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「うーん……」
束になった書類を手に、俺は大きな扉の前に佇んでいた。
ここに辿り着いて、既に十分が経過している。
俺が持っている書類は青雉がこさえたもので、それを持っていく先はこの部屋の中だった。
あまり英語は読めない俺でも、ローマ字くらいなら楽勝である。
だから、扉に埋め込まれたネームプレートを前に、俺は二の足をふんでいた。
これが、せめて黄猿宛だったらよかったのに。
そうは思っても書類のあて先が変わるわけでも無いし、消えてなくなるわけでもない。
ついでに言えば、中にはちゃんと部屋の主がいるらしいということも、さっきこの扉の前に辿り着いたときに怒鳴られて出て行った部下の人がいたから分かっている。
つまり、この部屋は大将赤犬の部屋なのだ。
「……うしっ」
しばし悩んで、でもこれを届けないといけないのだからとようやく決断した俺は、さっと扉へ手を伸ばした。
けれどもノブを掴む前に、あるべきところからドアノブが消える。
簡単に言えば扉が内側へと引かれて、つまりは開かれた。
「……いつまでそこにいるんじゃあ」
「ひっ」
そうして低い声が落とされて、ぴたりと動きを止める。
おずおずと顔を上げると、いつものキャップを被った怖い顔の大将が、俺を見下ろして眉間にしわを寄せていた。
どうやら、俺がここにいることはバレバレだったらしい。あれか、見聞色の覇気とかいう奴か。
「入れ」
短く言われて、促されるままに俺は赤犬の執務室へと侵入した。
黄猿の執務室も綺麗だったけど、赤犬の執務室も綺麗だった。なるほど、掃除がしたいといった俺が青雉のほうへ配属されるわけだ。この部屋では掃除のし甲斐がまったく無い。
「それで、何の用じゃあ」
「あ、はい。その、クザン大将から、書類を、お持ちしました!」
どかりと執務椅子に座った赤犬に問われて、慌てて持ってきた書類を彼の前へと置いた。
隣に受領印を貰うべき伝版も置いて、それからすぐに赤犬から数歩離れて直立不動の体勢を取る。
何か粗相をしたら確実に拳骨が飛んでくる。ヤミヤミの実の能力者としては、それだけは避けたいものだ。
俺の仕草を見ていた赤犬は、少しばかり変な顔をして、その手でぽんと受領印を押した。
それから伝版を俺のほうへと差し出したので、自分が開いたばかりの距離をつめてそれを受け取りにいく。
がしりと掴んでそのまま持ち帰ろうとしたのに、どうしてか伝版は俺のほうへと戻ってこなかった。
差し出している赤犬が手を離さないからだ。
「あ……あの?」
何だ、どうした。
戸惑いながら視線を向けると、赤犬はどこかむすっとした顔で口を動かした。
「……何も、取って食おうとはしとらんじゃろうが」
「あ、は、はい」
赤犬にカニバリズムの趣味があるとは聞いていないし、別に俺も取って食われるとは思ってない。
だから俺が頷くと、そこまで怯えんでもええじゃろうが、と赤犬は小さく呟いた。
「何もせんうちから拳骨を落としたり怒鳴ったりはせんわ」
「は、はい……」
つまり何かやらかしたらやるということじゃないか。やっぱり怖い。
こくこくと頷いて、俺は少し強めに伝版を引っ張った。
赤犬がそれに気付いて手を離してくれたので、持ち帰るべきものを取り戻す事のできた俺は、すぐにその場から足を引く。
すぐにでも走って逃げたいけど、それは失礼に当たるだろうし、怒られる羽目になるだろう。
だから俺は軽く頭を下げて、挨拶を口にした。
「それじゃあ、サカズキ大将、俺はこれで」
「のう、ナマエ」
しかしそれをさえぎるように赤犬に声を掛けられて、その場で顔を上げる。
赤犬は両手を組んで、それで口元を隠すような格好をしていた。ワンピースじゃないほかのアニメでああいう感じの格好をした司令官を見たことがある。でも、赤犬のほうがものすごい迫力だ。
「わしは徹底的な正義を信条にしちょる。悪いもんを捨て置くことなどできん。ほんの少しでも悪に染まったもんは、全てを徹底的に排除せんといかん」
低い声でそう言われて、思わず背中を伸ばした。
何だ。もしかして、俺が白ひげの船に乗っていたことがばれているのか。
伺うように見つめた先で、赤犬は言葉を続けた。
「……どれだけ恨まれようとも、わしはわしの正義を貫く」
きっぱりとした言葉だった。
それと共に少しだけ目を伏せられて、どうやら俺の素性がばれたわけではないらしい、と胸を撫で下ろす。
それから、頭の中に、赤犬がエースを貫いた、あの場面を思い浮かべた。
あの日読んだ原作で、エースを殺したのは俺の目の前にいるこの人だった。
逃げようとしたエースを挑発して、ルフィを狙って、かばったエースをこの人は殺した。
けどそれは、もう起こることのない未来だ。
「……そうですね」
俺は頷いて、持ち帰らなくてはいけない伝版をしっかりと掴んだ。
もう一つ思い出した場面は、今の時間軸なら20年くらい前の、ロビンの故郷から逃げた人たちの船を沈めた赤犬だった。
目の前のこの人はまだ大将じゃなかったころからそうだったんだから、いまさら変わりようも無いだろう。元帥になった後だって確かそうだった。
赤犬はいつまで経っても赤犬のままだ。
「サカズキ大将は、きっとずっとそうなさると思います」
だから俺はそう言って、失礼しますともう一度頭を下げた。
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