episode2
「あら、アレス。二足歩行してる姿で会うのは久しぶりね」
校門を出た所で、アレスと呼ばれた謎の男が立っていた。全身真っ白なせいか、下校する生徒の視線を浴びているようだった。
カナちゃんは嫌みっぽい笑顔で、謎の男改めアレスに近づいた。
「ちょうど良かった。今からお前のこと説明しに行くの」
「俺も、お前とはいろいろ話さなきゃいけない」
この二人は親戚のはず。なのに、どことなく空気がぴりぴりしている気がする。
一瞬眉をひそめ、黙って歩き出すカナちゃんにアレスが続き、その後ろから私は二人に付いていった。
いつも下校する時に通る道から外れてしばらく歩くと、自然公園に着いた。
敷地内には人工芝が敷き詰められ、周りを囲むようにジョギングやサイクリング用の路が設けられている。更にその脇には植樹がされていて、夕暮れの公園に陰を作っていた。
とてつもなく広いであろうこの公園に私達は入り、無言で歩き続けた。
犬の散歩をする人、ベンチでお喋りするカップル、走り込みをする知らない学校の体育系の部員達。いろいろな人と擦れ違う。
しばらくして、人気の少ない池の畔でカナちゃんは止まった。
「それじゃあ、話を始める前に……」
カナちゃんが鞄を漁る。取り出したのは財布だった。
「アレス、飲み物買ってきて」
この二人の仲がどうかは知らない。けれど、カナちゃんが完全にアレスをパシリにしようとしているのは分かる。
アレスはカナちゃんから目を逸らして溜息をついた。
「なんで俺が……自分で買いに行けよ」
尤もすぎる意見だ。
「……お前、誰のお陰で人間と契約結べたと思ってるの?」
反抗されてカナちゃんが黙っているはずがない。腕を組み、明らかに機嫌を損ねている。
それでもアレスは動じることなく言い返す。
「あんな強引なやり方じゃ彼女に迷惑だし、俺だって困る」
二人が私に視線を向ける。何もしてないのに、先生に叱られる直前の小学生のような気分になった。
「誰彼構わず契約すればいいわけじゃない。“理解のある人”とでなければ、意味が無い」
「だから、これから説明して理解させればいいじゃない。大体霊代なんだから、少しは分かってくれてないとこっちが困るのよね」
どうしてこの人はこんなに自己中心的なのか。そういう性格のようにも、自己中を演じてからかって楽しんでいるようにも思える。
私は二人の口論に圧倒されて、ただ黙って聞いているしか出来なかった。
すると、カナちゃんは財布をしまい、ベンチにどかっと座った。足を組み、大企業の社長のように大きな態度で。
「まあいいわ。始めるわよ」
やっと本題に入ってくれるらしい。
「ってことでアレス、主の願い事叶えてあげたら?」
「願い事?」
「そう。魔法のぬいぐるみだって勘違いしてたんでしょ?今までの流れからして、何が起きてるのか分からないからはっきりさせてほしい、とかそんな感じの願い事でしょ?」
どうして一度しか叶えてもらえないのに、そんな頑張れば自分でなんとか出来そうな願い事をしなければならないのか。
しかも、カナちゃんの表情は自信に満ち溢れている。その自信はどこから来ているのだろう。
「いや、そんな願い事じゃなかった。確か……」
呆れていると、アレスが何食わぬ顔で私の願い事を暴露しようとする。
嫌がらせをしようだとか、笑い物にしようだとか、そういった悪意は感じられない。最もタチの悪い“素”だ。
私は昨晩何を願ったか思い出し、続きを遮った。
「わーっ!絶対言っちゃダメ!」
カナちゃんの性格が良くなって、平穏な学校生活が送れますように。
そんなことを願ったなんて知られたら、どうなるか分かったもんじゃない。
「ただのぬいぐるみに願掛けするだけでも恥ずかしいのに、よっぽど恥ずかしい願い事だったのね」
『別にどうでもいいけど』と笑われる。
アレスがこっちを見たので、絶対に言うなと目で圧力をかけた。……伝わったかは分からないけれど。
「まあ、霊代に詳しい説明をするのは義務でもあるし、面倒だけど私が説明するわ」
義務をきちんと守るなんて意外と真面目な所もあるんだな。
本来ならそれが当たり前のはずなのに、カナちゃんと一緒にいるようになって私の感覚もおかしくなってしまったのだろうか。
「私がこの世界に試験を受けに来てるって話はしたわよね?その試験は15歳以上なら誰でも受けられるの。具体的な内容は、人に力の種を植え付け、封印する。それも気を許してもらわないと出来ないことだから、人間と仲良くしろとか言われたわ。全ての力を封印したら最後の試練を受けて、クリアすれば合格。こっちで自由に暮らせるってわけ」
今までで一番丁寧な説明だった。最初からこう言ってくれれば、私だって少しは理解出来たのに。
カナちゃんは、ふうっと息を吐くとアレスの方を見た。
「アレスは去年この試験を受けたけど、失敗したのよ。失敗すると、その間に関わった人間の記憶から自分の存在が消える。おまけに力を制限され、人の姿を保てなくなるわ」
「……それでアレスはぬいぐるみだったの?」
「そういうことね。正確にはぬいぐるみじゃないって言ったはずだけど。私達の間では“魔”とか“堕天使”とか呼ばれてるわ」
たかが試験に落ちたくらいでそこまで言わなくてもいいのにと思うのは、私が人間だからなのだろうか。浪人した人を“人間の屑”だとか“人生の負け犬”だとか、そういう風に呼んでるのと変わらない気がする。
失敗したなら、やり直せばいいのに。
だけど、カナちゃんもアレスも、そんなリスクを負ってまでどうして試験を受けに来たのだろうか。
気になったけれど聞ける雰囲気でもなく、少しの間沈黙した。
急に静かになったカナちゃんは、一点を見つめていた。
何か見つけたのかと思い視線の先を辿るけれど、特に何も見当たらない。雑草が生えているだけだ。
続きを待っていると、カナちゃんが立ち上がった。
「私、こんな風になりたくないのよ」
『説明終わり』と言って、立ち去ろうとする。
私はとっさにアレスを見た。
まだ知り合って間もない私にべらべらと身の上の話をされ、この言われよう……あまりにも可哀想だ。
アレスは、遠ざかるカナちゃんの背中を見ていた。
その瞳が悲しそうに見えて、不憫に思える。
「カナちゃん!」
「まだ何かあるの?」
振り返ったカナちゃんの顔は険しかった。
「そんな言い方……いくらなんでも可哀想、だと思う……」
それが精一杯の反抗だった。あまり強く言ったら何をされるか分からなくて、怖じ気づいてしまった。
「だったら、どう言えばいいわけ?」
「それは……」
「具体的な改善案も無いんじゃ説得力の欠片もないわね。私もう帰るから」
嫌みな程(と言うか絶対嫌み)満面の笑みを浮かべて、カナちゃんは一人帰って行った。
アレスと私だけが残る。
溜息が零れた。
「アレス……でいい?大変だね。カナちゃんとはいとこだって聞いたけど」
「ああ。好きなように呼んでくれて構わない。まあ……カナタにもいろいろ事情があるから。悪く思わないでやってほしい」
健気だなぁと思ったら自然とまた溜息が出る。
「それより、アイツ肝心なこと話していかなかったな……」
「肝心なこと?」
「俺の話」
試験に落ちた話だけでは足りないのだろうか。
アレスはうーんと唸りながら上を見た。
釣られて私も見てみる。夜になろうとしている色だった。
「そろそろタイムリミットかも」
「え?」
どういう意味?
そう訊こうとした時だった。
ボンッと爆発音がし、目の前から白煙が上がる。
何が起きたのか分からなかった。ただ、そこからアレスの姿が無くなっていた。
「何これ、今度こそ手品……?」
カナちゃんが力を使ったところを初めて見た時のことを思い出す。あの時のように、まだ知らない天使の力を見せられたのだろうか。
そんなことを考えながら周囲を探す。
すると、何かを蹴飛ばしてしまった。
足下を見てみると、見覚えのある羊のぬいぐるみが転がっていた。
「…………」
嫌な予感と共に拾い上げてみる。
「……日が沈むとこうなる」
ぬいぐるみが喋る。
周りに人がいないか確認して、ぬいぐるみに戻ってしまったアレスをベンチに乗せた。少し間を空けて私も座る。
「面倒な体質だね……」
「仕方ない。試練を乗り越えられなかったのは俺の力が足りなかったせいだから」
まだ私はアレスのことをよく知らないけれど、とりあえずカナちゃんに爪の垢を煎じて飲ませたいと思った。
「試験に落ちた天使は、この通り不自由な姿にされる。俺はまだいいけど、噂ではダルマにされた人もいるとか……」
ダルマなら転がれば移動出来ていいじゃん。
……と思ったけれど、想像してみたらおかしすぎた。
「実際、天使としての力を何も使えない俺達は、天使とはいえない存在だと思う。人間のような知識も無いし、呼ぶとしたら堕天使とか悪魔とか、その辺が妥当なんだ」
アレスは淡々と説明している。けれど、どうしてだろう。聞いているこっちがツラくなってくる。
少し迷ったけれど、私は決断した。
「私、アンタのマスターやるよ。何すればいいの?」
アレスは短い足をちょこまかと動かして、私の方を見た。
とりあえず歩けることに驚いた。
「いいのか?探せば契約破棄する方法があるかもしれないのに」
「いいよ。この通り冴えない女子高生だから何も出来ないかもしれないけど」
「十分だ。俺が愛依子の為に尽くすから」
この人は本当にカナちゃんと血の繋がりがあるのだろうか。
なんて献身的なんだろう。
ちょっと私には恥ずかしい言葉だということは目を瞑って……
むしろアレスの方が、カナちゃんより天使っぽいような気がする。
「とりあえず、もう帰ろ」
羊のアレスを抱え、家に向かって歩き出す。鞄に入るほど小さくないので、人目が気になるけれど仕方ない。
相変わらず、もこもこしていて手触りが最高にいい。
「あーあ。ずっとぬいぐるみだと可愛いのに」
「だから、ぬいぐるみじゃないって」
「ぬいぐるみみたいなんだから、ぬいぐるみでいーの!マスターの言うことなんだから、それでいいんだよ」
堕天使だの悪魔だのとは呼びたくない。
“マスターの言うことだから”というフレーズを、今後上手く活用したら便利なんじゃないかと思ったけれど、カナちゃんが頭をちらついてやめた。同じレベルになってしまう。
それからはこれといった会話もなかった。ぬいぐるみに話しかけてたら危ない人だと思われるから良かったけれど。
家に着いた時には、既に辺りは真っ暗だった。
「ただいまー」
玄関を開けたら、いい匂いがした。
「おかえり」
台所まで進むと、お母さんがテレビを見ながらお玉で鍋の中をかき回していた。
ちらっと私を見て、予想していた質問を投げてくる。
「何そのぬいぐるみ」
「友達がくれた」
「なんて言うか……そんなもの大事そうに抱えてると、我が娘ながら痛い子に思える」
失礼な……
大体、そこまで大事に抱えていない。まあ、落としたらいけないから少し神経質にはなっていたけれど。
「そんなことよりお腹空いたぁ。着替えてくるね」
「はいはい。今日はビーフシチューだよ」
お母さんがまたテレビに視線を戻す。私も足早に部屋に向かった。
「アレスはご飯どうするの?」
「この姿の間は腹も減らなければ喉も渇かない」
「そうなんだ」
経済的だなと羨ましく思いつつ、栄養不足でやつれないのかとか、脱水症状にならないのか等疑問が生じる。あれだけ丁寧に説明してもらっても、今まで知らなかった生物なだけにすぐに熟知するのは難しそうだ。
「じゃ、私だけ行ってくるよ。……着替え見たら窓から全力で投げ飛ばすから」
「見ない。約束する」
アレスをベッドに置いて、その上から布団を掛けた。本当に見る気が無いのか、動くかどうかしばらく監視してみたけれど、ぴくりともしないので安心して私服に着替える。
「はい、もういいよ。まあ、適当にくつろいでてよ」
「分かった。マスター、いろいろありがとう。君はいいこだな」
この人は私を赤面させるのが上手だ。
「べ、別に困ってる人を助けるのは普通でしょっま」
布団からアレスを出してやり、そそくさと一人で部屋を出た。
夕飯の用意を手伝い、お母さんと食卓を囲む。
最近の学校の様子や職場での出来事を報告し合った。
食後も歓談は続き、再び部屋に戻った時には21時を回っていた。
長時間ほったらかしになっていたアレスはというと、
「……アレス?」
短い足を伸ばして目を閉じていた。規則正しく体が上下するところを見ると、眠っているらしい。
指で突っついても反応がない。
入浴、宿題、歯磨きを済ませ、私も寝ることにする。
しかし、重大なことに気付いてしまった。
明日目が覚めたら、アレスはまた人の姿になっているんじゃないだろうか。
どうしよう。廊下に置いておこうか……でも、それではお母さんに見つかるかもしれない。
絶対に見つからない場所、といったら私の部屋しかないわけで。
“マスターになる”だなんて軽々しく言ってしまったことを後悔した。
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