episode5
学校の前で溺れてから一夜明けた。
退院の手続きを済ませる。
昨夜、近年稀に見る大渋滞だったという道路を通ってバイクで駆けつけてくれたお母さんの話では、私は生きているのか死んでいるのかわからないくらいの熟睡ぶりだったらしい。
とても長い夢を見た。
カナちゃんが病室にいて、手品を披露した後『私天使なの』と真面目な顔で言っている夢だ。
どっちかというと悪魔のような印象を受けたのを覚えてる。
怖い思いをしたから、ありもしない出来事が夢に出てきたんだろう。そうに決まってる。
「ほんとに大丈夫なの?」
会計やら手続きを済ませて戻ってきたお母さんが、私の全身をまじまじと見た。
「うん。転校早々欠席したくないしね」
幸い、一晩で元気そのものになっていたし、精神面も至って普通だった。
屈伸してみてもなんともない。
何故か、水の中に飲み込まれた時の記憶は曖昧だった。
ただ“怖い経験をしたっぽい”という概念があるだけ。
不思議だ。
病院の前で仮眠を取りに家へ帰るお母さんと別れ、私はバスで学校を目指した。
到着した時には三限目が終わっていた。
教室に入ると、真っ先にカナちゃんと目が合った。
「良かった……もう大丈夫なのね」
心配してくれているのか、すぐに駆け寄ってきてくれる。
それを見て他の同級生も集まってきて、身を案じてくれた。
当たり前だけれど、みんなに何も変化が無くてほっとする。
実は悪の手先であるカナちゃんが私を見て捕まえようとして、同級生もみんなグルだったという恐ろしい妄想をバスの中でしてしまい、少し緊張していたから。
「カナちゃんがいつものカナちゃんで良かった……」
普通に四限目を終え、購買で買ったあんパンを手に呟く。
「私はいつもこうだけど」
同じく購買で買った焼きそばパンを抱え、前を歩くカナちゃんが笑った。
ちなみに、購買は男女共用。焼きそばパンは主に男子生徒からの人気が高く、争奪戦は凄まじいものがあった。
今日は授業が早く終わったから、カナちゃんは一足先に買えていたけれど。
いろんな意味で男子生徒とあまり関わりたくなかったので、逃げるようにその場を離れ、私達は今フルール館の中庭に来ている。
既にちらほら生徒がいて、カナちゃんが唸る。
「できるだけ人がいない所に行きたいのよね。大事な話もあるし」
「大事な話?」
なんだか嫌な予感がした。
まさか正夢になって、自分が天使だとか言い出すんじゃなかろうか。
ひとけの無い場所まで行き、人工芝の上に腰掛ける。
「それじゃあ、早速……」
買ってきたパンを開けるより先に、カナちゃんは持っていた大きめの鞄に手を突っ込んだ。
ただ昼食を買いに行くには大きすぎると思っていたのだけれど、一体何が入っているのだろう。
「はい。私の初めての霊代になった記念にあげる」
カナちゃんの……みしろ?
霊代ってなんだろう。どこかで聞いたことがあるような、無いような。
満面の笑みで取り出されたのは、20センチくらいの大きさのぬいぐるみだった。多分羊の。
「ごめん、カナちゃん……意味がよく分からない」
「大丈夫。この羊が全部解決してくれるから。右前足の印を押すと、愛依の願いを叶えてくれる魔法の羊なのよ。ただし、人に見られると効果が無くなるから、誰もいない所でね」
もしかして、カナちゃんって魔除けの数珠や水晶を高値で売りつけるインチキ商人の娘?
まずは試供品を無料でくれて、その後高額のインチキ商品を買わされるっていうパターンなのだろうか。
「……私貧乏だよ」
「お金なんて掛からないから大丈夫」
さっきから連呼される“大丈夫”の言葉に、全く安心出来ないのは何故だろう。
しかも、このサイズのぬいぐるみを下校までどうしろと言うのか。
じっと羊の顔を眺めていると、カナちゃんはさっさとパンの包みを開き始めた。
「ねえ、愛依は得意なこととかあるの?」
「え?」
突然質問され、驚いて顔を上げる。
このぬいぐるみに関しての話は終わってしまったらしい。
「うーん……特には……」
仕方ないので、一応ぬいぐるみは膝の上に置いておく。
「そ。見た目通り、ザ・平凡ってことね」
これは褒められているわけではない……よね?
「人は見かけに寄らないって言葉があるみたいだから一応聞いてみただけ。ま、私はこっちに来る前に“人間はバカだ”と思ってたら、ホントにバカばっかりだったけど」
カナちゃんが悪人のような笑みを浮かべた。
なんだか、どんどんカナちゃんのイメージが崩れていく。
というか、大方予想していたけれど、この口振りから察するに天使云々という話は現実だったのだろうか。夢じゃなく。
全然信じられないけど。
「……じゃあ、カナちゃんはどうしてこの世界に来たの?人間が好きじゃないなら、尚更来ない方が楽しく暮らせるんじゃないの?」
信じる信じないはともかく、もうカナちゃんは天使な設定ということにしておくことにした。
「この試験をクリアすれば、天使としての地位が上がる。より強力な力が手に入る。その為よ」
「世界征服でもするの?」
「こんな汚れた世界に興味なんて無いわ」
「じゃあ、なんで……」
「そんなこと、あなたに話す義理がある?霊代はでしゃばらないことね」
もしかして、いや、もしかしなくとも、カナちゃんって二重人格なのだろうか。
ここまで豹変するなんて……ビックリとかムカつくとかいう以前に、ショックだ。
あんなに優しかったのに、今や超上から目線。
むしろすごい。ここまで別人の演技が出来るのだから。
あれ、ということは、こっちの悪人カナちゃんが演技という可能性もあるのだろうか。
「カナちゃん、演劇部に入ったの?」
「あははー。……いい加減現実を見なさいよ」
「はい、すみません……」
もうわけが分からない。
分からなすぎて、どうにでもなれという気分になってくる。
自棄になったら、ごちゃごちゃしていた頭がいくらかすっきりしてくる。
私は天使という生き物を噂程度にしか知らない。
天使であるというカナちゃんは、どういうわけか人間を嫌っており、とてつもなく見下している。この態度が私相手だからなのか、素性を知られた人物全てに対してこうなのかはわからない。
どちらにせよ、バカだバカだと罵られ、黙っているわけにはいかない。
人類代表として、ここはびしっと言っておかなければ。
「て、天使って言っても変な手品が使えるだけで見た目は全然人間と変わらなし、似たようなものなんでしょっ。偉そうにしないでよ!」
勢いで立ち上がりカナちゃんを指さした。羊のぬいぐるみが足下に転がる。
全人類のみんな、私言ってやったよ!自称天使に!
カナちゃんは唖然としていて、してやったりな気分になったのも束の間。
「そこまで手品だって疑うなら、もう一度見る?愛依の生命力を吸い取ることになるけど仕方ないわよね」
「…………え?」
生命力を吸い取るって……どういうことだろう。
「私が力を使う時は、霊代の生命力を少ーし奪うの。悔しいけど、まだ受験中だから一人じゃ使えないのよ。“水”の力を使う時は、愛依が少なからず犠牲になっちゃうのよね」
手がもげそうなくらい痛かったのは、そういうことか。
あれで少ーしだなんて、笑えない冗談だ。
「私はそんな可哀想なことしたくないけど、愛依がそう言うならまた見せるしかないわね。本当に嫌なんだけど」
嘘だ。病院で見た時、めちゃくちゃ楽しそうだったもん。
『どれにしよう』と早速周りを見て品定めを始めるカナちゃん。
「嘘です信じますさーせんっした」
と、逆に頭を下げてしまうまで、数秒と掛からなかった。
「そうそう。弱者の人間は、そうしてへこへこしてるのがお似合いよ」
くっ……悔しい。
けど下手なことを言うと、文字通り痛い目に遭わされるので黙っておく。
カナちゃんは焼きそばパンを食べ終え、包みを丸めた。
私も座り直してあんパンを頬張る。
もう何も言うまい。
話しかけられたら相槌だけうっておこう。
「……世の中は弱肉強食。それは“向こう”でも“こっち”でも変わらない」
あー早速相槌をうつ時が来たよ。と思いながら横目でカナちゃんを見る。
一点を見つめて、端正な顔を歪めていた。
さっきまでの人間を貶める表情とはまるで違う。
「力のある奴が勝つのよ」
まるで苦い思い出でも呼び起こされたかのように、丸めた包みを強く握り締める。
私は、“向井カナタ”という人物の、知らない一面をまた見た気がした。
適当な相槌も見つからず黙っていると、どことなく気まずい空気を割くように予鈴がなった。
「あ。カナちゃん、次体育だよ。急がないと」
全教科で一番準備に時間の掛かる体育。
私は急いで立ち上がり、お尻をはたいた。
一方でカナちゃんは、
「私はサボるわ」
呑気に野菜ジュースを飲んでいた。
そういえば、カナちゃんが体育に出てるところを見たことがない気がする。
が、追求している時間は無い。
「じゃあ、私行くよ?」
返事を待つ前に方向転換する。
すると、何かを蹴飛ばしてしまった。
すっかり忘れていたが、先程貰った羊のぬいぐるみだ。
正直いらない。けれど、返せる気がしない。
『私からのプレゼントが受け取れないって言うの?』とかなんとか言われそう。どす黒い笑顔で……
なので、仕方なく持って行くことにする。
「ねえ、愛依」
真面目な声に、今一度振り返る。
何か重大な話だろうか。
こういう時は意味深な一言を残されたり、『なんでもない』とはぐらかされたりして後の伏線を張られるのがベターだ。多分。
そう考えたら、自然と体が強ばった。
だがしかし、カナちゃんは満面の笑みで私の緊張を台無しにしてくれた。
「これ捨てといて」
「……はい」
パンの包み、ジュースのパック、ポケットに入っていた飴の袋エトセトラエトセトラ……
これから私は天使基悪魔なカナちゃんの奴隷にされてしまうんだろうか。
なんて悲しい学園ライフだろう。
右手に大量のゴミ、左手にぬいぐるみを持って、私は一度教室に戻るのだった。
擦れ違う生徒達にめちゃくちゃ見られたなんてことは、言うまでもないだろう。
Chapter.01「svolta」 End
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