episode2
追試を無事にやり過ごした私とカナちゃんは、今回の反省を活かす為に休み中も学校に来ていた。
と言っても授業を受けているわけではなく、受験生の為に開放されている教室で一緒に課題をしていた。一緒にやれば早く終わるし、早く終わればいっぱい遊べるからだ。
今日は、下見が目的のアレスもいる。
「自由課題何について書くか決めた?」
休憩中、学食でジュースを飲みながら訊いてみる。
休みじゃなければ空いている席が無いくらい混雑しているこの場所も、今はほとんど人がいない。
烏龍茶を飲んでいたカナちゃんは、真顔で言った。
「人間の無能さについて」
「「うわぁ……」」
悲しきかなアレスとリアクションがシンクロしてしまった。
カナちゃんが思いっ切り顔をしかめた。
「冗談に決まってるでしょ。二人して同じ反応されるとムカつくんだけど」
「そんなこと言われても……」
きっと誰でも同じ反応をするだろう。
「私は何にしようかなぁ」
テーマは個人の自由。何を書いてもいい。
ただ、そうやって丸投げされるのが一番困ったりもする。
「アレスはいいよね、課題が無くて」
恨みを込めた視線を送る。
学生服姿のアレスは、すっかりこの学校に溶け込んでいる。
缶のプルタブを指先で弄りながら、アレスは表情を曇らせた。ように見えた。
普段あまり表情の変化が無いので、実際のところはよく分からないけれど。
「いいような、良くないような……」
「いいに決まってるよ。遊び放題じゃん」
「……勉強は、大事だ」
盛大に溜息をついて、アレスは黙った。
なんだろう、このどんよりした空気。
私、何か悪いこと言っただろうか。極一般的な学生の心境を述べたつもりなのに。
「とりあえず私は何か食べることにするわ。腹が減っては勉強出来ぬ、だし」
「あ、私も何か食べる」
嫌な空気を取っ払うように立ち上がったカナちゃんに続き、私も席を立つ。
「アレスは?」
動こうとしないので訊いてみる。
「うーん……」
たっぷりと間を空けて、アレスはカナちゃんを見た。
「月見うどん」
「まさか、お前……私に買って来いって言うつもり?」
「そのつもりだけど」
この時アレスが勇者に見えた。
今度はカナちゃんが溜息をついて、食券を買いに行く。なんだかんだで買ってきてあげるらしい。
私も付いていった。
ミートソーススパゲッティ、オムライス、冷やし中華……
どれにしようか迷っていると横からすっと腕が伸びてきて、先にカナちゃんが食券を買った。
選んだのは、アレスに言われた月見うどんと、
「フランクフルト……?え、それだけ?」
まさかのサイドメニューだった。
「そうだけど、悪い?」
「悪いっていうか、これお昼ご飯じゃないよね?」
「そうだけど、悪い?」
二度目は満面の笑みで言われた。
これだけじゃ絶対お腹が空く。
腹が減ってはなんちゃらと言い出したのはカナちゃんなのに、こんな腹八分目にもならないようなものを選ぶなんて。まさか、やる気がないのだろうか。
「体型に気を付けてるのよ、一応」
「いやいや、それ良くないダイエットの仕方だよ。間食しちゃって太るパターンだよ」
「経験者は語る、ってところね」
鼻で笑ってカナちゃんは行ってしまった。
確かに、経験したのだけれど。
悔かったので、意味も無くカロリーの低そうなサラダうどんを選んだ。
「お願いしまーす」
カウンターにはいつもいるおばちゃんの姿は無く、この学校の生徒がアルバイトをしていた。
基本的に、アルバイトをする時は学校に知らせなければならない。
何かあった時の為らしいが、正直ざっくりしすぎていてよく意義が分からない。
学食は、時給は低いけれど、通い慣れた場所に同じ学校の生徒と一緒ということで人気があるのだとか。
私も補習と追試が無ければ、どっかでバイトしたのになぁ。
と残念な気持ちになりながら元の席へ戻った。
「そういえば今更だけど、カナちゃんって勉強苦手だったんだね」
頬杖をついて、人差し指でテーブルを叩いていたカナちゃんの動きが止まる。
「天使は人間より頭悪いから」
アレスが淡々と説明してくれた。
恥ずかしがるわけでもなくさらっと『頭悪いから』と宣言出来る図太い神経が、ある意味羨ましい。
「仕方ないじゃない。“向こう”と“こっち”じゃ全然勉強内容が違うのよ」
一方で、子供っぽい言い訳が返ってきた。
まさか、担任と話している時に、“してもどうしようもない”と思っていた言い訳をカナちゃんの口から聞くことになろうとは。
けれど、そっぽを向いて恥ずかしがっている(多分)カナちゃんが、少し可愛く思えた。
性格以外は完璧そうに見えたけれど、意外と苦手なこともあるんだと思うと親近感が湧く。
なんだか、カナちゃんを近くに感じられて嬉しい。
「私も勉強苦手だから大丈夫だよ」
「じゃあ人間じゃないんじゃないの?エイリアンとか」
嬉しくなったのでフォローしてあげたのに、なんて酷い言い種だろうか。
そんな風に談笑していると、意外な人物と遭遇した。
「愛依子じゃないか」
「…………げっ、お兄ちゃん」
振り向くと、お兄ちゃんが立っていた。
元々私達は南都に住んでいたので、この学校に通うことが決まったお兄ちゃんは必然的に寮生活を送ることになった。東都に引っ越してきた今もそれは変わらず、バイトもしているため夏休みでもあまり顔を合わせることがない。
休みが始まって初めて会った。
「毎回その反応されたら、さすがの俺でも傷つ……って、なんだこの“野郎”は!」
びしっとアレスを指さす。
「誰?」
さされた側のアレスが冷静に私に訊いてきた。
「逢須流風、私のお兄ちゃん……」
「あぁ、確かに似てる。初めまして、えぇと……向井アレスです。二学期からこの学校に通います」
いきなり指さされたというのに、丁寧に挨拶してくれる。本当にアレスはいい人だ。そして可哀想。
ちなみに、学校ではカナちゃんと同じく“向井”と名乗るそうだ。
お兄ちゃんはアレスを睨みつけていた。
「こんにちは、お兄さん。アレスは私の従兄弟なんです」
「そういう繋がりか」
カナちゃんの説明を受けて納得したのか、やっと指を下ろす。
「だが……貴様、指一本でも愛依子に触れてみろ。冥界送りにしてやるからな」
殺気とはこういうのをいうのか、と思い知る。息が詰まるような圧迫感が、お兄ちゃんから滲み出ていた。
アレスがあまりに不憫に思えたので、適当に宥めておくことにする。
「そ、それより、お兄ちゃんは何しに学校来てるの?勉強?」
「いや、友達に貸した音楽プレーヤーを返してもらった」
「わざわざ学校で?」
「そいつがここに用があったらしい。今度紹介してやろうか。紹介と言っても付き合っていいという意味ではないが」
「あーうん、そのうち機会があれば……」
お兄ちゃんの友達だなんて、きっと変人なんだろう。そう思うと気が引けた。
その時、カウンターから頼んだものが出来たと呼ぶ声がした。
「三人共昼食か」
「お兄さんも一緒にどうですか?そうだ、もし時間が大丈夫なら勉強教えてもらえたら嬉しいんですけど……ね?愛依」
カナちゃんが余計なことを言ってしまった。
「いや、私は別に……」
「先輩に教わったらはかどるじゃない」
目が『“うん”って言いなさいよ』と言っている気がして、仕方なく頷く。
そういえば、カナちゃんがお兄ちゃんと初めて会った時、何かを企んでいるような気がしたけど……
一度思い出してしまったらとにかく気になって、それとなく二人を観察してみた。。
昼食後、カナちゃんの頼みをあっさり承諾したお兄ちゃんに勉強を見てもらった。
認めたくないけれど、教え方が的確で分かりやすく、信じられない程はかどった。
カナちゃんは普段通り猫を被っていること以外、特に変わった様子はない。
「私、論文が苦手なんですけど……」
「そういう場合は、無理して難しい言い回しで書かない方がいい。文脈がおかしくなるからな。思い切って自分の言葉で書いた方が高い評価を得られる」
順調に課題を片付けていた時、異変は起きた。
「きゃあああああっ」
カウンターから悲鳴が聞こえた。
食堂にいた生徒が一斉にそちらを見る。もちろん、私達も。
視線の先では、厨房が燃えていた。
「な、何?」
尋常じゃない早さで火の手は広がっていく。
煙と焦げた臭いが充満してきて、制服の裾で鼻を押さえた。
逃げ惑う生徒達。
そんな中で、お兄ちゃんは冷静だった。
「姿勢を低くしろ!無駄に叫べばその分煙を吸い込む!慌てずに外へ出ろ!」
指示しながら窓を開ける。
けれど、室内に充満した黒煙は消えることはない。
「向井……って、お前ら二人共向井だったな。カナタ、愛依子を連れて外へ出ろ。ついでに消防車と救急車を呼んで、できるなら教師にも連絡しろ」
「お兄ちゃんは?」
「俺は消火しながら逃げ遅れた奴がいないか探す。消火器の使い方も知ってるからな」
「そんな……!危ないよ、一緒に逃げようよっ」
お兄ちゃんは微笑んで私の頭を撫でると、どこかへ消えた。煙のせいで、行方は分からなかった。
どうしてなのか、お兄ちゃんがもう帰ってこない気がして、私は立ち尽くした。
「愛依、急いで」
カナちゃんに腕を引かれる。
「でも、お兄ちゃんが……っ」
あんなでも、たった一人の兄だ。死んでほしくない。
取り乱す私とは逆に、カナちゃんは落ち着いた声で言った。
「流風は死なない。きっとこれは“火の属性”だから」
「え……?」
「説明は後よ。早く外に」
腕を引かれたまま早足で歩く。
何も見えない。何も聞こえない。真っ白になった頭で必死に考えていた。
“火”。
私には“水”が植え付けられている。
お兄ちゃんが霊代になった……?
いつ、どこで?
はっとする。
カナちゃんは前に言っていた。
『昨日、私は愛依の手を握ってしまった。そのときに、愛依の体に水属性の種を植え付けてしまった』
と。
カナちゃんは最初にお兄ちゃんと会って、握手をした。
あの時だ。
だから急に私のことを許す気になったのだろう。
屋外へ出ると、誰かが知らせたのか教師が駆けつけていた。
校舎とは離れた場所に建っている二階建ての学食。
本来ならば憩いの場所のはずなのに。今や黒々とした煙を上げ、誰も寄せ付けない姿へと成れ果てていた。
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