君の優しさを知らない
海賊というのは、戦うものだ。
漫画を読んだ俺の認識はそれで、そして四皇『白ひげ』の率いる海賊団にも、喧嘩を吹っかけてくる海賊は確かにいる。
そうして戦闘が始まって、他の非戦闘員と共に船内へ避難するよう指示された俺は、とりあえず医務室へと足を運んだ。
相手は雑魚だとマルコは言っていたが、怪我をする奴はどうしても出てくるだろうし、戦わない分、何か手伝いをしようかと思ったからだ。
待機していたらしい担当の船医はどうしてか医務室に一人きりで、俺の発言ににやりと笑い、手伝いを受け入れてくれた。
どうやら、ナース達は船内のもっと奥の方に避難しているらしい。
確かに、この医務室は甲板からそう離れていないから、女性を置いておくのは危険だろう。いつもはマルコが詰めている場所だ。
重傷が運び込まれたら呼ぶのだと小さな電伝虫を見せられて、そうですかと頷いたところで、どたばたと大きな足音が聞こえだした。
「悪ィ、頼む!」
そうしてすぐにドアが開かれて、最初の患者が運び込まれてくる。
先陣を切って飛び込み返り討ちにされたという新入りは、血をだくだくと零していた。
驚いた俺が目を丸くしている間に、船医がそれを処置する。
「ナマエ! ぼさっとしてねェで、そこのガーゼを寄越せ!」
「あ、ああ」
厳しい声でそう言われて、俺はとりあえず言われるがままに行動することにした。
破けた服を脱がせて、傷口を消毒して、薬をつけて必要があれば縫ってガーゼを当てて包帯を巻いて。
処置をしてもらったクルーは、休んでいけばいいのにすぐにそのまま医務室から出て行って、そうしてそれから少しするとまた次の怪我人が運び込まれた。
骨折や切り傷、銃創なんていう俺からすればひどい怪我を、「今日は軽い怪我人ばかりだな」と笑いながら言う船医がとても恐ろしい。
もしや、マルコもこのくらいひどい怪我をしているんじゃないだろうか。
そんな風に考えたのは、数えてちょうど十人目の怪我人の処置を終え、骨折した彼が出て行こうとするのを無理やりベッドに沈め何故かベッドについていた拘束ベルトで拘束しながらのことだった。
俺がいる医務室についた窓からは、甲板の戦闘はまったく見えない。
ただ、時々聞こえる大きな音から、砲撃を受けるか放つかしていることは分かった。
マルコは無事だろうか。
マルコは不死鳥という特別な悪魔の実の能力者だが、確か、『再生能力には限りがある』筈だ。
治せないくらい怪我をしたら、どうなるんだろう。
縁起でもないことを考えて、ぞくりと背中が冷たくなる。
少しばかり身震いした俺をベッドに縛り付けたクルーが不審そうに見上げてきたが、それを顔の上に枕を乗せることでさえぎって、俺はばたんと開かれた扉を見やった。
現れたのはまた怪我をしているクルーで、もっと上手に怪我をしろと罵りながら船医が右腕の裂傷を処置している。近づいて、俺も介助した。
「いってェ! もっと手加減しろよ!」
「うるせェなァ、怪我した自分の不出来を恨め。どうだ、そろそろ戦闘は終わりそうか?」
「ん、ああ、さっきマルコとサッチが甲板で向こうの船長とやり合ってたからな、じき終わるだろ。おれも早く戻らねェと!」
船医の問いに答え、分け前が減る、だなんて海賊らしいことを言ったクルーの腕に、包帯をきつく巻きつける。
なるほど、怪我人がどうして安静にせずに戦場へ戻っていこうとしているのかが疑問だったが、彼らはしっかり海賊だった。略奪を行うんだろう。
何となく納得して、ちらりとベッドを見やる。
頭に乗せられた枕をどうにか振り落とそうとしているクルーがそこにいた。
怪我をしたのに慰謝料を受け取れないのは可哀想だが、足を折った方が悪いのだと諦めてもらうことにしよう。
手当てが終わったクルーは、そのまますぐに医務室から駆け出していった。
それと同時に大きな歓声が甲板のほうから聞こえて、どうやら戦闘が終わったらしい、と判断する。
「よし、じゃあそろそろナース達を呼ぶか。ナマエ、ご苦労さん」
もう戻っていいぞ、と背中を叩かれて、俺はとりあえず船医に促されるままに医務室を出た。
さて、どうしようか。
恐らく今頃甲板にいるクルー達は海賊行為の真っ最中だ。
殺気立っているだろうし、何もしていない俺がそこにいたってどうにもならない。
医務室にもこれから手伝いが来るのだから、俺は不要だ。
身の置き場が無くなった俺は、とりあえずそのまま部屋へと戻ることにした。
※
マルコと二人の部屋へ戻って、しばらく。
静かなそこの扉を開いたのは、俺と同室の彼だった。
「ナマエ」
「お帰り、マルコ。…………?」
呼びかけながら部屋へ入ってきたマルコを見やり、言葉をかけた俺は、そこにいたマルコの格好に目を丸くした。
服が違う。
マルコには少し大きいらしいその服は、戦闘が始まる頃に着ていたものと違っていた。
どこかで見覚えのあるそれをしばし眺めて、そういえば、と思い出す。サッチが着ていた奴だ。
「……着替えたのか?」
そう尋ねると、汚しちまってねい、とマルコが笑った。
いつもとまったく変わりない、まるでコーヒーでも零したような言いようだった。
そうか、と一つ頷いて、俺はマルコの姿を上から下まで観察する。
顔も首も腕も指も膝もつま先も、汚れたところの一つすらない。
マルコはずいぶんと上手に戦ったようだ。きっと、言うとおり相手は『雑魚』だったんだろう。
それとも、もう治ってしまっただけか。
少し考えて、俺はとりあえずマルコをねぎらいつつ尋ねることにした。
「お疲れ。怪我はしなかったか?」
「見ての通り、ぴんぴんしてるよい」
俺の言葉に、マルコが言う。
ごまかしの見当たらない笑顔に、俺はほっと息を吐いた。
それから、その手がなにやら袋を持っていると気付き、視線をそちらへ向ける。
「いいものは手に入ったのか?」
「よい! ナマエにも見せようと思って、持ってきた」
俺の言葉ににんまりと笑ったマルコが、手に持っていた袋を振った。
じゃらりと音を立てたそれは重たそうで、大量だなぁと言って笑う。
マルコがそれを自分のベッドの上で逆さにすると、金色の硬貨や高そうな装飾品や、少し古びた本が落ちた。
「ナマエが欲しいのあったら、やるよい」
「いや、俺はいい。それはマルコの戦利品だろう?」
「手に入れたおれがいいって言ってんだからいいに決まってんだろい」
「貰う俺がいいって言ってるんだからいいんだ」
「ナマエ、それは屁理屈っつーんだよい」
少しつまらなそうに言いつつ、マルコの手がひょいと装飾品をつまんだ。
キラキラ光るそれは、換金したらなかなかの値段になりそうなものだ。
何もしていない奴に簡単にそういうものを分けるという辺り、マルコの金銭感覚はどうなっているのだろうか。
少しそこを疑問に思いつつも、俺はとりあえず勧められるものを辞退して、マルコにさらに不満げな顔をされた。
※
戦闘に勝利したのだから、今日は宴らしい。
甲板に料理が運ばれて、大勢が甲板に集結してはあれこれと飲んで食べて騒ぐ。
マルコが俺の知らない隊長格に構われている間、端に座ってそれを眺めていた俺は、ふと自分と同じように端に座ったリーゼントの男に気がついた。
サッチは、右腕を肩からつっていた。
「サッチ」
近寄って声を掛けると、俺を見やったサッチが、おう、と明るく声を上げる。既に酒が入っているらしく、その顔は赤かった。
怪我しているというのに、酒など飲んで船医に怒られたりしないんだろうか。
「怪我したのか。大丈夫か?」
「ん? ああ、まァな、軽くひびが入ったくらいだから、問題ねェよ」
船医が大げさなんだと軽く右腕を振っているが、骨にひびが入るというのはなかなかの怪我だ。
そうか、大事にしろよ、と言葉をおきつつ、サッチの横に座る。
「何だナマエ、心配性だなァ!」
「そりゃあ、怪我人は心配するさ」
「なるほどなるほど、マルコが言ってたとーり、やっさしーなァお前、海賊向いてねェ!」
大笑いしてばしばしと人の背中を叩きつつ、サッチは笑っている。
酔っ払いは力の加減が出来ないらしい。叩かれた背中が、いつもと比べてもかなり痛い。
これ以上叩かれないようにと少しばかり体を離して、俺は首を傾げた。
「マルコが言ってたのか? 俺が優しいって?」
「おうよ! むっかしから、ナマエの話するときはなー。ああ、まァ今日も言ってたけどよ」
昔から俺の話をしているという台詞が引っかかったが、それよりも今日のマルコの話だろうと思って、俺はサッチを見やった。
酒が入って顔の赤いサッチは、俺の視線を受けてにやにやと笑う。
「ナマエが心配するから着替え貸せって、汚れた体で人の部屋入って服漁って脱いだ服置いてくんだもんよ。おかげでおれの部屋血生臭ェし」
「それは、……血?」
聞き流せない単語に、ちらりとマルコを見やった。
傷一つ無く綺麗な格好のマルコは、いまだ数人の隊長に構われている。どうやら、功労者として酒を振舞われているようだ。
「……マルコ、やっぱり怪我したのか」
「そりゃあなァ。まァ、マルコのおかげでおれはこれで済んでるんだけどよー……ちょっと奥さん、お宅の旦那さん無茶しすぎなのよォ」
相手との間に割り込まれて冷や汗掻いたのよ、とわざとらしくシナを作って言われて、何だか俺はその瞬間をまざまざと思い描いてしまった。
マルコは不死鳥だ。マルコ自身が、一番それをよく分かっている。
仲間の為にその体を傷付けて、それでも戦うのが、漫画の中で見たマルコの姿だった。
そういえば、怪我をしたのかと聞いた俺に、マルコは『しなかった』とは言わなかったじゃないか。
サッチを助けて怪我をしたマルコは、きっと、俺を心配させまいとしてあんなぎりぎりな嘘をついたのだ。
服まで着替えて、怪我をした事なんて俺に気付かれないように。
見事にだまされた自分が、とても腹立たしい。
俺はマルコにだまされすぎじゃないだろうか。
小さく息を吐いた俺は、サッチが傍らにおいてあった酒瓶を手に取った。
「あ」
「お前は一杯だけにしておけよ。怪我人だろう?」
そうして、サッチの持っているグラスに一杯分を注いで、残りは瓶から直接口に入れる。
喉を焼くそれに眉を寄せて、まだ中身の残っている酒瓶を降ろして表示を確認すると、ありえない度数がそこに明記されていた。
怪我人の癖に、サッチはなんというものを飲んでいるんだろうか。
確認した途端に、じわりと胃が熱くなる。
「う、え」
「おいおい、それはきついだろ。ナマエ、いつもあんま飲まねェし。ほら、寄越せって」
酔っ払いにそう言われて思わず瓶を差し出し掛け、視界に入った白い包帯に動きを止めた。
渡したら、怪我人サッチは確実にこの酒を飲むだろう。
骨にヒビが入っているだけだとサッチは言ったが、よく見たらシャツの下に包帯が巻かれている。
これ以上、こんな酒を飲ませていいはずがあるだろうか。
「…………」
「ナマエ?」
無言で瓶を握りなおし、もう一度煽る。
サッチの手の届かない場所に置き直すという判断が出来なかった辺り、俺はすでに酔っ払っていたのかもしれない。
苦くきつい酒が食道を通り抜けて、喉と胃を焼いていく。
それきり、俺の記憶は無かった。
※
「もう嘘つかないようにするから、許して欲しい、よい」
翌朝、久しぶりにがんがんと痛む頭を抱えて唸る俺のベッド横で、なぜかしょんぼりと肩を落としたマルコがいた。
どうやら宴会の席で説教をしたようなのだが、記憶の無い俺が何を言ったのか、俺にはまったく分からなかった。
end
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