Demi et Demi | ナノ


episode3


───‥



「ただいまっ」

地震と勘違いするくらい大きな音を立て、ドアが閉まる。
バタバタと忙しなく廊下を走る小学二年生の少年が、居間へと顔を出した。

「母さん、めい──」

「ドアは静かに閉める!靴を揃えてから上がる!廊下は走らない!いつも言ってるでしょ!」

「次から気を付けるって」

高らかに発せられた声は、お咎めによって遮られた。
少年は口を尖らせたが、ソファに目当ての人物を見つけると、途端に明るい顔になった。

「愛依子、見ろよ、これ。お土産だぞっ」

おやつを食べながらテレビにかじりついている妹の愛依子に駆け寄り、大事に持っていた無機質な塊を突き出した。
犬の形をしていたが、見た目に反して軽い。

「……なにこれ」

愛依子が塊を受け取り、首を傾げる。

「ロボット。授業で作ったんだ。ちゃーんと動くんだからな」

少年がロボットをひっくり返し腹のスイッチを切り替えると、顔に電光で目が表される。
数秒後、尻尾を振ったり吠えたり、独りでに動き出した。

「うわぁっ、動いたっ」

「居残りして完成させた力作だ」

少年が自慢げにふんぞり返る。
食器を洗っていた母が目を細めて笑った。

「ほんと、流風は機械に強いね。誰に似たんだか」

濡れた手をタオルで拭きながら、少年──流風の“力作”を見に近づいてくる。
犬型のロボットは、愛依子の膝の上で動き続けていた。
その動きは本物とは似ても似つかない程ぎこちなかったが、小学生が作ったにしては上出来すぎる代物だった。

「それ、愛依子にあげるよ」

「え?ほんと?」

ロボットの頭を撫でていた愛依子が、勢い良く顔を上げた。
流風が頷くと、その顔には笑みが浮かぶ。

「ありがとう、お兄ちゃんっ」

ずっとペットを欲しがっていたが、アパート住まいで飼えないからと我慢させられてきた愛依子には最高のプレゼントだった。

「あれ?流風クン、母さんの分のお土産は?」

「無いよ。大人なんだから我慢しろよ」

「うわっ、母さん傷ついたっ!そして我が息子ながら可愛くないっ!」

泣き真似をする母親を見て、流風も愛依子も声を上げて笑った。

その後、愛依子は“リキサク(通称リキ)”というある意味そのまんまな名前を犬型のロボットに付け、テレビもそっちのけで遊んでいた。流風は自室で宿題を、母は家事をしてそれぞれ時間を過ごした。

外の景色が暗くなってくる頃、玄関のドアが開く音に全員が顔を上げる。

「お父さんだ!」

愛依子がリキサクを抱えて玄関へ走る。
流風も手を止めて付いていった。

「お父さん、おかえり!」

「おかえり」

出迎えてくれる娘と息子に、父は顔を綻ばせた。大きな手で二人の頭を撫でると、早速リキサクに目が留まる。

「どうしたんだ?この犬」

「お兄ちゃんが学校で作ったんだよ!リキサクっていうんだよ!」

「ほー。流風は器用だな。俺に似て」

さっきよりも強めに、流風の頭を撫でる。
流風は抵抗はしなかったが、そっぽを向いた。照れ臭かったのだ。

その時、菜箸を持った母が出迎えに来て言った。

「何言ってんの。機械に弱くて力仕事しかさせてもらえないくせに」

「うっ……それは禁句だぞ。そもそも、その力仕事のおかげで食っていけてるんじゃないか。なあ?愛依子」

愛依子は父と目が合うと、即頷いた。
その頭上にはハテナマークが見えるようで、意味が分かっていないのは明らかだ。

「すぐそうやって愛依子を味方にしようとして……」

「当たり前じゃないか。愛依子は大きくなったら、お父さんのお嫁さんになるんだもんな?」

「うんっ」

「な……っ!こんなおっさんダメだぞ、愛依子!ほら、オモチャも作ってやれるし、お兄ちゃんのが全然いいからな!」

すかさず抗議の声を上げたのは、一連の流れを傍観していた流風だった。
愛依子は純粋な笑顔で、また頷いた。

「そっかぁ、じゃあお兄ちゃんにするっ」

流風がほっと胸を撫で下ろし、今度は父が抗議する。
どちらも『俺の方がもっといい』と愛依子に自分を推薦していく。実に低レベルな言い争いであったが、その度に愛依子は嫌がることもなく二人の戯言に真面目に耳を傾け、頷いた。

「ほんと、男ってやつは……」

母が呆れた様子で眉間を押さえる。

その光景は日常茶飯事で、確かな幸せの一欠片でもあった。

そんなどこにでもある幸せが壊れたのは、それからほんの数ヶ月後のことだった。

幼い体が受け止めるには、重すぎる残酷な運命。
最悪の一日だった。

時刻はまだ、昼にも満ちていない。
流風は呆然としていた。
自分の瞳に映る光景が、現実なのか夢なのか分からない。否、これは悪い夢なんだと思い込もうとした。
けれど、強い衝撃で痛めた首と、歩くことさえ出来ず真っ赤に染まる右足が、これは現実だと流風に思い知らせる。

辺りは尋常ではないくらいに騒がしい。

それもそのはずだ。
今、彼の目の前で、最愛の家族が重傷を負っているのだから。

「と、父さん……?母さん……愛依子……っ」

乱れる思考で思い出す。
家族で車に乗っていた。久しぶりに、一家揃っての外出だった。
けれど、交差点に差し掛かったところで、横からトラックが突っ込んできた。
運転していた父はハンドルを切ったが避けきれず、衝突は免れなかった。

意識があるのは流風だけのようだ。
どんなに呼び掛けても、返事は無い。

まずは、隣に座っていた愛依子に寄る。少し動くだけで激痛が走ったが、気にしてはいられない。

「愛依子!お……起きろよっ」

小さな体を揺さぶろうとする。けれど、頭部から出血しているのを見て躊躇った。大きな怪我をしている時は、下手に動かさない方がいい気がして。

何度呼び掛けても返事が無いので、今度は助手席の母の元へ移る。
怪我は愛依子よりも酷いようで、やはり返事は無かった。
その時、運転席から呻き声が上がった。

「父さん……っ!大丈夫!?ねえっ」

「流風……か……」

「痛いよ、父さん……それに、みんな、起きないんだ……死んじゃったの……?」

父は頭だけを僅かに流風に向けて微笑んだ。『大丈夫だ』と。

「もうすぐ救急隊が来て、助けてくれる……母さんのことも、愛依子のことも、もちろん流風のことも。だから、気を強く持て」

「うん……」

「助かったら、今度はもっと、いい所へ行こう。……焼き肉でも食べに行くか?」

「……寿司がいい」

「そうか。じゃあ、美味い寿司でも食べに行こうか。ああ……車も、変えないといけないな……流風は、どんな車が欲しい?」

こうして、父は流風に声を掛け続けた。いつしか流風の不安は緩和されていた。
やがて、救急車のサイレンが聞こえてくる。

「あ……父さん!救急車だよ!」

「ああ……これで、もう、安心だな」

希望を見出した青い瞳は、真っ直ぐこちらへ向かってくる白い車をじっと見ている。
父は大きく息を吐き、小さな声で言葉を紡いだ。

「……流風、愛依子はまだ小さい。お前が、しっかり守ってやるんだ。それから……母さんも意外に弱虫だから、優しくしてあげるんだぞ……」

「?うん」

流風にはどうして父がこんな緊急時にそんなことを言うのか、疑問だった。
けれど、到着した救急車の存在があまりに嬉しくて、その疑問は掻き消される。

まだ子供である流風と愛依子は、真っ先に救出された。
故に、その目には映ることがなかった。
父親の足下に広がる血溜まりを。

搬送された病院で父は息を引き取った。
流風も愛依子も、泣いて泣いて瞼を真っ赤に腫らした。もう溢れる涙も無くなるのではないか、というくらいに。
しばらく自動車には乗れそうになかった。

昨日まで当たり前に在ったものが無い。
何一つ変わりない景色も、何かが足りないように思えた。

四十九日が近づき、少しだけ冷静になったある日。
深夜に目が覚めた流風はトイレへ向かった。
けれど居間の電気が付いており、立ち止まる。
そっと覗き見ると、母が父の遺影の前でビールを飲んでいた。
傍らには、潰れた缶が二つ転がっている。
何かを喋っているようだが、何を言っているかまでは分からない。ただ、時折鼻を啜る音が聞こえた。

(ああ……母さんは父さんと話していたんだ……)

父が亡き後、一度も母は泣いていなかった。病院でも、葬式でも、自宅へ戻ってきた後も。
毎日流風と愛依子を抱き締めては

「母さんが二人を守っていくから大丈夫!」

『大丈夫、大丈夫』と譫言のように繰り返した。

流風は、父の最後の言葉を思い出していた。

愛依子を守り、母に優しく──

その約束が、今はもう会えない父を自分の中に繋ぎ止めてくれている気がした。

──だから、俺はこの約束を必ず守ろう。

流風は拳を握り締めて、トイレへ行くのも忘れてすぐに布団へ入った。

次の日から、流風は愛依子をどんな奴からも守れる強い体を作る為、ご飯をしっかり食べた。嫌いな人参もピーマンも全部。母を助ける為に早く大人になりたくて、勉学に励んだ。
元々勉強は嫌いな方ではなかったけれど『事故のショックでおかしくなってしまったのでは』と心配され、病院に連れて行かれるくらいには豹変した。

おかげで、小中学では常に学年トップの成績を叩き出していた。高校に上がってからは、一番とはいかずとも常に上位に名を記されていた。
特に機械に強い部分を認められ、友人の親が重役の研究室へバイトとして通っているが、高校を卒業すると同時に正社員として雇ってもらえることが決まっている。

これで一日中働いている母の手助けが出来る。
やっと、一つ目の約束が果たせそうなのに。


──まだ……まだ、死ぬわけにはいかない。愛依子に、また“家族を失う”悲しみを味わわせるわけにいかない。


燃え盛る炎と充満する煙の中、強い気持ちとは裏腹に、流風の意識は遠のいていった。




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