Demi et Demi | ナノ


episode1


夜。ベッドの上に寝転がって、カナちゃんに渡された羊のぬいぐるみを凝視する。
最初は願いが叶うなんて嘘っぱちだと思ってたけれど、カナちゃんが天使である以上それも強ち嘘じゃないのかもしれない。
ぬいぐるみの右足の裏を見てみたら、確かに記号のような物が赤で印されていた。

「…………」

体を起こして辺りを見回す。誰かに見られると効果が無くなると言っていたからだ。
当たり前だが誰もいない。
もう一度、羊に視線を戻した。

願い事、何にしよう。

お金持ちになれますように。
否、大金持ちになれますように。

うーん、なんだか自分が卑しい人間に思えてきた……

世界が平和になりますように☆

……なんて柄じゃないし。

「あ」

一つ思いついた。
切実な願い事が。

「カナちゃんの性格が良くなって、平穏な学校生活が送れますようにっ」

これしかない。
一応三回繰り返して、変な印を押した。

「明日が楽しみー」

きっと“転入当初のカナちゃん”が本来の姿になっていることだろう。
善は急げ。明日が早く来るように、すぐさま布団に潜り込んだ。
幸運の羊ちゃんは、枕元に置いておいた。

しかし、この羊は私にとって災いの種となった。


Chapter2「Diable」


朝の日差しを受け、ぼんやりと意識が現実に戻り始める。
何時だろう、なんて思いながら寝返りをうつ。何かにぶつかる。
反対側に転がろうとするが、180度も回転しないうちに落ちそうになってやめた。随分とベッドが狭く感じる。

まだ夢の中なのだろうか。

そう感じ始めたその時。
微かに聞こえてくる寝息。私のものではない。
では誰の?
目を開けてみる。

超至近距離で人の顔があった。

「…………」

次の瞬間、家中に私の悲鳴が響き渡った。

「愛依!?どうしたの!?」

お母さんが慌てた様子で部屋のドアを叩きまくる。
いつも私より遅く起きるから、今の悲鳴で起こしてしまったのだろう。
ドアノブをガチャガチャ回しているが、鍵が掛かっていて開きそうにない。
お母さんが夜勤の時は部屋の鍵もかけるようにしているのだけど、この時ほどそうしていて良かったと思ったことはない。
急いで謎の人物を布団で隠し、少しだけドアを開けて顔を出した。部屋の中が最低限しか見えないように。

「だ、大丈夫。崖から落ちる夢見てベッドから落ちただけ」

「驚かさないでよ。心臓止まるかと思ったんだから」

昼まで寝ると言って、お母さんは自室に戻っていった。
今日は一週間振りの休みのはずだ。安眠妨害してしまって少し申し訳なく思った。
お母さんの姿が完全に見えなくなったところで、もう一度ベッドに歩み寄る。
恐る恐る布団を捲る。

謎の人物はまだ眠っていた。
長い髪は真っ白で、けれど若い。きっと私と同じくらいだろう。
服は着ている。全身真っ白で怪しいこと極まりないけれど。
観察していたら気付いたことがあった。
この人物、男だ。

すぐに距離を取る。
どうして私のベッドで見知らぬ男が寝ているのか。
そもそもどうやって入ってきたのか。この部屋は鍵が掛かっていたし、窓が割られているわけでもないし、天井に穴が開いているわけでもない。つまり密室。

昨晩のことを思い出してみる。
まさか酔っぱらって自分で連れ込んだのかと一瞬思ったけれど、未成年だし酒類は飲んだことがないから有り得ない。

昨晩は……
カナちゃんからもらったぬいぐるみに願い事をして寝た。

そういえば、あのぬいぐるみはどこへ行ったのだろう。辺りを探してみるけれど、見当たらない。

と、このタイミングでセットしてあった目覚ましが鳴った。

「ん……」

「ひっ」

ベッドの周辺をまさぐっていたら、謎の男が目を手の甲で覆って仰向けになった。
徐々に目を開ける謎の男はゆっくりと起き上がり、ダークグリーンの瞳で私を捉えた。
数秒間、そのままの状態で沈黙していた。
目覚ましが勝手に止まる。

「……おはよう」

「おおおおはようございますっ」

めちゃくちゃ見られている。どうしよう、変な汗が止まらない。

謎の男は何故かうんうんと頷くと、あくびをしながらゆっくり部屋の中を見回した。
寝ぼけているのかもしれない。

「あぁ……うん、そうだった」

勝手に一人で何かを納得した様子。
と思ったら、急に靴を脱ぎ始め(人のベッドで土足で寝てたらしい……)、ベッドの上で正座し始めた。

「カナタがいつもご迷惑をお掛けして申し訳ありません」

「あ、いえ、こちらこそ……」

あまりに丁寧に挨拶されたものだから、つい私も床の上に正座してしまった。

「更に申し訳ないんですけど、俺のこともよろしくお願いします」

「ご丁寧にどうも……って、はぁ!?」

何故私が、見ず知らずの男をよろしくしなければならないのか。
謎の男は長い髪の中に手を突っ込んで、うーんと何か考えていた。
寝起きだからなのか性格なのか、言動がいちいちゆっくりしている。

「契約、交わしちゃったから。昨日」

なんの話なのか分からない。直感で、分からない方が幸せのような気がした。
謎の男は冴えない顔のまま続けた。

「それから、カナタの性格には俺にはどうすることも出来ない」

「どういう意味?」

「うん。とりあえず学校行った方がいいと思う」

「はっ!遅刻する!」

いつもギリギリの時間に家を出ているため、ゆっくりしている余裕はない。
この独特なテンポの話し方は全然危機を感じさせないから困る。

「着替えるから出てって!ってか、この家から出てって!」

いや待てよ。
無闇にこの部屋から出して、お母さんと遭遇したらどうする?いらない誤解を招くのではないだろうか。
部屋のドアを開けて顔だけ出す。
よし、お母さんはちゃんと自室にいるみたいだ。
謎の男に小声で外に出るよう示す。そのまま背中を押して居間へ連れて行った。

「絶っ対に喋らないで。ここから動かないで」

早速言うことを聞き始めたのか無言で頷いたので、急いで部屋に戻って着替えた。
ああ……知らない人、しかも男にパジャマ姿を見られた。嫁入り前なのに……一生の不覚。

朝から重たい気分で支度を済ませ、居間へ行く。
自分だけご飯を食べると性悪に思われるのは確実。仕方なく、二人分のトーストとコーヒーを用意した。
男は律儀に言いつけを守り続けていて、黙ったまま手を合わせてからトーストをかじった。

沈黙が続く。こんなにも気まずい朝食が今までにあっただろうか。
前の晩にお母さんと喧嘩していても、こんなに居心地の悪さは感じなかった。
この男はどうしたらいいのか。家に置いていったら間違いなくお母さんと遭遇し、不審者扱いされて大変な事態を巻き起こすだろう。実際不審者だけれど。

「……あなた家は?家族が心配してるんじゃないの?」

「家族は近くに住んでいない。だから家も無い」

食事を始めて最初の会話だった。
余計に空気が重くなった気がした。

「これからどうするつもりでいるの?」

「出来れば、この家に……」

「それは無理」

思わず最後まで聞かずに即答してしまった。
また気まずい沈黙が漂い、急いでパンを食べる。早く学校に行かなければならないこともあったし、何よりこの場から立ち去りたかった。

「とにかく、私行くから」

口に詰め込んだパンをもぐもぐしながら食器を水に浸けて言うと、男も何故か急いで食べかけのパンを口に押し込んで席を立った。

「俺も行く」

「え……なんで」

「マスターを守るのが俺の役目だから。ボディガード」

何か訳の分からないことを言ってます、この人。

「マスターって何?誰?」

「俺と契約したから、愛依子が俺の主人になったってこと。ご主人様って呼んでもいいけど」

「遠慮しとく……」

そういえば、さっき契約がどうのこうのって言ってたな。
それにしても、同じくらいの歳であろう人間を突然“ご主人様”だなんて、プライドとか無いのだろうか。
追求し始めたらきりが無さそうなので、もう何も訊かずに家を出る。
謎の男は、先程ベッドの上で脱いだ靴を履き(ずっと持っていたらしい)、私に続いた。
鍵を閉め、謎の男より先に歩き出す。
見知らぬ人物と一緒に学校へ向かっているだなんて意味不明すぎる。

カナちゃんは、この人のことを知っているのだろうか。顔見知りっぽい口振りだった気がするけど。

歩きながらいろいろ考える。ふと後ろを振り返ってみたら、謎の男は都会に出たばかりの田舎者のように辺りを見回していた。“田舎”というものを私はよく知らないから、適切な表現かは謎だけれど。
ストーカーに付け回されてるような気分に陥りながらも、なんとか赤の他人のフリをして学校に着いた。

「それじゃ……」

一応別れの挨拶(のつもり)をして校門を過ぎようとすると、

「愛依子」

突然呼び止められ、足を止める。

「いってらっしゃい」

唯一一緒に住んでいるお母さんと擦れ違いが多い生活を送っている私にとって、その言葉は少し照れくさいものだった。

「……いってきます」

そう返すと、謎の男は微笑んで、控えめに手を振ってきた。
彼氏彼女でもないのに、そんなこっぱずかしいことは出来ず無視したけれど。

そもそも、何故見ず知らずの男に護衛をしてもらって登校しなければならないのか。何故見ず知らずの男が横で寝ていたのか。
思い出すと恥ずかしさと意味不明ぶりに鳥肌が立つ。
そうだ。何もかもカナちゃんが原因ではないか。
私は足早に教室を目指した。


「カナちゃん!」

「あら、愛依。おはよう」

教室に入ると、天使モード(性格的な意味で)のカナちゃんが笑顔で花瓶の水を替えていた。
何も言わずに腕を掴み、人がいない空き教室まで引っ張っていく。

「目が覚めたら知らない男がいたんだけど!隣で寝てたんだけど!」

「ってことは、実践したの?あれ」

「あれって何?」

「願いが叶うってやつ」

「あ……うん……」

肯定した瞬間、カナちゃんが吹き出した。
お腹を抱えて笑い出す。『あんなので願いが叶うわけないじゃない』と。
騙された。顔から火が出そう。

「まぁ、小さな願い事なら叶えてくれるんじゃない?」

「ちょっと待ってよ。あの人、あのぬいぐるみと何か関係あるの?今朝ぬいぐるみ無くなったんだけど」

「厳密に言えば、あれはぬいぐるみじゃないわ。けど、あの羊が人のナリになったことは確か。白髪のぼけっとした奴でしょ?」

「うん……」

「アイツ私の“いとこ”だからよろしくね。それじゃ、日直で忙しいから戻るわ」

未だに笑ったまま、無責任にも教室へ戻ろうとするカナちゃん。思わず引き留める。

「あの人どうするの?」

「どうするもこうするも、契約しちゃったんだから愛依が飼い主になるしかないのよ?じゃあね」

薄笑いを浮かべて、カナちゃんは私の目の前から消えた。

その後、納得いかなくて詳細を聞こうとしても、ことごとくカナちゃんには逃げられ続けた。
提出物を回収しないとだとか、先生に呼び出し食らったとか。
お昼を一緒に食べようと誘ったら、ダイエット中だからと笑顔で断られた。
クラスメイトに『今日は振られまくりだね』と茶化される始末。

みんなは知らないんだろうな。カナちゃんがどんなに性悪なのか。

そしてとうとう、ちゃんとした説明を聞けないまま放課後になってしまった。
これが今日最後のチャンス。一緒に帰ろうと誘うしかない。
きっとまた『日直で遅くなるから』とかわされるだろうから、待ち伏せしてやる。

「……ちょっと。そんなに見られると集中できないんだけど」

人が捌けていく教室で日誌を書いていたカナちゃんは、溜息をついた。
それもそのはず、隣の席で監視の如くカナちゃんの行動を見ているのだから。

「じゃあ、逃げないでちゃんと説明してよ」

「そうね。必死な愛依を眺めるのも飽きてきたし、別にいいけど」

そんな理由で避けられていたのかと思うと、怒る気力さえ湧かない。
カナちゃんは日誌を閉じ、立ち上がった。

「場所、変えるわよ」




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