episode4
数日後、期末テストの結果が出た。昇降口の掲示板に、決まった時間になると最も総合点の高かった生徒の名前が学年ごと10人表示される。その横で、私は立ち尽くしていた。
最下部を、小さな電子文字がスクロールしていく。『※夏季休暇中の補習授業および追試について』と。該当者には担任からメールが送られるとのことだ。
私達は全員パソコンと携帯のアドレスを学校に知らせてあり、何か通知があれば学校側からメールが一斉配信される。年度始や年度末、学期末なんかは、お知らせが多いので保護者のアドレスに大量に届くらしい。
主な内容は校内の様子や、スケジュール等。所謂“お便り”というやつだ。
携帯は主に緊急時のみ使用されるため、滅多に届くことはないのだけれど、今回のような確実に伝えなければならない内容は携帯に送信される。
読み終わったら返信することで読んだ旨が伝わる。本文は何も書かなくてもいい。
あまりに音沙汰がない生徒に関しては担任が本人に直接言うのだとか。
「はーあ、私絶対メール来るよ……」
放課後、自販機で買ったコーヒー牛乳を飲みながらぼやく。
「カナちゃんは?手応えあるの?」
「どうかしらね」
隣でウーロン茶を手にしたカナちゃんは、いつもと変わらない涼しい顔をしていた。
この様子だと余裕だったんだろうな。
学年トップ10には入っていなかったけれど、半分よりは上にいそう。
天使って、妙な力も使える上に頭もいいのだろうか。
羨ましすぎる。
思わず溜息が出た、その時。
私とカナちゃんの携帯が、ほぼ同じタイミングでで鳴った。
これはメールの着信音だ。
ポケットから携帯を出してメールを開く。案の定担任から補習についてのメールだった。
「私の夏休みが……」
最後まで読まずに返信して、またポケットに突っ込む。
コーヒー牛乳を自棄食いならぬ自棄飲みしようとしたところで、ふと思う。
カナちゃんにも同じタイミングで着信がということは、もしかして同じ内容のメールが届いているのではないだろうか。
いかにも『私デキます』といった佇まいだけれど。
「……カナちゃん。メール届いたんじゃないの?見ないの?」
「別にすぐ見なきゃいけない決まりなんて無いでしょ」
「何かすぐに見ない理由があるの?」
「…………」
ペットボトルのキャップを閉めながら、割とマジに睨まれた。
きっと、質問ばかりしているからウザがっている。身の危険を感じたのでこれ以上はやめておいた。
「見ればいいんでしょ、見れば」
わざとらしい溜息をつきながら、カナちゃんが片手で携帯を操作する。
いつものお上品ぶっている姿と違い、ちょっぴりワイルドでかっこよかった。
「……あ」
「何?補習?」
「アレスから」
「なんだ……」
アレスは、やはりカナちゃんの家にお邪魔するといって家から出て行った。というか出て行くようお願いした。
カナちゃんのご両親のご厚意で、二学期からこの高校に通うことになったらしい。
今はカナちゃん宅にいるはずだけれど、どんな用事なのだろうか。
「“今日何時に帰れる?”って……お前は主夫か」
カナちゃんが液晶に向かって悪態をついた。
思わずエプロン姿でお玉を持ったアレスを想像して笑ってしまった。
手際良く返信し、次に届いたメールを読んだカナちゃんの眉間に深い皺が刻まれる。
何やら怒りに満ち溢れた顔で、どこかに電話を掛け始めた。多分アレスだろう。
「……ちょっと、どういうこと?どうしてあの人がそれを知ってるわけ?……はぁ?……日か沈んだらお前の口縫って、二度と開けないようにしたいんだけど」
ものすごく物騒なことを言っているけれど、とても口を挟めそうにない。人が寄りつけない雰囲気を醸し出している。
校舎内だし誰かに見られるかもしれないのに、いいのだろうか。
一応周りにクラスメイトがいないか確認していると、いつの間にか貧乏揺すりまで始めていたカナちゃんの動きがぴたりと止んだ。
「ちょ……待ちなさ……」
顔色も、若干悪くなったように見えた。
「……別に。何事もなく普通にやってるけど」
相手が変わったのか、声のトーンが落ちる。
何を話しているのかも、誰と話しているのかも全く分からない。ひどく冷めた表情が、少し怖かった。
「どこにでもいるような普通の女子だから」
視線を向けられてドキッとする。
まさか、私の話をしてる?
先日『ザ・平凡』と言われたのを思い出してなんとも言えない気持ちになった。
カナちゃんが続けて何か言おうと息を吸う。その瞬間、
「あれ、向井さんに逢須さん」
同じクラスの女子二名が近付いてきた。
それに気付いてか、カナちゃんがいつもの笑顔(間違いなく作っている)になる。
「分かった。それじゃ、また後で」
早々に通話を終了する。きっと強制的に切ったんだろう。
あまり人に知られたくない相手、ということか。
「あ、あれ?どうしたの?部活は?」
何故か私が焦ってしまい、カナちゃんよりもこちらに気を引こうと、いつもよりテンションを上げて話しかけてしまった。
彼女達は確か、バスケ部だったはずだ。体操着姿でタオルを首に掛けているから、運動部なのは間違いない。
二人は私達の不審な挙動に気付いているのかいないのか、苦笑いした。
「スポーツドリンク買いに来たんだよ。じゃんけんで負けちゃってさー」
「要するにパシリ」
「そうなんだ……大変そうだね」
とは言ったものの、なんだかんだで二人は楽しそうに見えた。
私には部活経験がないから、大変なのに楽しいその感覚はよく分からない。少し羨ましくも思える。
そんなことをぼんやり考えていると、彼女達はスポーツドリンクを自販機で何本も買いながらカナちゃんと私を交互に見た。
「向井さん達は何してたの?」
「えっ、と……休憩、みたいな?」
突然の質問に焦ってしまい、カナちゃんに“助けて”と視線を送る。
別に悪いことをしていたわけじゃないのだから、堂々としていれば良かった。
カナちゃんはとってもきれいな笑顔で代弁してくれた。
「喉が渇いて来たんだけど、電話が掛かってきてしまったの。ごめんなさい、愛依、待たせてしまって」
「い、いや、とんでもないです……」
これが作り笑顔だなんて信じられない。信じたくない。
『本当に二人は仲良しだね』と口々に言われる。
仲良しというか、仲良くさせられてるというか……
そもそも、仲がいいとは違う理由で私達は一緒にいる。それを他人に暴露するような真似は、恐ろしすぎて出来そうにないけれど。
「それじゃあ、そろそろ帰りましょうか。部活頑張って」
「ありがと、向井さん」
彼女達が一緒にいてくれた方が、カナちゃんが“周りに気を配れる優しい人”でいてくれるのに。心から別れを惜しんで、カナちゃんと下校した。
ゆっくりしすぎたのか、景色は茜色に染まり影が長く伸びている。
本当は一緒に帰る約束をしたわけじゃない。まぁそういう流れだったし、空気を読んだ自分を褒めてあげよう。よく読んだ、私。
早足で歩くカナちゃんに必死で付いていく。
歩を進める度、夕焼けに負けない真っ赤な髪を踊らせる姿は、悔しいけど本当に綺麗。
これで性格さえ良ければ……といつものように溜息が出そうになった時、カナちゃんが突然こっちを向いた。
心を読まれたのかと思って肩が跳ねる。
普通ならそんなこと考えないけれど、カナちゃんは天使だし、天使がどんな不思議な力を使えるのか完全には知らないから、いつ何が起きてもおかしくない。
「愛依、今日暇?暇じゃないわよね」
「え?」
どうやら違ったらしい。
この言い方から察するに、暇じゃない方が好都合なんだろう。
それなら、日頃から溜まってる鬱憤もあるし……
「ちょー暇。ホントなんにもすることなくて困ってたくらい」
敢えて暇と言ってみた。事実暇なのだけれど。
「そうよねぇ」
あれ?おかしいな。何この『やっぱりね』とでも言いたそうな表情は。
「どうせ暇だろうとは思ってたけど」
キィーッ!
これが今一番私が発したい言葉である。
「……暇だと何かあるの?」
まともに受け答えしてくれるとは思わなかったけれど、一応訊いてみた。
「大したことじゃないのよ。そうね……やっぱり面倒だからいいわ」
出たよ。言い出しといてやめるパターン。
だったら言わなきゃいいのに、余計気になってまう。
もしかして、それが狙い?
だったら話してくれるまで問い詰めよう。今度こそ日頃の鬱憤を少しでも晴らすんだ。
「ねえ、なんのこと?めちゃくちゃ気になるなー?」
「…………」
「教えてくれるまで喋り続けるよ?私」
「…………」
と思ったけれど、完全に無視された。
「……カナちゃん?」
カナちゃんは顎に手を当てて、地面を見つめながら神妙な面持ちをしている。“無視した”というよりは“耳に入らなかった”という感じ。
「やっぱり……先延ばしにしても意味無いわね……」
最後の方は溜息混じりだった。
何をそんなに一生懸命考えてるのか、私にはさっぱり分からない。完全に自分の世界に入り込んでいる。
もうカナちゃんが現実に帰ってくるのを待つしかないと思った。
ひたすら歩く。黙々と。そうしているうちに、別れのパン屋が近付いてくる。
「それじゃあ、カナちゃん。気を付けて帰ってよ?」
下ばかり見ていて、赤信号の横断歩道でも平気な顔で渡りそう。
事故に遭わないか心配なので、しばらく様子を見てから帰ることにしよう。私って親切。
立ち止まってカナちゃんが帰る方向を向く。
すると、どういうことかカナちゃんまで足を止めた。
「暇人の愛依に、今日は私の家に来てもらうわ」
「…………はい?」
突然すぎて、思考回路が完全停止した。
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