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20





「ナマエ」

 呼びかけられた声に、ゆっくりと意識が浮上した。
 ずいぶんと長い間、眠っていた気がする。
 つんとくる匂いからして、どうやら俺は医務室にいるようだった。
 傍らに誰かが座っているのを感じて、まだ明るさに慣れない目を眇めながら口を動かす。

「…………マル、コ?」

「残念、はずれ」

 そうだったらいいなと思いながら名前を呼んでみると、肩を竦めた相手がそう答えた。
 その声に、そこに座っているのが誰かを把握して、何度か瞬きをする。
 どうにか物が見えるようになってきた視界に、椅子に座っているらしいハルタの姿が映りこんだ。

「………………ハルタ」

「おはよう、ナマエ。三日目なんだけど。どんだけ眠かったわけ」

 呆れたように囁きながら、ハルタが俺の顔を覗き込んでくる。
 三日も寝ていたと言われて、そういえば少し背中が痛いと体をよじろうとした俺は、ずきりと痛んだわき腹にぴたりと動きを止めた。
 顔を顰めて痛いと呻くと、当たり前でしょ、とハルタがため息を零す。

「腹、思いっきり刺されたでしょ。ドクターが頑張らなかったら不味かったんだからね」

 今はちょうど食事に行ってるけど、戻ってきたら礼言いなよ。
 そう続けられて、こくりと頷いた俺は、改めてきょろりと医務室の中を見回した。
 あまり広くない室内には、俺とハルタ以外には誰もいない。
 俺はティーチの腕を撃ったはずだが、ティーチも治療を受けただろうか。

「……ティーチは?」

 そんなことを考えて尋ねると、俺を見ていたらしいハルタが、少しばかり眉間に皺を寄せた。

「…………ティーチの馬鹿は今下層部の監房。生きてるよ、マルコが半殺しにしてたけどね」

 囁くように言われて、俺はハルタの視線を見つめ返した。
 俺を見ながら、ハルタが続ける。

「元は家族だし、ナマエは死んでないからってことで処分は検討中。落とし前つけて、オヤジの温情で追放になるんじゃないかな」

「……そ」

 寄越された言葉は妥当だと思ったので、俺は頷いた。
 確かに、俺は死んでいないんだから、ティーチを殺すのはやり過ぎだろう。
 俺としては、この船を降りてくれるならそれが一番だ。
 そうなれば、もう誰も死なずに済んで、戦争も起きない。マルコも悲しまない。
 ああよかった、と息を吐いた俺の傍で、ハルタがぽつりと呟いた。

「…………ごめん、ナマエ」

 消え入りそうな声に戸惑った俺を見下ろしたまま、ハルタの手が俺へと伸びる。
 俺の腕に触れた手は少し震えていて、ハルタは今にも泣きそうな顔をしていた。

「……ティーチに聞いたらいいなんて、言わなきゃよかった」

 呟くハルタは、多分、ティーチがどうして俺を襲ったのかを聞いたんだろう。
 自分を責めているだろうハルタを見上げて、何だか申し訳無くなる。
 俺は、ティーチを騙すためにハルタを利用しただけなのだ。
 なのに、謝られても困る。

「ハルタのせいじゃない」

「ナマエ……」

「そんな風に思わせてごめん、ハルタ」

 だからそう言ってみたけど、ハルタにはあまり伝わらなかったようだった。
 ただ、ぎゅっと眉間に皺を寄せて、口を引き締めている。
 涙すら浮かべだしたその顔に、困ってしまった俺は首を傾げた。

「泣いてる?」

 尋ねると、ハルタがふるりと首を横に振る。
 慌てたようにその腕が自分の目元を擦って、少し赤くなった目がその後に残された。

「……泣いてない」

「そ」

 そうして短く答えられて、俺はとりあえず頷く。
 目が赤いことは指摘していいんだろうか、とその顔を見上げながら考えたちょうどそのとき、こんこん、と軽く扉を叩く音がした。

「入るよい」

 そうして返事も待たずに入ってきたのはマルコで、ハルタと俺で揃って扉のほうを見やる。
 俺とハルタを見やったマルコが、くい、と顎で扉を示した。

「ハルタ、ちょっと外せよい」

 言われた言葉に、ハルタが俺から手を離す。

「…………ナマエ、あとでまた来るから」

「ん」

 そうして落とされた言葉に頷けば、ハルタは椅子から立ち上がってそのまま医務室を出て行った。
 ぱたんと閉ざされた扉に手を伸ばしたマルコが、そのまま鍵を掛ける。
 どうしたのだろうかと見やった先で、医務室を密室にしたマルコが俺へと近寄り、先ほどまでハルタが座っていた椅子に腰を下ろした。
 マルコの双眸が、まっすぐに俺を見下ろしている。

「ナマエ」

「ん」

 呼ばれて返事をした俺の顔に、伸びてきたマルコの手が触れる。
 頬から首筋に触れた指先は、俺の脈を確認するように少しばかり押し当てられて、それからすぐに離れていった。

「…………死んだかと、思ったよい」

 小さく呟いて、マルコの口からため息が漏れる。
 確かに、あれだけ寒かったからずいぶんと血が出ていたはずだ。発見したマルコから見れば、そう思われても仕方ない怪我だっただろう。
 けれども、俺だって努力しなかったわけじゃないのだ。

「死なないように、したつもり」

「死なないようにした奴ァ、あんな簡単に気絶しねェよい」

 だからそう言ったのに、マルコは真っ向からそう言い返してきた。
 それについては返す言葉も無い。
 俺はまだ弱かった。
 けど、もうそろそろタイムリミットだったのだから、仕方ない。

「ティーチの奴ァ、今は牢にいる。多分、船から降ろすことになるだろうねい」

「ん。聞いた」

 俺を見下ろしたマルコに、ハルタから聞いたのと同じことを言われて、俺はそう返事をした。
 そうかい、と俺の言葉に頷いて、それからマルコが少しばかり身をかがめる。
 近くなった瞳にじっと見つめられて、俺はぱちりと瞬きをした。
 どうかしたのかと問おうとした俺を遮るように、マルコが囁く。

「…………ナマエ。お前、わざとだったろい」


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