赤髪襲来
「お前がナマエか?」
寄越された声に何となく聞き覚えがあると思って顔を上げたナマエは、いつの間にやらそこに立っていた相手にぱちりと瞬きをした。
今日の掃除は第七倉庫だ。
一週間くらい掛けていいから綺麗にしてくれと言われたそこの片付けはもう終盤で、今のナマエは丁寧に床を磨いているところだった。
両手でしっかり掴んでいた布を持ち直し、床に座ったままで首を傾げる。
ナマエのその仕草に笑った相手が、ひょいと屈んでナマエの視線にその高さを合わせた。
赤い髪が揺れて、目の覚めるようなその鮮やかな色をナマエは見やる。
「……何で、ここに?」
繰り返して言うが、今日のナマエは第七倉庫の掃除をしている。
モビーディック号の少し奥まった場所にあるそこに、どうしてこの赤い髪の海賊がいるのか、ナマエには全く見当がつかなかった。
なぜなら、この男が絶対に『白ひげ海賊団』の人間ではないことを、ナマエは知っているからだ。
ナマエの様子へにまりと笑ったままで、『赤髪のシャンクス』が首を傾げる。
「この間の宴で、白ひげから少し変わった奴が入ったって聞いてな。ここはお前が綺麗にしたのか?」
「はァ、まあ」
そう尋ねられ、ナマエは布を床から離しながら頷いて、その手でぽいとバケツへ布を放り込んだ。
マルコが少し前に買ってくれた多機能なバケツの、モップを絞る部分あたりに布が引っ掛かる。
「掃除が趣味だって聞いてるぜ」
「いや、何か仕事が無いかと聞いたらここを割り当てられたんで」
なんとも聞き捨てならないことを言われて、ナマエはとりあえずそう答えた。
ナマエは任されているから掃除をしているのであって、片づけを趣味にしたことなど一度も無い。
確かに、暇な時間があいてしまうと何だか時間が勿体無い気がして掃除をしてしまうし、甲板が綺麗になっていくのを見るのが少し楽しくて、ついつい他のクルーよりも時間をとって広範囲を磨いてしまうことはあるし、綺麗なはずの壁に汚れを見つけてしまうと拭いてしまうこともあるが。
ナマエの答えを気にした様子もなく、そうかそうかと頷いて赤髪が笑う。
その様子をもう少し眺めてから、バケツを引き寄せたナマエはもう一度首を傾げた。
「それで、赤髪のシャンクスがどうしてここに?」
他の海賊団の船長に対して使うには少し砕けた口調になっていたが、ナマエはシャンクスを知っていたから仕方の無いことだった。
ナマエがこの世界へ来る前に読んだ『この世界』の漫画で、赤髪の彼は主人公を助けて片腕を失っていた。
小さな子供を友達と呼んで、鷹の目のミホークや白ひげと接触して、エースとも言葉を交わしていて、ナマエが起こる事を退けたあの戦争を終わらせにきていたのも、この彼だ。
片目に三本の傷を重ねた海賊が、いや、まあな、と笑ってからひょいと立ち上がる。
「あのティーチをぶっ飛ばした奴がいるっても聞いたから、見に来たんだ」
俺にこの傷をつけた奴だ、と自分の片目に掛かる三本の傷を指差して笑った相手に、ナマエは不思議そうな顔をした。
能力者なんだってな、と更に続けられて、よく分からないながらも頷きつつ立ち上がる。
「どんな実を食ったんだ?」
「え? あ、ヤミヤミの実です」
問われるがままに答えたナマエのその無防備な様子に、シャンクスは笑ったままで、ぽんぽんとその片腕でナマエの肩を叩いた。
「随分海賊らしくねェ奴だなァ。こいつはマルコも苦労してそうだ」
「マルコ隊長?」
「おれァただ見てみたいっつっただけなのに、どっかに隠しちまうんだもんなァ」
やれやれとため息まで零したシャンクスに、ナマエは数日前のことを思い出す。
確かあの日この男が宴をしにくるからと言って、ナマエはマルコに命じられるがままに厨房を手伝っていた。
一緒に料理を作っていた四番隊があれやこれやと仕事を回してくれたため、結局甲板へ上がることも出来なかったナマエは、あの日シャンクスや赤髪海賊団のクルーを一目見ることも叶わなかった。
しかし、それもこれも全て、大食漢のラッキー・ルウをつれて来たこの男が悪かったはずではないだろうか。
様子を窺うナマエへ笑顔を落として、がしりとナマエの肩を掴んだシャンクスが、ぐいとナマエを倉庫から引っ張り出す。
「うわ」
「掃除はちょっと止めて、おれに付き合ってくれよ。もうちっと広いところがいい」
「いや、何をそんな勝手な」
「そろそろ見つかりそうだしな」
「え?」
「ナマエ!」
一体何の話だとシャンクスの顔を仰ぎ見たナマエの耳を打ったのは、廊下の向こう側から寄越された呼び声だった。
それと同時に何かがシャンクスの触れていない肩をがしりと掴んで思い切り引っ張られ、感じた痛みにナマエの顔が顰められる。
「いっ」
「何してんだよい」
少しばかりの悲鳴を上げたナマエに頓着せずその体を自分の後ろまで引っ張ってナマエとシャンクスの間に立ちはだかった相手を、ナマエは痛んだ肩を片手でおさえながら見上げた。
後頭部と背中が目の前にあるが、それはどう見ても、今少し話題に上げていたマルコのようだ。
噂をすれば影、なんて諺を思い出しつつ、ナマエはマルコの後ろからその表情を窺った。
ナマエが『漫画』で読んで知っている限り、何度もシャンクスに勧誘されてその度に断っているらしいマルコは、少し不機嫌な顔をしていた。
対するシャンクスは先ほどと変わらない笑顔のまま、ようマルコ、なんてこの場にふさわしくない挨拶をしている。
「他所の船長が、勝手に人んとこの船の中をうろうろしてんじゃねェよい」
「いやァ、白ひげの寝首を掻きにきたんだが迷っちまってな」
「嘘つけ! てめェ迷ったこと無かったろい」
マルコの発言は、向かいの赤髪海賊団船長がよくモビーディック号の船長室へ侵入しているということになるのではないかとナマエは少しばかり思ったが、マルコの発言を否定しないシャンクスの様子から見て、どうやら事実のようだ。
『寝首を掻く』なんて物騒な台詞も、多分ただの冗談なんだろう。
そこまで判断してから、ナマエはそっとマルコの後ろから倉庫へと戻った。
置き去りにしてしまうところだったバケツへと手を入れて、引っ掛けていた布を水へ沈めて軽く揉み洗い、丁寧に絞る。
それを使って先ほどまで磨いていた所からもう一度磨き始めたナマエの後ろで、開きっぱなしの倉庫の扉の前で対面したマルコとシャンクスが何やら言葉を交わしている。
「だってほら、隠されてると見たくなるもんだろう?」
「迷惑な野郎だよい。さっさと帰れ」
「つれないこと言うなよマルコ、そうだ、おれの船に乗らないか?」
「断る」
「だっはっはっは! 相変わらず即答だな」
「おれの返事が分かってんだからいちいち聞いてんじゃねェよい」
「まあまあ、そう言うなよ」
唸るマルコを宥める調子で発言するシャンクスは、とても楽しそうな声を出していた。
宴にまで参加するし、大食漢のクルーをつれて来たシャンクスをもてなすために頑張るクルー達もいるのだから、両海賊団の間はきわめて良好な交友関係なのかもしれない。
床を磨く手に力を入れながら、ちらりと後ろを見やったナマエはそんなことを考えて、とりあえず自分はもう関係無さそうだからと床を磨く作業にせいを出すことにした。
「…………ナマエ、なに無関係なふりしてんだよい」
「え」
「ほら、さっさと来い」
更に何度かの言い合いをしてからシャンクスを甲板の方向へ追い立ててため息をついたマルコが、なんとも酷い言いがかりをつけてナマエを倉庫から回収していったのは、それから数十分後のことだ。
引っ張られていった先で、無防備だったことを軽く怒ったマルコはすごく理不尽だと、ナマエは思った。
end
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