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 俺が青雉の部下になって、ずいぶん時間が経った。
 俺は元の世界へ戻る様子も無いまま、ただ一生懸命毎日を過ごしている。
 相変わらず赤犬は怖いけど、青雉や黄猿とはそこそこ良好な関係を持てているんじゃないだろうか。
 おつるさんやガープにも会った。あの二人とセンゴクは普通にいい人だった。
 ただ、ガープがくるとセンゴクが怒鳴る確率が上がるので、一般人の心臓しか持っていない俺としてはあまりガープには来て欲しくない。
 青雉のお気に入りだなんて言われてひそひそ言われた時期もあったけど、俺があんまりにも攻撃に弱くてただの一般人だった所為か、いつの間にか周囲の人も何も言わなくなった。
 ここなら赤犬や黄猿や青雉がいるから、少なくともティーチに襲われる心配は無いし、青雉は俺を実戦へ行かせたりしないようだから、身の危険も少ない。
 このまま海軍で働いていくのも、いいのかもしれない。
 そんな風に、思い始めていたのに。

「…………え?」

 朝、青雉のところで見かけた新聞に、俺は目を丸くした。
 ちゃんとは読めない新聞でも、大きく書かれた見出しや写真で、それがどんな記事なのかは大体わかる。
 大体分かる、けど。

「………………エース……?」

 どうしてエースが捕まってるんだ。
 困惑しながら、俺はその記事を眺めた。
 英語ばっかりがつづられていて、知らない単語もいくつかあるけど、何となく分かる。
 これは、エースが捕まっていて、大監獄へ連れて行かれたことを意味する文面だ。
 けど、どうしてだ。
 ヤミヤミの実の能力を持つ俺は、ここにいる。
 だとしたらティーチにエースが負けるとは思えないし、だからエースが海軍に捕まるはずも、無いじゃないか。
 どうして。
 頭の中でぐるりとそんな言葉が回って、そっと新聞を青雉の机へ戻す。
 このままじゃ、あの戦争が始まる。
 エースが死んで白ひげが死んで他にもたくさん死んで、マルコや、あの船に乗っていたたくさんの人たちが悲しむ。
 あの日の俺みたいに。

「……っ」

 なんでこの記事を見つけてしまったんだろうと、俺は小さく息を吐いた。
 知らなければ良かった。
 気付かなければ良かったんだ。
 それを分かっているから、一生懸命、今見たものから意識を逸らした。
 でも、逸らしたって、それが進んでいくものであることには代わりが無い。
 俺はひっそりと生きていくつもりだった。そうすればティーチの手にヤミヤミの実が渡ることなんて無くて、だからエースも白ひげも死なないと、そう思っていたから。
 でもそれは、全部無駄だったのだ。
 つまり、最初から俺に、できることなんて何にも無かったのだ。







「何か顔色悪いじゃないの。ちょっとナマエ、午後から休んでなさい」

 珍しく青雉にそう言われて、俺の午後からの予定がぽっかりとあいてしまった。
 はぁ、と間抜けな声を出しながら、とりあえず制服から私服に着替えて本部の外へと出る。
 本部の中はエースの件で持ちきりで、どこに行ってもその話題から離れることが出来なかったからだ。
 かといって、エースが捕まってインペルダウンへ連れて行かれる以上、もしかしたら近くにティーチも来ているのかも知れないと思うと、あまり遠出も出来ない。
 結局俺がうろつけたのは、本部のすぐ脇にある小さな商店街までだった。
 あんまりにもぼんやりした顔をしていたのか、小さな子供に元気を出せと飴まで貰ってしまって、苦笑を零す。
 ぐるぐる渦巻きの飴を眺めながら更にぼんやり歩いていた俺は、ふと視界の端に青が過ぎったのに気付いて足を止めた。
 どこかで見たような鮮やかな青さに、思わずそちらを見やる。

「マルコ?」

 ぽつりと呟いた言葉は、いつの間にやら路地に入り込んでいた俺の足元へ落ちて消えた。
 見やったわき道には誰もいない。
 それも当然だ。ここはマリンフォードで、海軍本部がすぐそばにある。わざわざそんなところまでやってくる物好きな海賊はいないだろう。
 不死鳥になったマルコが纏っている炎の色に似ていたさっきの青らしきものも、どこにも無い。一体何を見間違えたんだろうか。

「……確かに疲れてるのかもな、俺」

 飴を軽く振ってため息を零しながらふと周りを見回すと、人影がまったく無いのに気がついた。
 自分の身も守れない俺が、これは不味い。
 慌てて、来た道を戻ろうと後ろを振り返って、目を丸くする。
 そこには、さっき俺が名前を呼んだ人物が立っていたからだ。
 けだるげな目が、それでもじとりとしっかり俺を睨んでいる。

「……ナマエ、奇遇だねい」

 ぽつりと落とされた言葉に、そうですね、と応えることしか俺には出来なかった。





 マルコは、どうやら戦争の下見に来ているらしい。
 重要な話のはずなのに俺へそんなことを告げて、マルコは路地のわき道に俺を引っ張り込んだ。
 細くて暗い路地には、俺とマルコ以外には誰もいない。横道に入ってしまったから、大通りから俺達を見つける人間もいないだろう。

「それで、ナマエはここで何をやってんだよい」

「えっと……清掃の仕事……です?」

 問われて、とりあえずそう答える。
 一応海軍に在籍してはいるけど、実戦にも出たことはないし、体力づくりもしてるが一番の仕事は掃除と資料整理だから、間違ってはいないはずだ。
 俺の言葉に、また掃除かよい、とマルコがため息を吐いた。
 面倒くさそうな顔をしているというのに、俺の腕を掴むマルコの手はまったく弛まない。
 どうしたものかとそれを見下ろしていると、ナマエ、とマルコが俺を呼んだ。
 慌てて顔を上げると、俺を捕まえたままのマルコが、じとりと俺を見下ろしている。

「何で逃げた」

 短い問いに、びくりと体が揺れる。
 マルコの言うとおり、俺はあの日、白ひげの船から逃げ出した。
 逃げ出して、これからはひっそり隠れて生きていくつもりだった。
 そうすればティーチの手にヤミヤミの実が渡ることなんて無くて、だからエースも白ひげも死なないと、そう思っていたから。
 でもそれは、全部無駄だったのだ。
 何も言えずにいる俺の前で、マルコがもう一度問いを繰り返す。

「何で、逃げたんだよい」

 何故と、そう聞かれても困る。
 ティーチに捕まりたくなかったからと、そう素直に答えたってマルコには理解できないだろう。
 困ってしまった俺へ、マルコは言った。

「どうしてあん時、サッチを助けたんだって言わなかった」

 落とされた声に、うつむきかけていた視線を上げる。
 マルコはまだ俺のほうを見ていて、その手はしっかりと俺の腕を掴んでいた。

「オヤジが見てたんだよい。ティーチがサッチを殺そうとしたってな。それを助けたんだろい?」

 寄越された言葉が意外すぎて、ぱちりと瞬きをする。
 見ていた。一体どこからだったんだろうか。
 それに、俺の行動は助けたなんて分類に入っていいのか。
 俺は思い切りサッチを攻撃したし、その所為でサッチは気絶したのだ。サッチが打たれ弱かったとしても、あの暴力を救助とは言えないんじゃないだろうか。
 戸惑う俺を放置して、ティーチもそれを認めたのだとマルコは言った。

「ヤミヤミの実が欲しくて、サッチを殺そうとしたってねい。お前が食っちまったから、もうここにいる意味がねェ。そう言って、あの後すぐに船から降りちまったよい」

 囁くようなそれに、俺は体を強張らせる。
 だとしたら、やっぱりティーチは俺を探しているんじゃないだろうか。
 俺を殺せば、ティーチがヤミヤミの実を手に入れる可能性が出てくる。
 ましてや原作で白ひげにやったような事をやれば、死んだ俺の体からヤミヤミの能力を奪うことだって出来るはずだ。
 ますます身辺には気をつけないと、とまで考えて、ああけれど、と思い直す。
 もう既にエースは捕まってしまった。
 だとすれば、いまさら俺がティーチに殺されたって、事態はどんな風にも動かない。
 俺には何も出来なかったんだ。

「何で言わなかったんだよい」

 深い虚無感を感じている俺へ、マルコが言葉を重ねる。
 俺は、少しだけうつむいた。
 視界にはマルコに掴まれている自分の腕がある。
 細すぎて小さな腕は、俺がただの一般人であることを示すものだった。
 何も出来なかった、無力すぎる人間のそれだ。

「……マルコ隊長、俺は、ティーチに悪魔の実をやりたくなかった」

 ぽつりと小さく呟けば、どういう意味だとマルコが呟く。
 今の言葉に別の意味があるわけ無いだろうに、マルコは相変わらずへんなことを聞く。

「言葉のままです。俺は、ティーチがヤミヤミの実の能力を持つのが怖かった。サッチ隊長を殺してあの悪魔の実を奪っていくと知っていたから、それを邪魔したのに」

 言いながら、何となく目が熱くなって、変な感じがした。
 まるで、俺は今にも泣いてしまいそうじゃないか。

「俺がその能力を手に入れておけば、俺が死ぬまでは絶対にティーチの手にヤミヤミの実はわたらないから、だからエースだって負けないはずだったのに。処刑だって戦争だって、起きないはずだったのに」
 どうにか必死に言葉を紡いで、体にこもった熱を吐き出すように息を吐く。
 戦争が起きてしまう。
 エースが死んで白ひげが死んで他にも何人も死んで、たくさんの人たちが置き去りにされる。
 短い間だったけど俺に優しくしてくれた船員達も、きっと俺と同じ目に遭う。
 そして俺も、また置いていかれるのだ。
 親父とお袋と姉貴が並んでいた、病院の一室を思い出す。
 あの日、俺の家族は全員で、俺を置いていってしまった。
 またあの時みたいな思いを俺は味わうのだ。
 目の前のこの人も、残されていく他の人たちも、みんなみんな。
 胸が痛くて、どうにかなりそうだ。

「結局俺は弱くて、何も出来ないままだ……っ」

 吐き捨てて、俺は唇を噛んだ。
 涙は出ないのに、目が熱い。
 俺はきっとひどい顔をしているだろう。
 だから顔を上げられなくて、そうして佇んでいる俺の頭に、そっとぬくもりが触れた。
 くしゃりと俺の髪をかき混ぜたそれはたぶんマルコの掌で、小さな子供にやるように、そのまま俺の頭をなでる。

「……ナマエは、相変わらず大馬鹿野郎だねい」

 ぽつりと、マルコが言った。

「サッチは死んでねェよい」

 囁くような言葉が、俺へと降ってくる。

「お前が助けてくれた」

 耳に届いたその言葉に、俺は目を丸くした。
 おずおずと顔を上げれば、片手で俺の腕を掴んで、もう片手を俺の頭に乗せたままのマルコが、少しだけ穏やかな顔をしてそこに立っている。

「お前がどんなことを知ってたのかは知らねェが、お前が頑張ってくれたから、サッチは死ななかったんだろい?」

 何も出来なかったわけじゃないだろうと、マルコが言う。
 そうだろうか。
 本当に、そうだろうか。
 俺がしたことは、無駄じゃなかったのか。
 目からぼろりと何かが落ちて、右の頬がひんやりとした。
 マルコの手が俺の頭から頬へとたどって、その辺りをぐりぐりと擦る。

「男が泣くな。大丈夫だ、おれ達は負けねえよい」

 未来を知らないマルコが、そんな風に言った。
 俺を安心させるように笑っているけど、マルコだって本当は不安だったりするはずなのに。
 俺の手をようやく離して、マルコが最後にともう一度だけ俺の頭を撫でる。

「まあ、処刑の日にはこの辺りも危なくなるだろうから、早めにマリンフォードから逃げとけよい。後でどの辺りにいるか知らせてくれりゃ、こっちから迎えに行ってやる」

「え……」

「お前はあの船に乗ってたんだから、立派な白ひげ海賊団員だよい」

 にやり、とマルコが笑う。
 それはいつだったか寄越された言葉に似ていて、俺は目を何度か瞬かせた。
 サッチを殴って、悪魔の実を奪って、そのまま何も言わず逃げたのに、マルコは、あの船の人たちはそれを許してくれると言うんだろうか。
 また、あの船に乗ってもいいんだろうか。
 天気のいい日に洗濯したり、汚れた部屋や倉庫を片付けたり、厨房の下拵えを手伝ったり。
 なんでもないようなそんな事をして、あの大きな家族みたいな一団に加わっててもいいんだろうか。
 これから起きるあの戦いに勝って、白ひげやエースが死ななければ、またあんな風になれるのか。
 マルコも、俺も、誰も置いていかれたりしないで。
 俺の戸惑いを見下ろしたマルコは、それを肯定するように俺の肩をぽんと叩いた。
 じゃあねい、と言葉を置いて、その体が俺へ背中を向ける。
 だから思わず、俺はその服の端を掴んでいた。

「あの……マルコ隊長」

 もし、無力すぎる俺に、これから何かが出来るなら。



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