決まってる』
昇降口付近、人が集まる場所から離れた所で浸水した廊下を見下ろす。
不安そうな女生徒達を横目に、一人不敵に笑う。
心配することなど何も無い。原因は分かり切っているのだから。
『……あのこは、まだ来ないのか』
「この雨だからな。少しくらい遅くたって、不思議じゃないだろ」
始業のチャイムが鳴る。
けれど教室へ向かう生徒は少なく、教師が来る気配もない。
今頃職員室で慌てているはずだ。
ここまでとは想定外だっただろう。休みにしようにも、もうほとんどの生徒が登校してしまった。
「……人間の考えは浅はかだな」
『なんの話だよ』
「別に」
「ですので、今大至急原因の解明を担当のグループに……!」
周囲に丸聞こえなくらい大きな声で通話をしながら、一人の生徒が階段を降りていった。
青いネクタイをしているから、三年生だ。人の塊を割って、水浸しの中歩いていく。
その時、何人かが悲鳴を上げた。
視線の先を見てみる。
「何をしてるんだアイツ……」
知っている人物だった。。
もっとよく見える場所へ移動する。
道の上で突っ伏したまま動かない。
(あんな浅い場所で溺れるなんて、カナヅチなのか?)
『助けに行……くわけないよな』
「いくらなんでも、殺しはしないだろ?」
『さあ。俺はすぐ助けたし、相手も事前に分かってたから気を付けてたし』
悠長に眺めていたら、先程電話していた三年の生徒が傘も差さずに水中で意識を失った生徒のもとへ駆け寄った。
揺すっても頬を叩いても反応しない。
三年の生徒はどこかへ電話を掛けると、耳に当てた携帯を肩で押さえながら女子生徒を抱き上げ、校舎内へ戻ってきた。
早足でどこかへ向かう。
方向で大体は場所を把握した。病人を運ぶならあの教室しかない。ちょうど一階に存在する。
「行くか」
一層どよめく生徒達の間をくぐり、階段を降りて、ゆっくりと後を追った。
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