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君が執着する理由を知らない

「ナマエ、ちょっといいか?」

 声を掛けられて視線を向けると、部屋の扉が開かれていて、そこにサッチが立っていた。
 今日も相変わらずとてつもなくリーゼントだ。

「どうかしたのか」

 首を傾げつつ、手に持っていた書類をまとめる。
 マルコが今日寄越した俺の仕事は、マルコが作ったという書類の確認だ。
 不備が無いか見て欲しいと言われたが、俺が分かるようなスペルの間違いすら見当たらず、今日の雑用は終わってしまった。
 マルコが顔を出したら次の仕事を求めてみようと思ったところだったので、暇つぶしの相手がくるのはありがたい。
 部屋へ入ってきたサッチがきょろりと室内を見回して、それから俺のほうへと近づいてきた。
 俺が座っているのとは別の椅子へ腰をおろして、少し前かがみになった状態で俺を見つめる。

「最近、飯時くらいしか外に出てねェだろ。様子見に来たんだよ」

 言われて、俺は首を傾げた。

「風呂やトイレの時もちゃんと出てる」

「そりゃな! そこまで室内でこなせるほどこの部屋充実してねーし! そういうことじゃないんだっつの!」

 俺の意見に、サッチがばしんと人の体を叩いた。とても痛い。
 ひりひりする肩を軽く擦って、俺は目の前のサッチを見やった。

「マルコが、時々部屋に戻ってくるんだ」

「は?」

 俺の言葉に、サッチが間抜けな声を漏らす。
 それを見ながら、俺は続けた。

「その時にいないと、またあいつは俺を探すから」

 もう、俺がこの船に乗って一週間以上が経つ。
 だんだん分かってきたのは、マルコが、俺が想像していた以上に俺に執着しているらしいということだった。
 部屋にあいつが戻ってきたとき、俺がいないと、マルコはすぐに俺の事を探し始める。
 そして発見次第飛び掛られ、その勢いを殺せず転倒して打ち身をいくつか作ってからは、俺はマルコに何も言わず部屋を出るのをやめた。
 何故ならとても痛いからだ。
 トイレや風呂に行くときは仕方が無いので書置きをしていくことにしているが、それだって迎えに来られることも少なくない。
 トイレから出て目の前にマルコがいたときは、不覚にも噴出してしまった。
 毎回毎回、マルコはどうしようもなく不安げな顔をしている。
 ここは海の上なのだから、空を飛べるわけでもない俺がいなくなるはずも無いのに。
 俺の言葉に眉を寄せたサッチが、何だよそれは、と小さく言葉を漏らす。

「お前、軟禁されてんの?」

「いや、自分の意思でここにいるから、それは違うんじゃないか」

 マルコが一緒のときは甲板にだって出るし、食事だって食堂でとっている。何一つ不自由が無いのだから、軟禁と言う言葉は当てはまらないだろう。
 俺の言葉に、わっかんねぇ、と唸ったサッチが天井を仰いだ。

「体がなまるだろ。気分だって滅入るし、おれだったら頭がおかしくなりそうだ」

「俺はもともとインドア派だったからな。まァ、仕事が少なくて暇なのが難点だ」

 もっと色々とマルコから仕事を貰いたいのだが、マルコが俺に寄越すのは簡単なものばかりだ。一番隊はとことん暇な部隊らしい。
 俺の言葉に大きくため息を吐いて、天井からこちらへ視線を戻したサッチが、そっと言葉を漏らす。

「お前、それマルコの所為だって分かってるか?」

「……え?」

 今度は、俺が間抜けな声を漏らす番だった。







「マルコ。そこに座れ」

 部屋に入って来たマルコを確認して、俺はすぐさま目の前に置いたままの椅子を勧めた。
 俺の雰囲気がいつもと違うのか、悪戯がばれた子供のように神妙な顔をして、マルコが椅子に座る。
 おずおずと俺を窺いながら、その口が言葉を零した。

「ナマエ……どうか、したかよい?」

「どうかしたか、じゃない」

 ぴしゃりと言い放ち、俺はじっと目の前の顔を見つめる。
 サッチに言われるまで気付かなかったが、確かに、マルコは少々疲れた顔をしていた。
 一週間以上も同じ部屋で寝起きしていたのに、だんだんと疲労を蓄積していくマルコに気付けなかった自分が大変腹立たしい。

「マルコ、お前、俺の分の仕事まで肩代わりしてるそうじゃないか」

 俺が言うと、マルコがわずかに目を見張り、それからうつむいた。
 昼前、俺に会いに来たサッチが言うには、マルコが自分に与えられる以外の『雑用』をこなしているらしい、ということだった。
 それは本来なら新入りに与えるような、つまりは『俺』がやるべき仕事だという。
 なのに、船にいる時間も長くそれなりの立場を持ちつつあるだろうマルコがそれをやっているということは、すなわち、俺の仕事を肩代わりしている事実に他ならない。
 マルコはオーバーワーク気味だということだ。このままでは倒れたり、体調不良を起こすだろう。

「俺はそんなことをして欲しいとは思っていない」

 言葉を吐き出した俺の前で、マルコがぎゅっと拳を握った。
 その手がふるりと膝の上で震えて、それからその目がもう一度こちらを見やる。

「……おれは、ナマエにここにいて欲しい」

 小さな言葉を吐き出されて、俺はぱちりと瞬きをした。
 俺をまっすぐ見ながら、マルコが続ける。

「だから、少しだってきつい思いはして欲しくないし、それでここが嫌になられたら嫌だよい」

「マルコ……」

「おれは丈夫なんだ、ナマエの仕事もやったって平気だよい。だから、ナマエはずっと、ここで」

「マルコ」

 どんどん言葉を紡いでいくのを途中でさえぎって、俺はため息を零した。
 それを聞いて、マルコがびくりと体を竦める。
 そんなに怯えるようなことをした覚えはないのだが。
 こちらを伺うその顔を見つめる。

「それは、俺が嫌だ」

 放たれた俺の言葉に、マルコが眉を寄せた。
 眉間に寄せられた皺を見ながら、俺は続ける。

「俺はこの船にとって『客』じゃないんだ。仕事をしないでいいわけがないだろう」

「ナマエ、でも、おれは、」

「お前が構わなくても、他が構う。それに、お前が無理をしたら、心配する奴だって大勢いるだろう?」

 サッチだって、結局は俺に会いに来たのではなく、マルコが心配でこの部屋を訪れたのだ。
 こんなにたくさんの家族がいるというのに、マルコには自覚が足りないんじゃないだろうか。
 大体、サッチの言い方からすると、俺はほぼヒモ状態だったということになる。成人男性として、それはとてつもなく不名誉な称号だ。

「仕事があるなら、ちゃんとそれをやる。それともマルコは、俺が働かないで日がな一日部屋でだらだらぼーっとしているような駄目人間になってもいいっていうのか?」

 聞いてみると、マルコは少しばかり俺から目を逸らした。
 空想するようにその目をふわふわと漂わせて、それから小さく頷きが返る。
 待て。
 何故頷いた。

「……ナマエがどこにも行かないんなら、それがいい」

 ぽつりと落とされた言葉に、俺は少しばかり目を見開いた。
 しまった。この回答は予想外だった。

「それに、ナマエは『向こう』にいた時は、あんまり働いたりしてなかったよい。それで、ほとんどずっと、一緒にいてくれた」

 さらにそう言われて、う、と言葉を詰まらせる。
 働かないでも生きていける状態になって、やる気が出ずだらだらとしていたのは事実だ。
 それでも週に三日は働いていたが、大して労力を使ったわけでもなかったし、それは一週間しかいなかったマルコにも伝わっていたらしい。
 マルコがこちらへ視線を向けてきたのに合わせて、今度は俺が目を逸らす。
 少しばかり考えてから、どうにか口を動かした。

「……俺は、そういう駄目な奴になるのはもう嫌だ。きつかったら相談するから、ちゃんと働かせてくれ」

 どうにかそう頼んだところ、マルコはとても残念そうな声で了承を寄越した。
 拒否されなくて良かったと、俺は心底安堵した。







 改めてマルコを経由せずに与えられるようになった俺の仕事は、新入り扱いの雑用がほとんどだった。
 荷運びをしたり、甲板を掃除したり、書類を運んだり、見張りをしたり。
 それなりに忙しく体力を消耗する仕事内容に、これをやりながら自分の仕事もこなしていたマルコには心底呆れた。
 サッチが言わなかったら俺はそれに気付かず、そのうちマルコは倒れていたに違いない。
 やれやれと息を吐きながら双眼鏡で水平線の彼方までを確認していると、軽く肩がつつかれる。
 望遠鏡から目を離して見やると、反対側の警戒をしていたクルーが、俺の注意を引いたその指で下を指差した。

「ナマエ、マルコが探してる」

「……もうそんな時間か」

 相変わらず、マルコは俺を探し回っている。
 仕事はちゃんとこなしているらしいが、休憩に入るたび、俺の顔を見に来るのだ。
 今日見張りなのは今朝決まったことで、マルコに伝えていなかったから、マルコは多分、今日もあちこちを探し回ったんだろう。
 まだ、見張りの交代までは時間がある。
 少し考えてから、俺はひょいと身を乗り出して甲板を見下ろした。
 確かに、特徴的な髪型の青年が、きょろきょろしながら甲板を歩いている。

「マルコ!」

 高い場所から呼びかけると、マルコはすぐさま足を止め、俺のほうを見上げた。
 それと同時に両手がぶわりと青い炎を纏い、鳥の翼を作り上げる。
 ばさりと羽ばたいたと思ったら、その体は俺の目の前までやってきて、そうして狭い見張り台にマルコが降り立った。

「ナマエ!」

 がっと抱きつかれて、ちょっとひやりとする。けれどもお互いの距離が近かった所為で、マルコもろとも後ろに倒れてしまうような事はなかった。
 もしも倒れこんでいたら俺は今頃甲板の上に落下しているだろうから、ここが狭くて助かった。
 迷惑そうな顔をしたクルーが、ため息を吐きながらマルコの為にスペースを空けてくれている。申し訳ない話だ。

「ナマエ、今日は当番の日だったのかよい?」

「いや、ちょうど当番だった奴が風邪引いたから替わったんだ。その代わり、向こうはあさっての当番だけどな」

「そうかい」

 体を離したマルコに聞かれて答えると、マルコが相槌と共に頷いた。
 さらに二言三言交わして、昼食時に迎えに来るといった後で、マルコがまた不死鳥になってその場から飛び立っていく。
 多分、休憩時間が終わりなんだろう。
 甲板へ降り立って船内へ戻っていくのを見送ってから、少しサボってしまった見張りに戻ろうと望遠鏡を持ち直すと、真後ろから小さくため息が聞こえた。
 見やれば、先ほどマルコの為に離れた場所へ戻りながら、俺の見張り番パートナーであるクルーが、どこか呆れたように言葉を落とす。

「本当に、あいつナマエに懐いてるよな。……なんでだ?」

「……オムライスの所為じゃないかと思っていたんだが、違うらしいから俺にもよく分からない」

 俺の言葉を聞いたクルーに『意味が分からない』と言われたが、俺にも説明のしようがなかったので、とりあえず俺はそれ以上何も言わなかった。




end

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