Demi et Demi | ナノ


episode4


「我が……カナ…………ィーノ」

声が聞こえる。
右手が温かい。と言うか熱い。

「……の…約を……者……」

重い瞼を開く。
見たことのない真っ白な天井が視界を埋め尽くす。

ああ、私溺死したんだった。
ここは天国だろうか。
良かった。地獄じゃなくて。

「情けない最期だった……」

口にすると、きちんと自分の声が耳に届いた。

「何言ってるの。まだ生きてるわよ」

続いて、自分じゃない声。
顔を横に向ける。
カナちゃんが手を握っていてくれていた。

「ここは……?」

「病院よ。すぐに助け出されたから、大事に至らずに済んだみたい。今朝のこと、覚えてる?」

「うん」

水中に引きずり込まれるようなあの感覚……出来ることなら記憶から抹消したい。
体を起こしてみた。どこも痛い所はなく、安心する。
窓越しに見える外の風景は、綺麗な夕焼けだった。
降雨装置の修復は完了したのだろう。

「ごめんなさい。あれ、私のせいなの」

「え?」

まさかカナちゃんがイジメの主犯格!と思ってみたけれど、そういう雰囲気ではない。

「実は私……」

そこまで言い掛けたカナちゃんは、病室の入り口を見ると椅子から立ち上がった。
開いていたドアを閉める。それで、これから重大な話をするのだと分かった。
幸いここは個室。誰にも聞かれない。盗聴器でも仕掛けられてなければ。

カナちゃんは元の場所に戻ってきて、

「私、“天使”なの」

と真顔で言った。

「……ぷっ」

思わず吹き出してしまった。
だって、自分が天使だなんて、小学生でも騙されない嘘だ。

「天使は伝説だよ、カナちゃん」

そう。天使は伝説の生き物。
特別な力を備え、この惑星の危機を救い、今でも人の姿を扮して日常を影ながら守っている……それが、いつしか人々の間に広まった天使という生き物の像。
姿を見たという人を私は知らない。
そもそも特別な力が具体的になんなのかも不明だった。
そのくらい天使の情報は曖昧で、実在すると信じる者なんてきっと極僅かだろう。

それをカナちゃんは自称しているのだから、笑ってしまう。

「……これを見て」

『そうよね。こんな嘘じゃ騙されないわよね』
そう笑ってくれるものだと思ったのに、カナちゃんの表情は依然真面目そのもの。
飲みかけのお茶が入ったペットボトルを手に取り、蓋を開け始めた。
それを、平然とひっくり返す。

「ちょっ」

自分の部屋ならまだしも、ここは病室。そんなことをしたら中身が全部零れて、何を言われるか分からない。
けれど、何も起きなかった。
確かにペットボトルにはお茶が入っている。
重力に反して、今は上にある底部にしっかりくっついていた。

そして何故か、どんどん私の右手が熱くなってくる。

「どういう仕掛け?」

「仕掛けなんて無いわ。愛依に宿った水属性の力を手に入れた。だから水を操れるようになったのよ」

そう言って笑う顔が、どことなく不気味に思える。

途端に、お茶が全部落下して床にぶちまけられた。
カナちゃんがびしょ濡れの床に手を翳すと、そこは何事もなかったように綺麗になり、代わりに液体の玉のようなものが浮かんでくる。

まるで新しいオモチャを手にした子供のように、カナちゃんは何度もお茶を自在に操っていた。
その間も右手は熱くなり続け、痛みを帯びる。切り離したくなるくらいに。
左手で、右手首を押さえた。

「どういうことなのか、全然、分からないよっ」

「そうね。説明するわ」

カナちゃんがペットボトルにお茶を戻し、蓋を閉める。一度床にぶちまけたせいでもう飲めないので、乱雑にゴミ箱に放り投げられた。
すると、右手の痛みも熱も引いていった。

「愛依が天使についてどの程度理解しているかは知らないけど、天使はこの世界とは全く別の世界で自然と共存している生き物。自然を大事にする代わりに、力を借りてるってところね。私は、“こっち”の世界で暮らすための試験を受けに来たのよ」

全然付いていけない。
まるでお伽噺だ。

「……聞いてる?」

余程間抜けな顔をしていたのだろう。
カナちゃんが眉間に少し皺を作った。

「聞いてるけど……全然意味が分からないというか、信じられないというか……」

「力を見せたのに、まだ信じられないの?」

あんなの手品にしか見えない。

「まぁいいわ。面倒だから先に進むわね」

なんか……
ここにいる人が全くの別人に見えます神様……

「昨日、愛依の手を握ってしまったでしょ?ロボットから逃げる時。あの時に、愛依の体に水属性の種を植え付けてしまった。そのせいで降雨装置が故障し、愛依は死にかけた。というわけ。でも安心して。もう封印したから、こんなことは起きないわ」

ものすごく爽やかな笑顔で言われてしまった。
いろいろとはしょられてて意味が分からない。分からせようとする気も無いように思える。

「せんせー……もっと分かりやすく説明してくださーい……」

「今ので理解しなさいよ」

返す言葉もなくなる。

カナちゃんは溜息をつきながら、横の椅子に手を伸ばした。
けれど、そこには何も無い。

「残念。家に置いてきちゃったみたい」

何を、とか尋ねる気も起きなかった。

「次学校で会った時に詳しく説明するわね。それじゃ、お大事に」

めちゃくちゃ明るい声で、軽やかに手を振りながら出て行こうとするカナちゃん。

「えぇっ!そんな無責任な……っ」

「あ、そうそう」

私のことは完全にスルーで、カナちゃんは病室のドアを開けようとしたとこで立ち止まった。

「今話したことは他言無用よ。話したら、二度と口利けないようにしてやるから」

「…………」

静かにドアが閉まる。
誰もいなくなった病室。

私、もしかして友達になる人を間違ったんじゃないだろうか。
お母さん……綺麗な花には棘がありました……

その晩はなかなか寝付けず、やっと眠れたと思ったら変な人が夢に出てきた。

「ごめんね、無関係な君を巻き込んで」

シルエットははっきりしない。
優しい声色。カナちゃんではなかった。

私はベッドに横たわったまま金縛りにあったかのように身動き一つ取れず、喋ることも出来ない。思いっ切り文句を言ってやりたい気分なのに。

「大丈夫、その恐怖心預かるから」

恐怖心を、預かる……?

今日は訳が分からないことばかり起きる。
目の前の人物はゆっくり近付いてきて、私の目を手で覆った。
瞬間に目が覚める。

まだ外は真っ暗だった。

夢に出てきた人物を、私は知っている気がした。

どうせまた眠れないんだろうな……
目を閉じてみる。
カナちゃんが私を椅子に縛り付け、ガムテープで口を塞ぎ、笑いながら鞭でビシバシ痛めつけてくる図が頭に浮かんだ。

恐ろしすぎる……

やめよう。寝ようとするのをやめよう。

「天使か……」

本当に実在するなんて、今でも信じられない。
けれど、あの時の右手の痛み。あれもカナちゃんに植え付けられた、なんとかっていう力のせいなんだろう。
カナちゃんが力を使う度に痛くなるのだろうか。
迷惑な話だ。

次に会ったら、ちゃんと説明してもらおう。それから文句もちゃんと言おう。
それから……
それから…………

いつしか、私はまた夢の中へと落ちていった。



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