君ととある仮定の話
※IF設定
※マルコほぼ不在
「きゃあああああああ!!!」
悲鳴と、きしむような鋭いブレーキ音が響き渡る。
反応が遅れた俺が視線を向けた先にあったのは、すごいスピードでこちらへ向かってくる大きなトラックだ。
体は動かないのに、頭だけが必死になって情報を整理しているのか、ナンバープレートも、少し汚れた車体も、運転席で運転手が居眠りをしているのも、はっきりと見えた。
近くになりすぎたそれに思わず目を閉じたところで感じた衝撃と、激痛と、また衝撃、そして激痛。
しまった、これは死んだ。
そう思ったときには、俺の意識はブラックアウトしていた。
※
「おい、どうするんだよこいつ……」
「そうは言ってもよ、とにかくオヤジに……」
ざわざわと、何だか騒がしい声が聞こえる。
それによって意識を呼び起こされて、少しばかり眉を寄せた。
随分深く眠っていたような感覚がある。まだ眠っていたいというのに、この騒がしさが煩わしい。
一体何事だとゆっくり目を開けた俺は、真上から覗き込んでくるたくさんの顔を前に、ぱちりと瞬きをした。
あまり見ない髪形をした、どちらかと言えばいかめしいに分類されるだろう顔立ちの人間が何人も並んで、俺のことを見下ろしている。
見たことが無いような、あるようなその顔ぶれを前にもう少し眉を寄せて、それから改めて目を閉じた。
何だ、夢か。
「あ、おい、寝るな!」
「こいつ案外神経太くねェか」
息を軽く吐いて目を閉じた俺へ向かって声がぶつけられて、ぐらぐらと体を揺さぶられた。
その感覚の鮮明さに、ぱちりと目を開く。
それと同時にぐいと体が引き起こされて、俺は無理やり座るような格好にされた。
俺の両腕をそれぞれ周りを囲んでいた人間のうちの一人ずつが掴んで、正面に屈んだ男が俺の顔を見据えている。リーゼントなんて、最近はあまり見ない髪形だ。着ているのはコックコートだろうか。何ともミスマッチだとその姿を眺めてから、俺は少しばかり首を傾げる。
ここは、一体どこだろうか。
俺が座っているのは、広いフローリングか何かのようだった。
後ろには壁があって、真上には天井の代わりに青い空が広がっている。
俺を取り囲んだ人々のおかげで、全体像は分からないが、随分と広そうだ。
どうして、俺はここにいるのだろう。
俺は確か、トラックに撥ねられたんじゃなかったのか。
「おい、ぼやっとすんな。兄ちゃん、大人しくおれの質問に答えろよ?」
そんなことを考えていたらぺちぺちと軽く頬を叩かれて、俺は注意を正面へと戻した。
俺が立ち上がれないようにか、俺の両足の上に屈み込む体勢を取った正面のリーゼントが、俺が視線を戻したのを見てから軽く頷き、口を動かす。
「お前ェ、どうやってこの船に乗った? 何かの能力者か」
寄越された問いかけに、俺は首を傾げる。
「……船?」
言われて注意深く耳を澄ませてみれば、そういえばどこかからか水音が聞こえる、気もする。
それに潮のにおいもすると気がついて目を瞬かせた俺を前に、はあ、とリーゼントの男はため息を零した。
「何だよ、まさかおれ達の船と知らずに乗ったってェこたァねェだろう?」
「…………『おれ達』?」
そうまで言うということは、もしや有名人の集団なのだろうか。
そう考えて改めて周囲を見回してみても、ぱっと名前の出てくる相手はいなかった。
ただ、確かに、どこか知っているような顔立ちの人間も見受けられる。
けれども、それはどこでだったろうか。
戸惑う俺を見て、おいおいマジかよ、と呟いたリーゼントの男がもう一度ため息を零した。
「この船とあの旗見て、知らねェなんて言わせねェぞ」
きっぱりと言い放った男が指差したのは、青い空に程よく近い場所だった。
周りを取り囲んでいた何人かが少し身を引いたおかげで、俺も彼が指差した物が何なのかを見ることができた。
青い空には不似合いなほどに黒い旗が、風を受けて揺れている。
そこに書かれた大きな印に、俺は目を見開いた。
何故なら、それには確かに、見覚えがあったからだ。
ただし、現実にではなく、絵として、漫画の中でだ。
「…………白ひげ、海賊団」
呟いた俺に、やっぱり知ってんじゃねェか、とリーゼントの男が唸る。
それと共に両腕を掴む手にも力が入って、その痛みに少しばかり眉を寄せた俺は、左右を固める相手の顔も確認した。
俺が知っているより少し若く見える気もするが、確かにそこにいるのは白ひげ海賊団の人間だ。
こちらを睨むハルタとイゾウらしき二人の顔を見つめて、それから改めて正面へと視線を戻す。
俺のことを疑わしげな目で見るリーゼントの彼は、それではつまりあの『彼』だろうか。
「…………サッチ?」
名前を呼ぶと、おれのことも知ってんじゃねェか、とコックコートのリーゼントは呆れた声を出した。
「シラ切るのは止めたのか?」
そんな風に問われても、まさか自分が白ひげ海賊団と遭遇しているとは普通思わないだろう。
とりあえずサッチへ向けて曖昧に頷いた俺は、少しばかり周囲を見回した。
俺を取り囲んでいる白ひげ海賊団のクルー達は、そろって警戒心丸出しの顔をしている。戦えもしない俺なんて彼らに掛かれば子供扱いだろうに、どうしてそんなに警戒心を抱かれているのだろうか。
よく分からないながらも、両腕を拘束されて立ち上がれもしない俺は、改めて視線を正面のサッチへ向けた。
「……俺は、どうしてここに?」
「はァ? お前が急に出てきたんだろうが、ここに」
俺の問いかけに、正面の彼は眉を寄せて呆れた顔をした。
その回答に、とりあえず俺がここへ来た原因を相手は知らないのだろうと判断して、俺は少しばかり唸る。
俺は、確か先程、トラックに撥ねられたはずだ。
痛みも衝撃も、まだしっかりと覚えている。あれは絶対に死んだだろう。そう確信できるくらいの痛みだった。
けれども、俺の体には今、傷の一つも無いようだ。強いて言うなら、左右で掴まれている両腕が一番痛い。
痛みを感じるということは、これは夢じゃないということだ。
『マル、ねてたよい。……おきたらここにいた、よい……』
耳の奥に、幼いマルコが呟いていた小さな声がよみがえる。
帰りたいと泣いていた、ここはどこだと不安がっていたマルコを思い出した。
どうやら俺は、あの時のマルコと同じような状態のようだ。
まるで冗談のような話だが、どうやら目の前の彼も、左右を陣取る彼らも、俺を取り囲むクルー達もこの船もあの旗も、現実のものであるらしい。
つまり、ここは『ワンピース』の世界だ。
小さなマルコが帰っていったのと同じ、俺が居たのとは別の世界だ。
「……あ」
そこまで考えてから、は、と思い至ってもう一度周囲を見回す。
唐突にきょろきょろした俺を前に、どうかしたのか、と未だ俺を警戒している風のサッチが尋ねる。
それには答えないまま更に視線を動かしても、俺を警戒し取り囲むクルー達の中に、俺が探す相手は居なかった。
マルコが居ないのだ。
得体の知れない人間が現れて、こうしてちょっとした騒ぎのようになっているのに、放っておくとは思えない。
だとすると、もしや今は、船を離れているのだろうか。
「おい、兄ちゃん。何だってんだよ」
「ああ、いや……何でもない」
少し苛立った様子で言葉を寄越すサッチに、まさかこの状況でマルコの行方を聞くことも出来ず、俺はただ曖昧に答えて視線をサッチへと戻した。
とにかく、そろそろこの両腕の拘束を解いてもらいたい。
まずは敵対する意思のないことを伝えて、偶然乗り合わせてしまっただけだと伝えなくては。
そう思いつつ口を開こうとした俺に先んじて、右側から声が寄越された。
「アンタ、名前なんてんだい?」
声を辿るように傍らを見やれば、俺の右腕をしっかりと掴んだままのイゾウが、じっとこちらを探るように見つめている。
そういえば名乗っていなかったかと今更把握して、俺は答えるために口を動かした。
「俺はナマエだ」
そうして俺の台詞を聞いた瞬間に、周囲の空気がざわりと騒いだ。
唐突な変化に驚いて、俺は少しばかり目を丸くする。
俺の方を注視しながらひそひそと言葉を交わすクルー達の視線が、何故だか酷く突き刺さる。
驚きを露にした様子のサッチも他のクルー達と同様で、正面から俺の顔をまっすぐに見つめたサッチは、ナマエ? と俺の名前を繰り返した。
「アンタ……ナマエってェのか?」
「? ああ」
問いかけに頷いて、一体何がどうしたのだろうかと、俺は視線をサッチへ戻す。
しげしげと俺のことを見つめたサッチが、それから慌てた様子でその両手で俺の肩を捕まえた。
ぐいと体を前に引っ張られ、それに驚いたように両腕の拘束が外れる。
けれどもそれを気にした様子もなく、サッチは正面から俺の両目を見つめて口を動かした。
「なァ、オムライス作れるか!」
「……簡単なものなら」
作れはするが、一体どうしてそんなことをこの状況で聞かれなくてはならないのだろうか。
戸惑う俺の横で、それでどうやって確かめるのさサッチ、と呆れた声を出したのはハルタだった。
とんとんと腕をつつかれて顔を向ければ、こちらを見やったハルタが軽く首を傾げる。
「ねェ、マルコを知ってる?」
そうして問われた言葉に、戸惑いながらも俺が頷いたその瞬間、ざわざわと騒いでいた周囲から歓声が上がった。
あまりの煩さに顔を顰めて、一体何事なんだと尋ねようとしたところを、ぐっと肩を掴んだ手に力を込められて止められる。
ハルタへ向けていた顔を正面へ戻すと、とても間近になっていたサッチの顔に、どうしてか満面の笑みが浮かんでいた。
「そうかナマエか! よく来たな! 歓迎するぜ!」
「…………は?」
先程までの態度を一変させたサッチの言葉に、俺はぱちりと瞬きをする。
周りもちらほら似たような言葉を零していて、颯爽と立ち上がったイゾウは『オヤジに知らせてくる』と告げて去っていった。オヤジというのは、この場合はやっぱり四皇の白ひげのことだろうか。
「ハルタ!」
「うん、任せて! はい!」
戸惑いつつも様子を見ることしか出来ない俺の肩からようやく手を離したサッチがハルタへ声を掛け、頷いたハルタが取り出したものをサッチへ手渡す。
どう見てもロープであるそれに目を瞬かせていたら、サッチの手がぐるりとそれを俺の体に巻きつけた。
あっという間に拘束されてしまい、抵抗も忘れてただ困惑した俺を見つめ、サッチが笑顔で言葉を放つ。
「マルコが偵察から帰ってくるまで、ぜってェ逃がさねェからな!」
どうやら、マルコは俺の予想通り、船を離れていたらしい。
あまりにも爽やかな笑顔で言い放ったサッチに抗議することも出来ず、とりあえず頷いた俺は、マルコが帰ってくるのはいつ頃になるんだろうかと、そんなことを少しばかり考えていた。
※
その日の夜、よくわからない理由で始まった宴の最中に、ようやくマルコは帰ってきた。
「マルコ、見ろよ、ナマエだ!」
「は? サッチ、何言って……ナマエ?」
怪訝そうな顔をした後で、ロープを巻かれて身動きも取れない俺を発見したマルコが、少し眠たげだった目を大きく見開く。
どうにか自由に動かせる掌を軽くひらひらと振って見せると、しばらく硬直していたマルコがどうしてかこちらへと飛び掛ってきた。
驚いて身を強張らせたが、腕も足も拘束されてはどうにも出来ず、俺はマルコにされるがままに甲板へと倒れ込む。打ち付けた頭が猛烈に痛い。
「ナマエ、ナマエナマエナマエ……ッ!」
けれどもぎゅうぎゅうと縋るように抱きついてくるマルコに退いてくれとも言えないので、されるがままにされながら軽く息を吐く。
両手が自由なら背中を撫でて宥めたいところだが、しっかりと結ばれたロープがそれをさせてもくれない。
仕方なく見上げた空には星が広がっていて、俺に抱きつくマルコの体は温かで、すぐ近くで俺の名前を連呼するその声は俺が知っているより低かった。
俺を抱きかかえたまま一頻り騒いだ後、ようやく俺が拘束されていることに気付いたらしいマルコは、俺を縛り上げたサッチをかなり強く蹴り飛ばしていた。
とても痛そうだったが、俺から見えた限りサッチは笑顔だったし、周りのクルー達もその楽しげな表情は変わらないままだった。
どうやら、白ひげ海賊団のじゃれあいは随分と過激らしい。
end
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