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21


 マルコの言葉は、問いかけじゃなくて、ずいぶんと断定的だった。
 どうしてそんなことを言うのかと思って見つめた先で、マルコが手を動かす。
 その手が取り出したのは、萎びた葉だった。
 ところどころ緑色の絵の具が付いたそれは、俺があの悪魔の実からむしりとった葉だ。

「お前がいつもいるあの書庫から、これが出てきた」

 言い放ち、マルコは俺が色を塗りきれなかったその黄色い葉をくるりと回す。

「あの悪魔の実も確認したよい。あれは、もともとは青だ。『ヤミヤミの実』じゃねェ」

 これは俺とオヤジしか知らねェがねい、とまで言い放ち、マルコはまっすぐに俺の顔を見つめた。
 俺の考えていることを全部引っ張り出そうとするようなその瞳から、目を逸らすことが出来ない。

「お前はわざわざ、あの悪魔の実を『ヤミヤミの実』に仕立てた」

 俺の行動をそう断定して、どうしてそんなことをしたのかと、マルコが問いかけた。
 ばれてしまった。
 ただの悪戯にしては手が込みすぎているし、その所為で俺はティーチに襲われることになったのだから、言い訳なんて出来ないだろう。
 唯一の救いは、気付いたのがマルコであってティーチじゃなかったことだろうか。
 ほんの少し強張っていた体からそっと力を抜いて、ベッドに横たわったまま、俺はマルコを見つめた。

「……他の人が、ヤミヤミの実手に入れたら、」

 思い浮かぶのは、ティーチと騒いで笑っていたサッチの顔だ。
 本当なら、ティーチに殺されるのは未来のサッチだった。

「ティーチは俺にやったみたいに、殺してでも奪い取るから」

 きっとティーチは、俺にやったみたいに簡単に攻撃をして、そうしてサッチを殺したんだろう。
 そしてエースがティーチを追いかけて、捕まって、戦争が始まって。

「マルコ隊長、家族が死んだら悲しいって」

 マルコは置いていかれて、きっとすごく悲しい思いをするのだ。
 その未来を回避することこそが、今俺がこの船に乗っている理由だった。
 けど、もう全部終わった話だ。
 俺の言葉を聞いていたマルコが、怪訝そうに眉を寄せる。

「……まるで、この船に乗ってる誰かが『ヤミヤミの実』を手に入れるとでも言いたげだねい」

「ん。手に入れる。ずっと先の話」

 言われた言葉に頷くと、マルコは更に眉間の皺を深めた。
 疑うようような眼差しに、俺は首を傾げる。

「信じない?」

 理由を聞いたくせに、俺の言葉を信じてはくれないんだろうか。
 問いかけた先で、マルコはただ、根拠はあるのか、と聞いた。
 根拠、と言われて、俺は少しばかり考え込む。
 根拠も何も、俺はマルコたちの未来を少しだけ知っている。
 それがどうしてかと言えば、俺はこの世界の人間じゃないからだ。
 それを言えばいいんだろうか。
 言えば、マルコにどんな風に思われるのか分からない。頭がおかしくなったと思われるだろうか。
 けれども、丁度いい嘘を思いつけもしなかったから、俺は口を動かした。

「俺、この世界の人間じゃない」

 突拍子も無い俺の言葉に、マルコが戸惑ったのが分かった。
 その顔を見上げながら、どうにか伝わるように、言葉を紡ぐ。
 俺の世界にはこの世界の未来を書いた本があった。
 その本に白ひげ海賊団のことも載ってた。
 黒髭って呼ばれていたティーチはヤミヤミの実の能力を持っていて、その能力を手に入れるためにサッチを殺していた。
 そうしてその力で他の白ひげ海賊団の船員を捕まえて七武海になって、助けに来た白ひげ海賊団と海軍の戦争中に白ひげを殺す。
 それが俺の知っていた未来の話だと、そう言って口を閉じると、マルコの顔が驚きに染まっていた。
 仕方ない。それが普通の反応だろう。

「……な……そんなの……」

「信じなくてもいいんだ。もう変わった」

 信じられるわけがない、と言われる前にそう言って、俺はマルコから視線を逸らした。
 静かな時間が少しばかり過ぎて、訪れた沈黙を破ったのはマルコのほうだった。

「…………それで……その未来が来なくて済むように、死ぬつもりだったってのかよい」

 低く唸るような声は、少し怒っているかのようだ。
 どうしたのかと視線を戻して、俺は答えた。

「死ななかった」

 俺の言葉に、やっぱり怒ったような顔をしたマルコは、それは結果論だ、と唸る。

「もしおれが来なかったら、血の流しすぎで死んでたかもしれなかった。いくら海楼石で弱っていたとは言っても、ティーチが動けないお前に止めを刺したかもしれなかったろい」

「でも、死ななかった」

「ナマエ!」

 俺の言葉に、マルコがいらだったように俺を呼んだ。
 マルコの言葉はもっともだ。確かに、俺はまだまだ弱すぎた。
 けれどそれでも、事実俺はこうして生きているのだ。マルコのおかげで。

「助けてくれてありがとう、マルコ」

 だからそう言って口元を緩めると、眉間に皺を寄せたままのマルコが、ほんの少しばかり息をつめた。
 その手が俺へと伸びて、そっと俺の掌を握る。
 前と同じように温かくて少し硬くてざらついた掌が、しっかりと俺の手を握ってくれた。

「……別の世界から来たんだったら、いつかは帰るのかよい」

 俺の手を握ったまま囁かれて、俺は目を瞬かせる。
 俺の言葉を、信じてくれたってことだろうか。
 よく分からないが、とりあえずはマルコの疑問に答えようと思って、口を動かした。

「帰るのは、難しい」

「何でだよい」

 俺の言葉に、すぐさまマルコが尋ねてくる。
 握られた手の指に順番に力を入れて遊びながら、俺は答えた。

「だって俺、ついてきた」

「……ナマエ?」

「あの島だけが、俺の世界と繋がってた」

 一年足らずを暮らしたあの島のことを思い出す。
 あの島にはあちこちに、日本製のゴミが落ちていた。
 ペットボトル、電池の切れた携帯、誰かの鍵、日本語で書かれた文字の入ったゴミ。
 それらは、海からは決して流れ着かないものだった。
 あの島だけが、この世界で唯一俺がいた世界と繋がっていたのだと思う。
 だからずっと、島から出ようとは思わなかった。
 けれどもあの日俺があの島を出たのは、マルコが俺と一緒にいたいと言ってくれて、俺もマルコと一緒にいたかったからだ。

「一緒にいたかったから、ついてきた」

 端的にそう答えた俺に、マルコの手がぴくりと震えた。
 力の抜けたその掌を、振り払われないのをいいことにしっかりと握り締めて、俺はマルコから目を逸らす。

「……もし俺を船から降ろしたかったら、降ろしてもいいよ」

 俺がここにいようと決めてずうずうしく居座っていたのは、いつかティーチが原因でマルコが悲しい目に遭うと分かっていたからだ。
 けれどもその理由すら無くしてしまったから、あの島を忘れたいマルコが俺を遠ざけたいと思ったら、俺はそれを拒めない。
 本当ならずっと一緒にいたかったけど、マルコが一緒にいたくないなら、それは俺のわがままで自己満足にしかならないのだ。
 俺の言葉に、マルコは少しばかり息を飲んだようだった。
 それから、そっと掌にもう一度力が込められて、俺の右手をしっかりと握る。

「…………帰りたいのかよい」

 そうして言葉を落とされて、ベッドに横たわったままで俺はもう一度マルコを見やった。
 マルコは、少しばかりつらそうな顔をしていた。
 どこか痛いのだろうかと見上げた先で、マルコが言葉を吐き出す。

「こんなに痛い思いしたんだ、当然だねい。……帰りたいんだろい」

「別に」

 そんなことは無いけどと首を横に振る。
 だって、俺には待っている人もいない。
 でも、ここにいる為の理由が無いのも事実だった。

「でも、もうティーチもいなくなるから。俺、ここにいる理由無い」

「ティーチのことが、理由になってたってのかい」

 今更なことを、マルコが言う。
 当たり前だろうと頷いて、俺は答えた。

「だって、ティーチがサッチを殺したら、マルコが寂しいし悲しい。他のみんなもオヤジも」

 でも、ティーチは追放されるのだから、もう大丈夫だ。
 俺が知ってる未来は来ない。
 俺の返事を聞いて少しばかり押し黙ったマルコは、それから、恐る恐る、と言ったふうに口を動かした。

「……理由があれば、ここにいんのかい」

「? ……ん」

 どうしてそんなことを聞くのかと思いつつも、俺は頷いた。

「だって、マルコの為にすることが無いなら、いる意味がない」

 俺はあの日、元の世界じゃなくてマルコを選んだ。
 好きだといってくれたマルコを好きだと気付いたから、マルコの傍にいるほうを選んだ。
 マルコのために出来ることをしようと思ったし、今だってその気持ちは変わってない。
 でも、『出来ること』が何も無かったら、俺を要らないと言ったマルコの近くにい続けることができないのだ。
 迷惑を掛けたくない。なのに、自分からは離れられない。
 母親に置いていかれたときだって縋ったりしなかったのに、どうしてまだマルコのことを諦められないんだろう。

「マルコの言う通り、忘れるのも出来てない」

 せめて諦めて、マルコと過ごしたあの島でのことを全部忘れてしまえたら、何の気負いも無く白ひげ海賊団の一員として過ごすことも、船をさっさと降りることも出来たかもしれない。
 けれどそのどちらも出来ないのは、俺がまだマルコを好きだからだ。
 ぼんやりとそんなことを考えていた俺の横で、ナマエは、とマルコが口を開いた。

「…………ナマエは、おれに流されてついてきたんだと思ってたよい」

 囁くような言葉と共に、さっきよりも強く、手を握られた。
 少し痛むくらいのそれは、けれどまるで、手放さないと言われてるみたいだった。
 どうしたのかと見つめた先で、マルコは言葉を続ける。

「おれが近くに寄らなけりゃ自分から寄ってくるわけでもないし、大体のことが何だっておれからだったろい。おれが触らなくなったらそのまま、久しぶりに体に触れたときにはびびってたしねい」

 俺へ向かってそう言い放ち、マルコは何だかどこかが痛むような顔をした。

「おれが、あんなに縋ったから。一人であの島に残されるのも寂しくなったから、おれについてきたんだと」

 そう思った。
 そう続いた言葉に、俺は思わず眉を寄せた。
 人が一世一代の決心をして付いてきたのに、マルコはそんなふうに思っていたのか。
 全く知らなかった。

「ひどいと思う」

 思わず非難すれば、分かってるよい、と呻いたマルコが小さく息を吐く。
 つらそうな顔が変化して、どうにか笑おうとしているのに笑えていないような、よく分からない表情になっていた。
 泣きたいくらい、どこかが痛むんだろうか。

「ナマエはあん時、元の世界とおれとを比べて、おれのほうを取ってくれた。そうなんだろい」

 それでもマルコはそう言って、無理やりに笑う。
 マルコの手が俺の掌をようやく解放して、立ち上がったマルコがベッドの上に体を乗り上げてきた。
 ぎしりとベッドが軋んで、点滴を踏まないように気をつけて動いたマルコの顔が、俺の顔の真上にやってくる。

「ナマエ、好きだ」

 そうして囁かれた言葉は、あの島でマルコに言われたのと同じ台詞だった。
 目を丸くした俺の上で、マルコが笑う。
 さっきよりはずいぶん笑顔と呼べるようになった表情で、近付いてきたマルコの口が言葉を紡いだ。

「あの島でのことを忘れてねェのは、おれも同じだよい」

 人にあんなことを言っておいて、そう言い放ったマルコの額が俺の額に押し付けられる。
 すごく間近でマルコの目を見上げた俺へ、マルコは更に言葉を落とした。

「あんなこと言って、悪かった」

 小さな謝罪に、俺はぱちりと瞬きをする。
 取り消すよい、と続けられた言葉が指しているのは、つまり、あの日俺へマルコが言った台詞のことだろうか。
 俺は、あの島でのことを忘れなくてもいいんだろうか。
 マルコは、まだ俺を好きでいてくれたんだろうか。
 色々と聞きたいのに、言葉がうまく出てこない。
 目元が熱くて、少し息がしづらかった。
 もしかしたら俺は、泣きそうな、酷い顔をしているんじゃないだろうか。

「許してくれるかい?」

 けれどもマルコは俺を笑うことなく、ただ小さく囁いた。
 だから俺は、どうにか震える口を動かして、同じくらい小さく答えたのだ。

「……ん。分かった」

 いつだったか紡いだのと同じ言葉なのに、響きも言ったときの気持ちも何もかも、全部が全然違ってるような気がした。




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